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蟹江の「御葭橋(みよしばし)」

 7月2日のこのブログに間違いがありましたので、訂正させていただきます。タイトルとマップのところで、「飾橋」と記しましたがそれは1本下流の橋で、この橋は「御葭橋(みよしばし)」でした。読者の方からのご指摘で分かりました。ありがとうございました。

 また 「尾張名所図絵」 ですが、蟹江川のほとりに建つ 「冨吉建速神社・八剱社」 の説明看板に掲げられていました。この図は 「須成祭」 の様子で、大きな木造船に櫓が組まれ、そこに提灯をドーム状に取り付けた 「巻藁舟(まきわらぶね)」 の姿が描かれています。沿岸にも多くの観覧者がいて、たくさんの小舟からも祭りを楽しむ人たちを見ることができます。
 この神社は、奈良時代に建立されたと伝承され、平安末期には木曽義仲に縁があったとして有名でした。しかし、天正12年 (1584) の蟹江城の戦いにより消失してしまい、その後再建されたといいます。「須成祭」 の歴史も古く、「寛文村々覚書」 (1660年代) にも、舟が出ていたことが記録されています。

飾橋G

 神社の少し下流に、朱色に塗られたユニークな橋が架かっています。三角形のトラス型の柱は、橋を巻き上げるための装置です。須成祭の巻藁舟や車楽船が通るときだけに橋を上に揚げます。昭和58年に完成しました。
 「須成」 の地名は、川が運んだ砂が積もってできあがった洲 (沙) という意味で、洲成、沙成、砂成となり、今の須成になったといわれています。「須成祭」 は平成24年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに平成28年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

蟹江 みよしばし

鐘楼の玉石積

 信長街道に面して、善敬寺 (ぜんきょうじ) というお寺がある。山門を入ってすぐ左に立派な鐘楼があるのだが、その台座となる石積みが素晴らしい。大振りな玉石を、楕円形の4面を削って (はつって)、頑丈に組み合わせている。
 多くは花崗岩だと思われるが、中には極端に白っぽいものや、鉄錆のような色をした石も混ざっている。中央の一番目立つところに、五弁の花を模ったようなシンボリックな石がはめ込まれている。住職の指示によるものか、石工のこだわりなのか分からないが、石垣作りの心意気が伝わってくる。

鐘楼G

 玉石は川を流された割れ石が、長年に亘る水の力で角が取れ、丸くなったものと認識している。小さな砂利やソフトボール大の玉石なら有りうると思うのだが、これほど大きな石が最下流部のこの地まで到達するのだろうか? それとも上流部の玉石を舟などで運んで来たのであろうか?
 堂卯を巡る細い通路に板石が貼ってある。途中、緩やかに方向を変えるように曲げて造られている。茶庭などの庭造りに使われる手法で、眺めの気分の変化を狙っており、設計者の美意識を感ずることができる。境内に夏の到来を告げるノウゼンカズラが、橙色の花を咲かせていた。

鐘楼マップ

蟹江宝蓮寺「イブキの大木」

 蟹江川に沿って、「信長街道」 と呼ばれる細い道がある。若かりし織田信長 (19歳のころ) が、清洲攻めのときに通っていった道だと伝えられている。この昔ながらの道沿いには、お寺や神社、小さな祠や古木・大木がたくさんある。
 JR関西線の南側、蟹江川の右岸に 「宝蓮寺」 という浄土真宗大谷派の古刹がある。山門に蓋いかぶさるような大木が見えたので、中へ入ってみた。イブキ (ビャクシン) である。幹の直径は1m、高さは10mを越えると思われるほどの大木である。観光案内書には、樹齢200年以上と記されている。

蟹江イブキマップ

 イブキはヒノキ科の針葉樹で、東北地方から南の太平洋岸に自生する植物である。海岸沿いの崖地など厳しい環境では地を這うように伸びるが、条件の良いお寺などでは堂々とした樹形になる。
 この木も、根元を踏まないように保護されており、幹や太枝がうねるように伸びて荒々しい姿を見せている。イブキは昔から庭園樹として用いられたため、多くの園芸品種が作出されている。「カイズカイブキ」 もそのひとつで、枝が旋回して (ひねって) 伸びる性質をもち、住宅の生垣や中央分離帯の街路樹などとして多く使われている。

蟹江イブキG



季節通信10ネムノキ

蟹江の造り酒屋

 蟹江川流域は、木曽川や庄内川の三角州であり、砂などの堆積した沖積層の地層である。そのため、川沿いには豊富な伏流水が湧き出ている。また、この地域は原料となる米の産地であり、名古屋という大消費地にも近い。さらに蟹江川は、原材料や製品の運搬にも便利であった。すなわち酒造りの条件が満たされているのである。
 明治の初めごろには、蟹江町内だけでも10数軒もの造り酒屋があったという。現在でも2社のメーカーが生産・販売を続けている。

蟹江造酒屋マップ

 蟹江川のすぐ西側には、人工的な日光川が流れ、それに絡みつくように、古い佐屋川が蛇行しながら流れている。蟹江川の流れは比較的緩く、川岸の堤防もコンクリートで固められ、運河の様相を呈している。堤防に向かって登る坂道沿いに、明治以来の造り酒屋の土蔵や黒壁の板塀が連なっていた。
 直売もしている酒屋に入っていくと、通路脇に酒樽ならぬ酒造タンクが並んでいた。そのひとつに11、698リットルとの文字が書かれている。一升瓶 (1.8リットル) に換算すると約650本にもなる。大正時代の記録には、年間約360キロリットルもの製造をしていたという。

蟹江造酒屋G


季節通信12「竹」

蟹江の「飾橋(かざりばし)」

 また 「尾張名所図絵」 ですが、蟹江川のほとりに建つ 「冨吉建速神社・八剱社」 の説明看板に掲げられていました。この図は 「須成祭」 の様子で、大きな木造船に櫓が組まれ、そこに提灯をドーム状に取り付けた 「巻藁舟(まきわらぶね)」 の姿が描かれています。沿岸にも多くの観覧者がいて、たくさんの小舟からも祭りを楽しむ人たちを見ることができます。
 この神社は、奈良時代に建立されたと伝承され、平安末期には木曽義仲に縁があったとして有名でした。しかし、天正12年 (1584) の蟹江城の戦いにより消失してしまい、その後再建されたといいます。「須成祭」 の歴史も古く、「寛文村々覚書」 (1660年代) にも、舟が出ていたことが記録されています。

飾橋G

 神社の少し下流に、朱色に塗られたユニークな橋が架かっています。三角形のトラス型の柱は、橋を巻き上げるための装置です。須成祭の巻藁舟や車楽船が通るときだけに橋を上に揚げます。昭和58年に完成しました。
 「須成」 の地名は、川が運んだ砂が積もってできあがった洲 (沙) という意味で、洲成、沙成、砂成となり、今の須成になったといわれています。「須成祭」 は平成24年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに平成28年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

飾橋マップ

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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