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ワイルドフラワー・ガーデン

 「ワイルドフラワー」 を直訳すると 「野生の花」 という意味になるが、ここでは、種蒔きにより花壇をつくる造園手法をいう。園芸品種や外国産の植物も混ぜられているが、野性的な雰囲気をもつ草花の種を使用する。もともとはアメリカで発達した景観形成技術で、公園やインターチェンジなどの広い区域を、やや粗放的な管理により美しい花畑にしようとする手法である。
 潮見埠頭・新名古屋火力発電所の構内に 「名古屋港ワイルドフラワーガーデン」 がある。愛称は 「ブルーボネット」 と呼ぶ。園名のとおり、ワイルドフラワーをテーマにした自然風庭園で、季節ごとに色々な花を鑑賞できる22の小庭園で構成されている。

ワイルドフラワーA

 平成14年4月に、創立50周年を迎えた中部電力の記念事業として開園した。緩やかな流れのある 「花の谷」 を中心に、500種類を越える樹木や草花が栽培されている。園内のあちこちには、お洒落な園芸を目指して、色の組み合わせや植物の性質に配慮した花壇・コンテナ (鉢植え)・ハンギングバスケットなどが飾られている。
 面積は約4haとあまり広くはないが、きめ細かい手入れが施されているので、園芸好きな人々が数多く訪れる。また、明るく見通しがいいので、デイサービスのお年寄りたちの来園も多い。伊勢湾岸道路のインターから近く、金山や新瑞橋からの直通バスもあり、駐車場も充分に広いけれど、都心からの距離が遠く感ぜられるのか、入場者は年間8万人ほどと伸び悩んでいる。
 私ごとですが、平成19年から5年間、このガーデンで仕事をさせていただきました。
 ≪このブログに張ってあるバナー「園長さんのガーデンライフ」を参照してください≫

ワイルドフラワーB

火力発電所の煙突

 伊勢湾岸道路の潮見インターチェンジを降りると、そこは潮見埠頭である。この埠頭は昭和5年に、名古屋港では初めて 「危険物取扱区域」 として約30haを埋め立ててできた人工島である。昭和36年には210haに拡張され、石油など危険物用屋外貯蔵タンクが立地するエネルギー基地として完成する。
 この埋立地の5分の1、約43haは名古屋市内唯一の火力発電所になっている。「新名古屋火力発電所」 と呼ぶ。昭和34年に石炭火力として営業運転を開始し、昭和39年に6号機を完成した時点では、発電量125万KWに達して、東洋一の火力発電所となった。昭和47年には、燃料を石炭から石油に転換し、煙突も3本集合で紅白に塗装されたもの (高さ220m) に造り変えた。

発電所煙突マップ

 平成5年からは、燃料をLNG (液化天然ガス) に切り替えながら、6号機までの古い発電機を廃止・更新するリフレッシュ事業を開始する。新しい発電設備は、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた 「コンバインドサイクル発電」 という方式で、熱効率が良く、エネルギー資源の節約と環境への負荷を低減できる優れものである。平成10年には7号機が完成し、平成20年には8号機が稼動を始めて、現在では約700万KWの電力を供給している。
 最新の煙突は景観にも配慮し、あたかも高層ビルのようなイメージである。高さは150m。

発電所煙突F

伊勢湾岸道路「名港トリトン」

 伊勢湾岸道路を西に向かい名古屋港に差し掛かると、ローマ字の 「A」 の形をした橋が見えてくる。これは、東海市から名古屋市の潮見埠頭へと渡り、さらに金城埠頭、飛島村へと渡る3本の橋梁で、全体が 「トリトン」 という愛称で呼ばれている。形式は全て3径間斜張橋で、ケーブルを支える2本づつの柱が見えているのである。
 最初の 「東大橋」 は全長700m、青色に塗られている。真ん中の 「中央大橋」 は最も長大で1170m、白色である。「西大橋」 だけは東西の車線が別々のため、赤い4本の柱で構成されており、長さは758mである。3本をあわせると、2628mもの長い橋である。

