FC2ブログ

Latest Entries

名古屋城のカヤ

 名古屋城の正門をくぐってすぐ左のところに、ボリューム感のある古木が見える。高さ16m、幹周り8mもの巨木で、国の天然記念物に指定されている。樹齢600年と推定されていることから、名古屋城築城の慶長15年(1610)以前から生えていたことになる。
 元和元年(1615)の「大坂夏の陣」は初代藩主・義直の初陣であったが、武運を祈願してカヤの実を食膳に載せたといわれている。以来、尾張藩では、毎年正月祝いの主君の膳に供されたという。

名城カヤG

 カヤは、葉の先端が鋭い棘になる常緑針葉樹である。雌雄異株で雌の木にしか実が成らないが、この木は雌樹である。城内にはオニグルミの林もあるが、これらのカロリーの高いナッツ(木の実)は籠城の際の非常食として保存されていたものと思われる。
 昭和20年(1945)の名古屋城炎上のときにはこのカヤも火を浴びたが、幸いなことに枯損には至らず、今も旺盛な樹勢を保っている。株の根元には、「天然記念物 名古屋城の榧」と記した石柱があり、その隣に木製の説明板が立っている。

名城カヤH


季節通信40甘茶

名古屋城本丸御殿

 名古屋城・本丸御殿の復元が完成した。昭和20年の大空襲で天守閣とともに焼け落ち、長く礎石だけしか見られない状態が続いてきた。平成21年から復元工事が始まり、昨年6月に完成したのである。天守閣に連なる小天守の東、ま新しい素木の建物がそれである。
 復元に当たっては、昭和初期に作られた実測図が残っていたのが幸いし、江戸時代の文献なども駆使して史実に忠実な建物が再現された。近世書院造りで総面積3100㎡にもおよぶ。屋根は「こけら葺き」、杉板を薄く割って竹釘で打ち付けて重ねていく。

本丸御殿マップ

 当初は、慶長20年(1615)に尾張藩主の住居かつ藩の政庁として、徳川家康の命により建てられたものである。尾張藩は、初代義直(家康の九男)が木曽山を拝領したこともあって、木曽の桧をふんだんに使用することができた。今回も木曽桧をたくさん使っている。
 下左は玄関の車寄、中へ入ると「一之間」「二之間」があり、来訪者を威圧するような虎や豹の襖絵がある。奥にある「上洛殿」(下右)は三代将軍・家光上洛に合わせて増築した建物で、贅を尽したつくりとなっている。格天井、欄間、襖絵などの豪華さに圧倒されそうになる。

本丸御殿G


花見通信3お花見

妙仙寺山門と臥龍の松

 岩崎城の東隣に丹羽氏の菩提寺「妙仙寺」がある。城址公園には、明治40年に妙仙寺和尚の記した「古城の趾」という石碑が立っている。落城の日の4月9日には、討死した城兵の慰霊祭が今も続けられているという。
 妙仙寺の山門は、三間一戸の楼門の形式である。楼門とは二階を持つ門をいう。寛政5年(1793)に再建された後、数度の改修を受けながら今日に至っている。幕末のころ、赤穂四十七士の姿を描く天井画が張られたが、今は取り外されて当寺に保存されている。

妙仙寺マップ

 山門を入り、本堂へと進む石畳の右に見事な松の木がある。まるで龍が横たわっているような姿をしているので「臥龍の松」と呼ぶ。高さ6.7m、枝張りは約12m、幹周りはなんと2.5mもある。日進市にあるクロマツでは最も巨木で、樹齢は400年と推定されている。
 巨樹の周りは、踏圧によって根が傷まないように、御影石の柱とチェーンによる柵が施されている。枝は多くの支柱丸太により保護されている。その丸太の根元に御影石の台座が据えてあるが、水がたまって腐らないように、排水用の切れ込みが入っている。古木を大切にする心とデザインマインドが垣間見えて、素晴らしい文化財だと感じた。

妙仙寺G

岩崎城跡

 岩崎川は、日進市と長久手市の境・県農業試験場あたりに端を発し、日進市役所近くで天白川と合流する。岩崎川北の小高い丘の上に岩崎城跡があり、現在は「岩崎城址公園」として整備されている。
 城跡に登ると、眼下に岩崎川・天白川流域の平地が広がるのを見ることができる。現在は、名古屋市東隣りの住宅地として、多くの家々が建ち並んでいる。しかし、往時は激しい戦いの行なわれた地であった。

岩崎城G

 天正12年(1584)、羽柴(豊臣)秀吉と織田・徳川連合軍が戦った「小牧長久手の合戦」において、連合軍方についた丹羽氏はこの城の留守を預かっていた。そこへ秀吉方の池田隊が攻め込み、守備の城兵全員が討ち死にしたのである。
 以後、この城は廃城となり、そのままの形で荒れ果ててしまった。昭和59年、落城400年の記念大祭が行なわれたのを機に、歴史公園とする方針が決まった。今もわずかに形態を残す空堀などを保存しつつ、天守閣や歴史記念館などが新しくつくられている。

岩崎城マップ

瀬戸のホフマン工事

 アメリゴ・ホフマン(1875~1945)は、イタリア生まれの森林学者である。明治37年に招かれ、東京帝国大学の教師として治山工事などを指導した。明治42年(1909)に帰国した後、イタリア森林庁林野局の総局長などを務めている。
 当時尾張地方、特に瀬戸一帯にはハゲ山が広がっていた。陶土の採掘や窯での燃料として森林が伐採されたのである。愛知県がハゲ山復旧のための設計を東京帝国大学農科大学に依頼したところ、2人の学生の卒業論文が提出され、その方針に従って治山工事が進められた。

ホフマン工事G

 この設計は、ホフマンが指導したので、彼の名を採って「ホフマン工事」と呼ばれている。この工事は、5か所の「土堰堤」と45か所の「柳柵」を設置するものである。当時オーストリアやフランスなどで用いられていた手法で、山肌への植栽は行なわず、侵食や崩壊を防ぐだけで、自然に森林を蘇生する方策である。
 この地を歩いてみると、今はマツやコナラなどの雑木林が広がっており、赤土や粘土の地肌を見ることはできない。現在では、さらに進化した治山技術が行なわれているが、ホフマンの工事はその後の発展に大きな影響を与えたと言われている。(写真は全て、現地の説明看板から転用)

ホフマン工事マップ


季節通信38杉花粉
▲ページトップ

Appendix

カレンダー

03 | 2019/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

コンパクト月別アーカイブ

最新記事

         

建設・補償コンサルタント

ランキングに参加しています!

プロフィール

FC2USER480348EQK

Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
FC2ブログへようこそ!

最新トラックバック

        

検索フォーム

QRコード

QR
▲ページトップ