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妻籠宿の尾又橋と花飾り

 妻籠宿と並行して流れる川を「蘭川」という。大平峠あたりを源流とし、妻籠を過ぎたところで木曽川に合流する。「蘭」は「あららぎ」と読む。アララギとは、常緑の針葉樹イチイ(一位)の別名である。古代日本では、高官の「笏(しゃく)」の材として使用された。このあたりに自生しているのであろう。
 宿の南はずれ近くに、コンクリート製のアーチ橋が架かっている。「尾又橋」という。銘板に昭和22年竣工の文字が刻まれている。戦後間もない資材の乏しい時代に造られたものと思われ、幅員が狭く車1台がやっとである。隣に木製の橋があり、歩行者はこちらを歩くこととなっている。

妻籠の橋G

 妻籠宿は、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。この制度は、「建物など建造物」を個としてでなく群として保存するという趣旨であるが、私はそれに加えて景観を形成する植物群も重要だと考えている。周辺の自然樹林や中庭などの庭園樹である。
 さらに、軒下に飾られる鉢植えなどの山野草も大切な要素だと思う。宿場町など町屋が連担しているところでも、人々は生活の潤いとして花を育てる気持ちをもっている。これは英国などのハンギングバスケットやコンテナの花飾りに共通した“生活文化”ではないだろうか。

妻籠の花G

中山道の妻籠宿

 京と江戸をむすぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから「木曽街道」とも呼ばれていました。「中山道六十九次」のうち、京から28番目となる「妻籠宿」は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として、古くから賑わいを見せていました。
 木曽川の支流・蘭川に沿った500mほどの間に、本陣・脇本陣・旅籠31軒が建ち並んでいました。明治になって鉄道や道路が新たにつくられ、宿場としての機能を失って衰退の一途をたどりました。しかし昭和40年代に集落保存と景観修復が行われ、昔ながらの町並みが復活しています。

妻籠宿マップ

 1軒の旅籠の玄関脇に1本のアオギリが植えられていて、軒先につかえたのでしょうかS字型に折れ曲がっています。樹木を大切にする町の人たちの心が垣間見えて、何とも微笑ましい気持ちになりました。落ち葉が迷惑だとか剪定に予算がないとかの理由で伐採してしまう町とは大違いです。
 町並みの中ほどに、「妻籠宿本陣」があります。島崎藤村の母の実家で、明治に至るまでは庄屋を兼ねていました。平成7年に復原された建物は、現在「南木曽町博物館」として使用されています。明治6年に開設された郵便御用取扱所は本陣が兼ね、書状集箱(今のポスト)が置かれていました。

妻籠宿G

横井也有宅跡のムクノキ巨木

 名古屋城外堀の南、那古野神社の西に東照ビルがある。その南の中庭にムクノキの巨木がある。根元には小さな祠が祀られており、太い幹にはしめ縄も張られている。幹まわり5m、高さは20m、樹齢は400年と推定されている。ただ、幹に大きな洞があり、コンクリートが埋め込まれている。
 ビルの道路側に、この木の説明版が立っている。この地は、横井也有(1702~1783)宅の跡地であるという。也有は三の丸西隅(現愛知県図書館)に居を構えていたが、53歳で隠居した後、この地に移住したという。

也有宅跡マップ

 横井也有は、知行1000石の尾張藩重臣であるが、和歌・俳諧・書画などを嗜む文人として有名である。特に俳句は「うずら衣」の作者として、俳文の新生面を開拓したと言われている。也有の俳句は、芭蕉やその門人とは一味異なり、洒脱でユーモアな人間批評が含まれている。
 東山植物園の日本庭園の一部に「也有園」があることは1月3日のブログでご紹介した。也有園は、自然林の中にポッカリ開けた明るい林泉で、個性的な八つ橋や鄙びた四阿(あずまや)が点在している。風流人・也有に相応しい、雅趣に富んだ雰囲気を醸し出している。

也有宅跡G

鶴岡八幡宮の参道

 鶴岡八幡宮は鎌倉八幡宮とも称し、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(1147~1199)ゆかりの神社である。頼朝の先祖である河内源氏2代目棟梁・頼義が、康平6年(1063)にこの地に勧請したのが始まりという。この神社も新年の参拝客が多く、初詣ベスト10の常連である。
 (有名な大銀杏につきましては、昨年の11月11日に掲載しましたのでご覧ください)
 由比ヶ浜から八幡宮まで、鎌倉の中心をほぼ南北に貫く参道を「若宮大路」という。中央の一段高い歩道と並木を「段葛(だんかずら)」と呼び、八幡宮の境内に位置づけられている。京の朱雀大路を模して、源頼朝が自ら築いたのだという。大型バスも行き来するメイン通りである。

鎌倉参道マップ

 大路に面して大きな酒屋がある。創業は明治33年(1900)、建物は昭和2年に建てられている。伝統的な出桁造りで、重なり合う屋根や長大な差鴨居など重厚な雰囲気である。敷地奥の蔵や運搬用トロッコも残されていて、近代商文化を伝える貴重な遺産となっている。
 1本西側には狭くて歩行者優先の「小町通り」が通っている。比較的大きなお店が多い大路に比べて小町の方は小さな店舗で、テイクアウトフードの店やこだわりグッズの店が並んでいる。日傘や帽子を商う各店舗の表情も個性的で、ついつい引き込まれて買いたくなってしまう。

鎌倉参道G


季節通信33七草粥

初詣(川崎大師)

 この三が日、皆さんはどこかへ初詣に行かれましたか?近くの氏神様や菩提寺、あるいは有名な寺社でしょうか?全国の神社・仏閣で、初詣客が最も多いベスト10を選ぶと「川崎大師」は必ず名を連ねるそうです。東京では明治神宮、大阪では住吉大社、名古屋では熱田神宮などが常連です。

 川崎大師の正式名称は「平間寺(へいけんじ)」である。社伝によれば、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、海中から弘法大師の木像を引揚げて小堂を構えたのだという。大治3年(1128)に、諸国遊化(ゆけ)を行っていた高野山の上人と力を合わせてお寺を建てたのが始まりである。

川崎G

 歴史は古いが、堂宇は新しいものが多い。太平洋戦争により、ほとんどが焼け落ちてしまったからである。大本堂(下左の写真)は昭和39年に落慶した。大山門(上右)は昭和52年、中興塔と呼ばれる八角五重塔(下右)は昭和59年に完成している。
 大山門に向かって150mもの長い参道(上左)が続いている。「仲見世通り」と呼ぶ。厄除けの品や煎餅、饅頭や咳止めの飴などを売る店が軒を連ねている。近郊近在だけでなく、遠くからも信徒が集まる。京浜急行電鉄は東京や横浜に多くの路線をもつが、その元は、明治32年(1899)に川崎駅から大師駅まで開通した大師電気鉄道である。

川崎H


季節通信58芽

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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