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名古屋城の三の丸庭園

 名古屋城の三の丸には、県庁や市役所、国の機関など、いわゆる官庁が集積している。「官庁街」と称する。その南東角、外堀が直角に曲がる所に名古屋市公館があり、その南に日本庭園がある。「三の丸庭園」という。
 名古屋市の迎賓館である公館の南から石畳(延段)があり、鄙びた枝折戸を潜ると古式豊かな庭園が広がっている。土塁の上の鬱蒼とした森に包まれているので、気付く人も少なく訪れる人数も多くない。隠れた名園と言えるかも知れない。

三の丸庭園

 ルーツを辿ると、明治時代に設置されていた陸軍将校のクラブ「偕行社」の前庭だったという。茶道の宗匠が設計し、地元の造園家が施工したものである。手前には大きな平石を使用した飛び石があり、枯山水の池の奥には滝石組みが配されている。石橋や築山にも巨石が使用されている、
 しかし、それらの豪壮な庭石を見ると、名古屋城二の丸庭園の古図に描かれたものと一致するものがある。特に舟形の石は、間違いなく二の丸庭園のものだろうと考えられている。二の丸跡(今は県体育館)には陸軍第六連隊の兵舎があった。連隊の将校たちが、二の丸庭園を壊したのである。


季節通信91スイセン

安祥城址と歴史博物館

 安祥城の築城の年代は古く、室町時代の永享年間(1429~1441)ごろと考えられている。碧海台地東縁部の半島状の高台に位置していて、周りを湿田に囲まれた天然の要害である。戦国時代には松平氏の居城となり、織田氏との間で数度の攻防があったと伝えられている。
 その後、松平氏の本拠は岡崎に移され、江戸時代は廃城となり畑になっていたという。寛政4年(1792)に了雲院(大乗寺)が移転してきて現在に至っている。城跡全体は現在、安祥城址公園として一般に開放されている。お堀だったかつての地形を生かして、起伏や池のある景観を造っている。

安城歴史博物館

 公園に隣接して、安城市の公民館、歴史博物館、埋蔵文化財センター、市民ギャラリーが設置されている。安城市内には約250か所もの遺跡が知られていて、開発行為などにともなって発掘調査が行われる。出土した遺物は埋蔵文化財センターに保存され、研究・展示が行われる。
 歴史博物館は、矢作川流域の政治・経済・文化に関する資料を展示している。展示室中央に飾られる「人面文壺形土器」は、市内で出土した弥生時代終末期の焼き物である。中央に入れ墨のある人の顔が描かれているが、これほどはっきりとしたものは全国にも例がなく、国の重要文化財に指定されている。

明治川神社と永安寺「雲竜の松」

 国道1号、名鉄新安城駅の北に、功績のあった偉人を祀る、由緒ある神社とお寺がある。
 「明治川神社」は、明治用水の通水を祝って創建された神社である。この用水は水不足に悩む碧海台地の人々が、江戸時代より望んだ開発であるが、完成したのは明治13年(1880)になってからである。
 明治用水については、2016年7月27日から3回に亘って、このブログで取り上げているのでご覧いただきたい。明治川神社は「大水上祖神(みくまりのおやのかみ)」始め三柱の水に由縁の深い神々を祀るとともに、明治用水開発に功績のあった4人の偉人を合祀している。

明治川神社マップ

 永安寺は、山門と本堂に加えて、門の前に地蔵堂があるのみの小さなお寺である。その由来書によると、江戸初期のころ刈谷藩から村に対し、宿場へ人馬を提供する「助郷役」が命じられた。庄屋は、村の窮状を訴えて免除を願い出た。宝永5年(1677)、彼は直訴の罪で死罪を賜ったという。 
 しかし願いは届けられ、村の助郷役は免除になった。村人たちは庄屋に感謝し、彼の旧宅に草庵を建立したが、後にお寺として整えられた。目を見張るのは境内いっぱいに広がった松である。高さは低く3方へ長い枝が伸びている。根元の幹は太く地を這っているため風に強く、350年も生き延びている。


季節通信90冬の花

ハンガリー平原の牧畜

 中央アジア・ウラル山脈あたりのステップ地帯にいた遊牧騎馬民族マジャール人が、4世紀ごろから西に移動を始め、10世紀初め東ヨーロッパにハンガリー王国を打ち立てた。「ゲルマン民族大移動」の原因という。ハンガリー平原では、今も遊牧生活の名残りを見ることができる。
 5年ほど前ハンガリーを訪ねた時に、大草原を体験することができた(遊牧民の案内で騎乗しているのは筆者)。はるかかなたに、日本では出会うことのない地平線が見える。馬を思うままに操る騎馬民族の見事なデモンステーションも見ることができた。

ハンガリー平原

 馬に乗りながら飼育するのは羊・山羊・豚(イノシシ)、それに牛である。ここでは、日本では見たことのない様々な種類の牛が放牧されている。名前は聞きそびれたが角の長い白い牛、沼地で水浴びをしているのは水牛の仲間であろう。
 牛には胃袋が4つあり、何度も繰り返し噛むことにより草を消化する。反芻動物という。この仲間にはウシ・ヤギ・ヒツジなどがある。カモシカは「シカ」とはいうが、ウシに近い仲間である。ウシの分類はややこしいがホルスタインなどの乳牛と黒毛和種などの肉牛に分けることができる。


季節通信89ロウバイ

天満宮の牛

 2021年の始まりです。昨年は新型コロナの蔓延など、明るい年だったとは言えません。今年こそ、太陽が輝くような明るい良い年にしたいものです。新年とは言え、人の混雑するような大きな寺社への初詣は憚られてしまいます。近所の氏神様か菩提寺への参拝にしようと思います。
 私は、子供の受験生時代にお参りしたのをきっかけに、毎年、岡崎にある「岩津天神」に初詣することにしていました(今年は行けません)。天満宮は、菅原道真公を祭神とする学問の神社として、多くの人たちに親しまれています。全国に1万2000もの天満宮があるそうです。

天満宮の牛2

 天満宮には必ずと言っていいほど、道真に縁の深い「牛」の像があります。牛の体を撫でると頭が良くなったり、病気が治るなどのご利益があるそうです。上の写真は岩津天神の牛、下は京都・北野天満宮の牛の写真です。
 天満宮にはもう一つ、梅の木が付き物です。「東風(こち)ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」(宝物集)、九州・大宰府に左遷となった道真が京を偲んで詠いました。今年は丑年ですので、牛の話題から始めました。
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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