トリトン マップ

 柱の高さが最も高いのは中央大橋で195mもあり、名古屋のテレビ等 (180m) よりも高い。大型船に必要な海面からの高さも中央大橋が最大で、満潮時の最高潮位から47mである。軟弱地盤の上での建設だったため、なるべく重量を軽減するような設計になっている。橋桁は耐風安全のため薄型扁平な六角形であり、伊勢湾台風級の強風や予測される大地震・津波にも耐えられるような強度を備えている。
 国内外から入港する船舶のゲートであり、高速道路のシンボルでもあることから、美しい3色 (トリコロル) に塗られており、夜間は、季節ごとに色を変えるライトアップが行なわれている。
 4枚の写真は走る車の中から撮影したが、進むにしたがって姿が変わるのも魅力のひとつである。

トリトンG

東京駅

 道路の起点は日本橋であるが、鉄道の起点は東京駅である。東海道本線・同新幹線、東北本線・同新幹線の始発駅になっている。また、乗換えをせずに全国32の都道府県と直結し、1日の発着数が3000回という巨大なハブ・ステーションである。そのためのプラットホームが、JR線だけで14面28線もあるという。
 東海道線の新橋・神戸間が全線開通したのは、明治22年 (1889) のことである。ちょうどその頃、私鉄の日本鉄道が上野・青森間の東北本線を建設していた。そこで、新橋と上野を高架鉄道で結ぶ事業が計画され、その途中の中央停車場として 「東京駅」 が建設されたのである。完成は大正3年 (1914) 12月であった。

東京駅E

 駅の正面玄関 (丸の内側) は皇居の正面に当たり、国家の象徴的な事業と位置づけられた。設計は、当時もっとも力量のある建築家・辰野金吾と葛西萬司に委ねられた。白い御影石で縁取りされた赤レンガ造りの3階建て、長さ330m面積約9500㎡である。
 昭和20年 (1945 )5月の東京大空襲の際に焼夷弾が直撃し、大火災となって鉄骨造りの屋根は焼け落ちてしまった。昭和22年に修復した建物は、2階建てでドーム屋根でなく、八角形の木造屋根であった。平成になって、創建当時の形態に復元しようとの都民の思いが募り、平成19年から5年をかけて工事が行なわれ、平成24年10月1日に完成を見ることができた。この費用約500億円は、低層であるために余剰となった上空の容積率、いわゆる 「空中権」 を周辺の高層ビルに移転することにより捻出できたという。

東京駅F

日本国道路元標と東京市道路元標

 Mile-post あるいは Mile-stone というのは、マイル標石とか里程標という意味である。日本橋の橋詰め広場に、「日本道路元標」 と記されたブロンズのプレートが設置されている。その説明版の英訳には、「Zero Milestone in Japan」 と書かれている。日本のゼロマイル標石の意味になる。
 日本橋は、慶長8年 (1603) に架けられ、幕府により五街道の起点と定められた。日本各地への距離はここから測られることになっている。プレートの横に石造りの距離標が置かれていて、ちなみに横浜市29km、名古屋市370km、京都市503km、鹿児島市1469kmなどと刻まれている。

道路元標マップ

 広場の真ん中に、瓦斯塔を模したようなモニュメント (上の写真) が建っていて、柱に 「東京市道路元標」 と記されている。実はこの元標の方が歴史は古く、明治44年 (1911) に日本橋が石造りに架け替えられたとき、橋の中央に設置されたものである。しかし、昭和47年 (1972) に今の位置に移設され、その跡地に 「日本道路原標」 が埋設された。そのプレートは地下にあるので見ることはできない。前述のプレート (下の写真) は、その複製である。
 平成11年 (1999) に、米寿を迎えた 「日本橋」 と 「東京市道路元標」 は国の重要文化財に指定された。

道路元標A
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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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