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飛騨川・川辺ダムと山川橋

川辺ダムG
 
 飛騨川・飛水峡の少し下流に「飛水湖」がある。堰止めているのは「川辺ダム」、中部電力の運営する発電用のダムである。重力式コンクリート造りで、高さ27m、長さ178m、ダム湖面積120haである。昭和11年(1936)に完成した。すぐ下に出力32000kwの「川辺発電所」がある。
 飛水湖は豊かな自然と景観に恵まれ、また、年間ほとんど風の影響がないので、全国屈指のボート競技場となっている。平成24年(2012)に開催された「ぎふ清流国体」でもボート競技会場となった。ダムのすぐ上流に「艇庫」と船着き場があった。

川辺ダムマップ

山川橋G

 飛水湖の中ほどに、「山川橋」が架かっている。延長190m、幅員4.5m、昭和12年(1937)に開通した。橋の型式は「ゲルバー式RC橋」、現存する「RCラーメン橋」としては最も大型であるという。今年、土木学会選奨の土木遺産に指定された。
 橋の上流の湖中に、鳥居の様なコンクリート構造物が見える。これは、初代・木造吊り橋の遺構である。橋が架かる以前は「椿渡し」という渡し船があったという。吊り橋は大正13年(1923)に開通したが、ダム湖により水没することから廃止された。

山川橋H

季節通信145東山植物園の紅葉





鵜沼宿の町屋館と脇本陣

 中山道「鵜沼宿」のほぼ中央に、旅籠「武藤家」がある。現在は各務原市が寄贈を受け、「町屋館」として公開している。江戸時代からの建物は明治24年の濃尾地震で倒壊し、明治後期に再建された。昔の旅籠の特色を体感できる歴史的資料のひとつとして保存されている。
 玄関を入ると土間があり、そのまま突き抜けて台所となり中庭に通ずる。厚板の上がり框があって、居間には炉火鉢と箪笥を兼ねた階段がある。その奥に座敷・仏壇・床の間が並んでいる。離れと附属屋に囲まれて中庭がある。延べ段や飛び石を歩く回遊式になっている。

鵜沼宿脇本陣G

 隣に建つ「脇本陣」は、近年復元された新しい建物である。復元に当たっては「鵜沼宿家並絵図」や太田宿の脇本陣「林家」を参考にした(2017・01・23「太田宿の脇本陣」参照)。脇本陣とは、大名の宿泊が重なった場合に格下の大名が利用した宿である。
 建物の両端に、「うだつ」が上がっている。元来、防火壁として作られたものだが、格式を示す手段ともなった。台所の土間は広く、かまどなどが並んでいる。大名の居所「上段の間」に、「上湯殿」と「上雪隠」が渡り廊下で繋がっている。藩主が用を足すときには、侍が警護を固めたという。神社の斜面を利用した庭園は、昔に築かれたそのままである。

鵜沼宿脇本陣H

季節通信139百日草&紅

鵜沼宿

 鵜沼(美濃)と犬山(尾張)は木曽川を挟んだ対岸に位置し、互いに牽制し合っていた。鵜沼城は15世紀の中ごろに、土岐氏や斉藤氏に仕えた大沢氏が築城したという。現在の犬山橋を渡った、右側に見える岩山が城跡である。その城下に、中山道の鵜沼宿があった。
 鵜沼宿は江戸から数えて52番目の宿場で、太田宿と加納宿(岐阜市・2014・5・23参照)の中間にある。太田宿とは3里(12km)ほどであるが、加納宿へは4里以上と長い距離がある。うとう峠を越えて東の見付を曲がると大安寺川の橋を渡る。橋のたもとに大きな枝垂れ柳が植えてあった。

鵜沼宿マップ

 街道の両側には黒い塀や板壁など、かつての旅籠の面影を残す住宅が並んでいる。右には本陣、脇本陣が並んでいたが、本陣は明治になって取り壊され、今は普通の住宅が建っている。脇本陣も失われていたが、古い図面が残っていたため最近復元された。
 左側に大きな土蔵造りの建物が2棟並んでいる。これは「菊川酒造」の工場で、今も製造を行っている。この宿場町も近代化が進んでいたが、近年、景観重要建造物の保存改修や脇本陣の復元を行うとともに、電線の地中化やせせらぎ水路を整備するなど景観の保全に力を入れている。

季節通信144松のコモ巻き

引用

有楽苑の飛び石

 「千利休は渡り六分に景気(景色)四分、古田織部は渡り四分に景気六分」と言ったという。「渡り」とは歩きやすさであり、「景気」とは美しさのことである。庭の園路の中で、「飛び石」や「延べ段」は「用」にも「美」にも重要な役割を果たしている。
 犬山城の東にある「有楽苑」は、国宝「如庵」を擁する名園である。「如庵」は織田有楽斎が、京都・建仁寺の正伝院に、元和4年(1618)に建てた茶室である。訳あってこの地に移築されたが、庭園も有楽好みがそのまま移されたものである。(2020・4・26「国宝・如庵」参照)

有楽苑マップ

 この名園には何度も訪れているが、その度に飛び石の美しさに感動する。苑内には「如庵」を始め、「書院」や「元庵」「弘庵」といった茶室が建てられているが、それらを結ぶ動線にデザインの良い飛び石や延べ段が設えてあるのだ。用も美も備えた通路である。
 有楽苑発行の案内図をお借りして、飛び石・延べ段・霰こぼし(小石を敷き詰めたもの)などの位置と写真を掲載する。「岩栖門(いわすもん)」から入って、「旧正伝院書院」から「含翠門」へ、「弘庵」から「萱門」をくぐって「書院」、「如庵」に至る。最後は「有楽好みの井筒」である。

有楽苑G

有楽苑H

犬山城下「旧奥村邸」の庭園

 犬山城下には、古いお屋敷がたくさん残っている。その中に「旧奥村邸」がある。この建物は、江戸時代の呉服商・奥村氏の住宅である。天保13年(1842)の犬山大火の直後に建設された。瓦葺の二階建てで、壁は黒い漆喰塗りである。
 明治32年(1899)に大規模な修復が行われたが江戸後期の町屋の形態を留めており、貴重な文化遺産といえる。庭園も往時の様子を色濃く残している。門をくぐると右側に玄関があり、飛び石に導かれて真っ直ぐに進むと、塀に囲まれた中庭に至る。

なりたG

 手入れの行き届いた庭木や草花、蘚(こけ)が美しい。各種の灯籠や手水鉢も年代を感じさせる。水琴窟の蹲踞もある。土蔵の横に「銀明水」が湧き出ている。これは木曽川の伏流水で、織田信長が武田勝頼攻めのときに立ち寄って、この水を飲んだと伝えられている。
 建物は、江戸末期の主屋・棟門・米蔵、大正時代までに建てられた金庫蔵・道具蔵・離れ・納屋・渡り廊下・東高塀の9件が登録有形文化財に登録されている。現在、フランチ創作料理の「なり多」として営業している。

なりたH

季節通信137猿


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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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