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岡崎城下・5つの橋 その2

②潜水橋
 乙川のこのあたりは、高水敷が公園になっている。大雨以外のときは、芝生や広場で遊ぶことができる。もちろん桜のシーズンには、多くの人々がシートなどを広げてお花見を楽しんでいる。この公園の左岸と右岸を結んでいるのが「潜水橋」である。
  「潜水橋」は、「沈下橋」あるいは「もぐり橋」とも呼ばれる。大雨などによる洪水時に、川の水中に潜ってしまう橋をいう。堤防の上をつなぐ橋に比べて短い距離で橋ができるメリットはあるが、洪水時には使えない。
 橋に物が絡んで水流を阻害するというデメリットもある。「もぐり橋」の中には転落防止の柵がないものもあるがこの橋には手すり柵がある。洪水時にはゴミや草木などが引っかからないように、柵を倒すことにより水流の妨げを避ける構造になっている。

潜水橋G

季節通信151アオキ




岡崎城下・5つの橋

 ♪♪五万石でも岡崎様は アー ヨイコノシャンセ お城下まで舟が着く ションガイナ・・・♪♪
 江戸小唄・端唄に詠われている。江戸時代、岡崎藩は家康誕生の地として別格の扱いを受けて繁栄を誇っていた。人と物の動きも頻繁で、陸路としては東海道がお城の北を走っている。
 矢作川・乙川は外堀の役目もあるが、水運としても重要であったのだろう。三河湾から矢作川を経て、乙川により「お城下」まで船便が往航していた。

◆岡崎城の南を流れる乙川(別名:菅生川)に、面白い橋がいくつかあるのでご紹介しましょう。
◆下流から・・・①名鉄本線菅生川橋梁 ②潜水橋 ③殿橋 ④桜城橋 ⑤明代橋 です。
◆いずれも歩いて廻れる距離にありますので、桜の時季などに見て廻ることをお勧めします。

乙川の橋

① 名鉄本線・菅生川橋梁
 「乙川」は、またの名を「菅生川(すごうがわ)」というので「菅生川橋梁」と呼ぶ。ちなみに道路に架かるものは「橋」といい、鉄道のものは「橋梁」という。
 この橋梁は、名鉄の前身である「愛知電気鐵道株式会社」が大正12年(1923)に建設したものである。この鉄道会社は明治43年(1910)に設立され、愛知県南東部で事業を展開したが、昭和10年(1935)に「名岐鉄道」と合併して「名古屋鉄道(名鉄)」となった。

乙川①G

岡崎市東公園の観月橋

 岡崎城から東へ3kmほどの、平野が終わって山地にかかる辺りに「東公園」がある。面積約27haの総合公園、紅葉や桜の名所であり動物園もある。池は元々農業用のため池で、カモなどが飛来する自然豊かな景観を保っている。橋で渡る浮御堂があり、池側から樹林などを見ることができる。
 池に連続して花菖蒲園がある。6月には100品種・1万株の花を楽しむことができる。桜・動物園・
浮御堂・花菖蒲園と並べてみると、名古屋の鶴舞公園(昭和12年まで動物園があった)に似ていると思う。開園が昭和3年(1928)と古く、この時代の郊外型総合公園の類型なのかもしれない。

東公園修正

 瓢箪池の窪んだところに木製の太鼓橋「観月橋」が架かっているのも鶴舞(胡蝶池の鈴菜橋=今はコンクリート製)と共通である。池岸にはたくさんのカエデが植えられていて、太鼓橋から見る秋の紅葉は見事である。名の通りこの橋からは綺麗な月が見られるのだろう。池に映るのかも知れない。
 橋脚まで木製の橋を管理するのは大変である。何年かごとに大補修あるいは架け替えをする必要があろう。しかし、和風の庭園景観の中では、橋そのものが添景物としての役割をもっている。観光の名所でも、木製の橋が大きな意味をもつところがある。例えば伊勢神宮の「宇治橋」(2016・5・26参照)や京都の「三条大橋」(2018・6・20参照)などが有名である。

季節通信149冬の渡り鳥

長良大橋と犀川制水樋門

 ニューヨーク・ウォール街で昭和4年(1927)に起こった株の大暴落をきっかけに、世界大恐慌が始まった。その影響を受け、日本経済も大混乱を巻き起こした。政府は積極的な財政支出を推進し、農村を中心に大規模な公共土木工事を行なったのである。
 長良大橋の建設は、失業者への救済対策のひとつとして行われた。昭和8年完成。全長約385m、幅員15mの曲線ワーレントラス橋である。当初は、鉄道も併用する予定であったので、リベットを多用した重厚な構造となっている。橋の上から上流を眺めると、左側に墨俣城を見ることができる。

