fc2ブログ

Latest Entries

四日市の「思案橋」と常滑の「腰掛石」

 ブログを10年も書いていると(760回発信)、面白いことに出会う。四日市旧港西の「思案橋」という謂われのある橋を取材したところ、徳川家康がここで思案に暮れたことからの命名とのこと。それを聞いて、常滑の「正住院」というお寺に、家康の「腰掛石」があったことを思い出した。
 天正10年(1582)6月、家康は安土で織田信長のもてなしを受けた後、堺でくつろいだ遊覧の旅をしていた。そこに、京都・本能寺で信長が明智光秀に殺されたとの知らせが入ったのである。身の危険を感じた家康は、伊賀の山越えをして三河・岡崎に逃げ帰る道を選んだ。

思案橋G

 何とか山賊の攻撃などを凌いで、伊勢の国・四日市に到着したのがこの地である。昔は、「築地」と呼ばれる港の入口の州浜であったという。そこに架かる土橋の上で、陸路を行った方が良いのか、海路を舟に乗った方が助かるのか思案したのだという。
 現在は、広くなった道路の両側にモニュメントとしての「思案橋」が造られている。橋のたもとにはヤナギの古木も植えてある。
 何とか無事に伊勢湾を渡った家康は、尾張の国の常滑に上陸した。その港近くのお寺・正住院で、ホッとして座った石が「家康公腰掛の石」(2018・5・31参照)として伝わっているのである。

家康の石G

季節通信43フタバアオイ

顕正寺山門とつんつく橋

 四日市あすなろう鉄道・内部線(2014・9・17参照)・日永駅の西に、面白い2つの施設がある。ひとつは顕正寺山門であり、もう一つは天白川に架かる「つんつく橋」である。この辺りは、四日市港と鈴鹿山系御在所岳・鎌ヶ岳の中間地点に位置する平野である。
 顕正寺の山門は、寺院には似つかわしくない形をしている。「高麗門」という形式で、通常は城郭の門として設置される。2本の本柱の上に切妻屋根が載り、控え柱の上にも切妻の小屋根を載せている。元は鈴鹿の神戸城にあった門を、明治9年(1876)に移築したものだという。

つんつく橋マップ

 「つんつく橋」は何の変哲もないコンクリート橋である。架かる天白川も小さな川で、橋長も長くなく幅員も左右一車線と歩道で構成されている。しかし、高覧に面白いレリーフが添えられている。「日永つんつく踊り」を描いた作品である。
 この踊りは、日永地区に古くから伝わる郷土色豊かな踊りである。その起源については、滝川一益の命により、母親の隠居所あるいは天白川の堤防を築くための「地固め」のときに歌ったのが始まりとの伝承がある。今でも、6月第一土曜日に両聖寺境内で、保存会を中心に開催されている。(踊りの写真は四日市観光協会のホームページから転載した)

つんつく橋G

臨港橋と末広橋梁

 港には、船が着岸したり荷物を運搬したりする突堤や運阿が張り巡らされている。陸側の末広町と出島の千歳町の間に千歳運河が流れている。この運河を跨ぐ道路と鉄道に、2つの珍しい「跳ね橋」が架かっている。(前回のマップ参照)
 鉄道は四日市駅から枝分かれした臨港線で、出島に渡ってから二手に分かれて島の先端まで運行する。跳ね橋は「末広橋梁」という(下の写真=2013・07・08参照)。この日は平日だったので、橋は跳ね上がったままで列車が運行するときだけに下ろされる。(休日はその逆)

臨港橋

 道路に架かる橋は「臨港橋」という。こちらは常時は車が通れるように閉っていて、船舶が通る時だけ70度跳ね上がる。橋の中央付近にある機械室に管理人がいて、船が近づくと操作するシステムになっている。その人の話によると、通行回数は1日に数件だという。
 現在の橋は3代目で、平成3年(1991)に完成した。初代は昭和6年(1931)だという。親柱は、地元の焼き物「万古焼」のタイルが貼ってある。可動部の手すりに斜めの切れ目がある。いろいろな方角から時間をかけて写真を撮っていたが、残念ながら跳ね上がるシーンを見ることはできなかった。

季節通信171エゴノキ




四日市旧港の相生橋と水門

 明治時代に開港した四日市港(旧港)は面積的には小さく、広大に展開している現在の港湾の中では極一部の区域でしかない。しかし、現在も稼働しているばかりでなく、歴史的に重要な「旧港」として大切に保存されている。もちろん新しい施設も加わって、新旧相俟って機能を維持している。
 旧港の奥まった運河は、現在はプレジャーボートの繋留場となっている。諏訪新道が運河を跨ぐところに「相生橋」が架かっている。平成7年(1995)に完成した。3連のアーチ橋で、水面に映る姿も美しい。親柱や欄干、照明塔も凝ったデザインである。

四・相生橋G

 運河の出入り口には水門が設置してある。船舶が通行できる高さまで、ゲートが開くようになっている。この地区の海抜は、2.4mとの表記がある。2mほどのコンクリート堤防が巡らせてあるが、いざ津波が押寄せれば乗り越えてしまうかもしれない。出入り口には、防潮扉が備えられている。
 明治時代に造られた「潮吹き防波堤」(2013・07・02参照)は、海側が埋め立てられてオイルタンクが立地しており、そのユニークな機能は失われているが、現物が保存されていて四日市港の歴史の “証人” となっている。旧港の小さな入り江も現役で、何艘かの漁船が停泊していた。

四・水門マップ

四日市港ポートビルと隣接する公園

 いなばポートラインは、「四日市港ポートビル」の手前で平面道路に着地する。このビルは高さ100mの超高層ビルで、四日市港管理組合や港湾関係企業などが入居している。12階にはカフェや応接室があり、喫茶や食事ができる。
 14階の展望室「うみてらす14」に上ると、港湾の地形やコンビナートの工場群などが一望できる。天気の良い日には、西には鈴鹿山脈や養老山地を、東には名古屋のビル群を遠望することができる。夜間には、照明の点いたビルや工場が美しいという。

四日市ポートビルG

 駐車場からポートビルへのアプローチは、背の高いココヤシの並木道になっている。ビスタの先の玄関前に、シンボリックな彫刻が設置してある。作品名は「帆」、作者は津高校出身の福井美奈である。1999年に、開港100周年記念として制作された。
 眼下に2つの公園のみどりが見える。霞港公園(かすみみなとこうえん)とシドニー公園である。野外ステージと観客席ともなる芝生広場、ローラー滑り台などの大型遊具がある。ビルと公園を結ぶ直線の橋は「ポートブリッジ」、公園と公園との間の曲線の橋は「シスパブリッジ」と呼ぶ。

季節通信172オリーブ



▲ページトップ

Appendix

カレンダー

05 | 2022/06 | 07
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

コンパクト月別アーカイブ

最新記事

         

建設・補償コンサルタント

プロフィール

FC2USER480348EQK

Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
FC2ブログへようこそ!

最新トラックバック

        

検索フォーム

QRコード

QR
▲ページトップ