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七宗ダムと「田島の火道角れき岩」

 名倉ダムのさらなる上流に「七宗ダム」がある。飛騨川を堰き止めてはいるが、高さは10.6メートルしかない。ダムと言うより堰に近い構造物である。発電専用で、2km下流の七宗発電所まで水路で水を送っている。
 有効落差は15.5mと小さいので水量の割に発電量は少なく、最大で6200KWにすぎない。建設年次は、七宗発電所の運用開始が大正14年(1925)とあるので、同時期の完成と思われる。鉄製の可動堰2門が青色に塗られていて、遠くからでもよく目立つ。

七宗ダムG

 上流側は水が溜まっているので見えないが、下流側は岩盤が姿を現している。この岩は「田島の火道角れき岩」という。火山噴火により堆積した「火山角れき岩」とは異なる。地下のマグマが上昇する際に、その通路(火道)の周囲の岩石を一緒に巻き込んで噴出したものである。
 噴火は、白亜紀末期(約6500万年前)に起こった。岩に含まれる「れき」の大きさは、直径2mを超す大きなものから、数ミリ以下の細かいものまである。大きいものは濃飛流紋岩で、垂直に引き延ばされたような形をしている。小さいものはチャートなどからなり、角ばったものが多い。

季節通信194ヒマラヤスギ


高山線・白川口駅と名倉ダム

 「JR高山本線」は、岐阜と高山を結んでいる。開業の歴史は・・・「高山線」は大正9年(1920)に岐阜から小坂まで、そして徐々に北上。北からは「飛越線」として昭和2年に富山から越中八尾まで、徐々に南下。全線が開通したのは昭和9年のことである。
 白川口駅は、木造平屋の可愛らしい建物である。大正15年に上麻布から延伸したとき、その終着駅として開業した。加茂郡「白川町」は、合掌造りで有名な「飛騨・白川村」と紛らわしいが、こちらは美濃の国に属す。北のはずれに、美濃と飛騨の国境がある。人口7千人ほどの町である。

高山線G

 白川口駅と飛騨金山駅との間に、「名倉ダム」がある。ダムとは言うものの、高さの低い取水用の堰堤である。6km下流の名倉発電所まで送水して発電する。落差は約35m、出力は約2万kwである。昭和11年に運用を開始した。
 水門の上部にアーチトラスの鉄橋があり、管理用通路となっている。国道から階段があって、一般の人も通行することができる。対岸の住民の便宜を考えてのことだろう。狭い通路は一部がトンネルになっている。前回の上麻布ダムのところで記した「ローリング・ゲート」の「ドラム」を間近に見ることができる。

高山線H

飛騨川の上麻生堰堤と白川橋

 飛騨川を遡ってみた。国道41号である。狭い谷あいなので、JR高山線も川沿いに走っている。白川口駅近くに「上麻生発電所取水堰堤」がある。大正15年(1926)に完成、右岸に魚道、左岸には流木路(丸太を川に流して運ぶ時代の遺物?)がある。平成30年に土木学会選奨土木遺産に認定された。
 特色は「鋼ドラムのローリング・ゲート」(黄色の矢印)、我が国では数例しかない希少な形式である。しかも、現存するものとしては最古であるという。第一次世界大戦後、電力需要が増大し飛騨川も電源開発が進められた。手掛けたのは「岐阜電力」(後に東邦電力と合併)、七宗発電所と金山発電所の3つを完成させた。

上麻生ダムG

 上麻生のダムの少し上流に「白川橋」がある。現存する吊り橋としては非常に珍しい鋼製である。構造は鋼補剛トラスによる3径間2ヒンジ、主塔も鋼トラスである。完成したのは、ダムと同じ大正15年、ダムの運営に必要な交通路だったのだろうか。
 橋の長さは約116m、幅員は3.6m、開通当初の床は木製であった。昭和35年までは国道41号の路線だったが、500m下流に飛泉橋が完成し、そちらが国道となったので、こちらはそれ以来歩行者・自転車専用となっている。平成18年には土木学会選奨土木遺産に、平成25年からは登録有形文化財に指定されている。 

上麻生ダムマップ

季節通信193ヒガンバナ


佐屋街道・尾頭橋と八熊線・住吉橋

 金山駅の西南、国道19号の交差点に古色を帯びた道標が立っている。「西左:なごや道」「西右:宮海道」「南左:さや海道 つしま道」と刻まれている。江戸時代の重要な道案内である。「海道」とあるのは、「宮」「さや」から、それぞれ舟での旅となるからであろう。
 東海道は「宮宿」(熱田)から「桑名宿」まで海上の舟旅となる。「七里の渡し」という。船旅を避けたい人のために陸路の迂回路があった。「佐屋街道」あるいは「姫街道」という。堀川を「尾頭橋」で、庄内川を「万場」で渡る。佐屋宿から川舟に乗って3里下って「桑名宿」に至る。

佐屋街道G
佐屋街道H

 佐屋街道の南に八熊通りが走っている。現在はこちらの方が発展していて道幅も広い。堀川に架かる橋も堂々としている。「住吉橋」という。江戸時代の七橋には含まれていない。八熊通りは国道29号・名古屋―弥富線の、名古屋市内の名称である。かつて存在した八熊村の名称を引き継いだものであろう。
 交通量が増えて道路拡幅を考えたとき、既存の街道には商店や民家が建て並んでいて移転は難しい。近くにバイパスとして新しい道路を造るのが常套である。八熊通りが堀川と交差するのが「住吉橋」である。型式は名古屋市内では珍しい「ラーメン橋台橋」、3連アーチの美しい外観が特徴である。このデザインは、関東大震災の復興橋梁として都市河川に多く採用されたものという。

佐屋愛道I

桜橋と伝馬橋

 江戸時代、東西の主要道路は広小路か伝馬町であり、菅原町という細い通り(今は桜通り)には橋がなく、中橋か伝馬橋へ迂回するしかなかった。昭和12年に名古屋汎太平洋博覧会が開催されるに当たって、名古屋駅が笹島から北へ移転した。その正面から東へ伸びる道路として整備されたのが桜通りであり、堀川に架かる橋が「桜橋」である。

桜橋G

 「伝馬」とは、宿場をつなぐ馬のことである。飯田街道は泥江が起点で、伝馬町を通って八事へ向い、足助・稲武を経て信州・飯田までつながっている。美濃路は熱田から発し、本町通りを伝馬町筋で西に曲がって泥江から北上する。
 泥江の交差点は7本の道の出入り口で、戦前までは信号のないロータリー(今で言うラウンドアバウト)であった。現在の名古屋駅のあたりに馬車屋があり、馬がたくさん居たという。堀川の船便や鉄道輸送もあり、物流の中心地であった。
 「伝馬橋」も五条橋と同じで、清洲越しで運ばれた。当時は、長さ11間5尺(約22m)の板橋で、高欄には擬宝珠が付いていた。現在のものは大正9年(1920)に架け替えられた。単純RCアーチ橋としては、中部地方では最古期のものである。橋の畔には材木商などが集まっていた。現在は街園になっている。
 
伝馬橋G

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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