長良大橋G

 「墨俣城」いわゆる「一夜城」は、永禄9年(1566)織田信長の美濃攻めの際、木下藤吉郎が短期間に築いたという。河川を越えて敵方に造る拠点を「橋頭堡」という。この砦を足掛かりに信長は美濃攻めを成功させる。藤吉郎の出世ストーリーである。
 (水際にお城の形の歴史博物館が建っている。ただ、名古屋城や大垣城に似た天守閣の形態は、
  歴史考察的にいかがなものだろう?)
 五六川は、犀川と合流したのち長良川に注ぐ。下の写真は、本流と並行して流れる水路の水をコントロールするための樋門である。鉄筋コンクリート造り、昭和9年(1934)に完成した。後方に見えるのは本流との間の水門である。

犀川樋門G

季節通信148トナカイ


犬山城崖下の橋と隧道

 犬山城は、木曽川から切り立った崖の上に聳えている。船で着岸して攻めようにも、鎧兜を着て崖を登ることは不可能であろう。そのような崖を切り裂いて、昭和4年(1929)に観光のための道路が造られた。城の東には、濠を兼ねた郷瀬川が流れている。その河口部に「彩雲橋」が架けられた。
 岩盤をコンクリートで補足しながら橋台と橋脚を築く。鉄材は、鉄道のレールを利用している。2連のアーチ橋、緑色に塗装された瀟洒なデザインである。橋上を走っていると、手すりがコンクリート製なので、ごく平凡な橋にしか見えない。しかし下から眺めると、3mほどの滝とともに一服の絵画のようである。今年、土木学会選奨の土木遺産に認定された。

犬山の橋G

 一方通行の狭い道を西に進むとトンネルがある。長さ20mほど、幅も高さも2.5mほどと小さな「隧道」であるが、何と手掘りで穿ったものである。トンネルの壁はモルタルなどが塗られておらず、岩盤が剥き出しである。ここの地層はチャートと呼ばれる堆積岩であり、その褶曲を見ることができる。
 このトンネルは、道路開通のために掘ったものではなく、名古屋市が木曽川から水道を引くため造った取水口を管理するために穿ったものである(大正3年完成)。現在は使われていないが、水門のローラーゲートが今も残されている(写真の矢印)。観光道路整備に当たり、この古いトンネルが利用されたのである。

犬山隧道GG

季節通信142スズランノキ

④前橋

 今も使用されている橋が1つあった。「前橋」という。「どんぐりの湯」から国道153号をさらに北へ進み、長野との県境・大野瀬トンネルの手前にある。現在の「新前橋」を渡ったすぐの左側に見ることができる。矢作川の支流・野入川に架かる橋である。大正8年に開通した。
 橋長約17m、幅員4mのRC開腹アーチ橋である。橋のたもとに木製の看板があって、そこに建設中の写真が掲げられている。足場に支えられた、まだ型枠の残るコンクリートアーチが写っている。橋台は、がっしりした石積みで出来ている。建設に携わった人たちも写っている。

前橋マップ

 看板には、映画「星めぐりの町」撮影の模様が説明してある。監督・黒土三男により、小林稔侍・荒井陽太・壇蜜などが出演している。各地の映画祭でグランプリを受賞した名作である。豊田市一帯でロケが行われたが、大野瀬町の「前橋」は、映画を象徴するシーンとして何度も登場するという。

前橋G

◆◆これで4つの橋の報告を終わります。共通して感じることは、100年以上の橋がよくぞ残されたとの思いです。新しい橋が完成すれば、古い橋は“御用済み”となり、撤去されたかもしれません。地域の人々の愛着があったのでしょう。今、豊田市が修繕を検討しています。映画撮影に使われたように、古い橋なりの活かされ方が見つかればいいと思います。◆◆

季節通信135ミズヒキ

③ウルシゼ橋

 道の駅「どんぐりの里いなぶ」を過ぎてトンネルをくぐり、最初の信号交差点で左に曲がる。しばらく進んで「川手トンネル」の直前で右に折れる。トンネルができるまでは、この道路が主要な道であったのであろう。現在も地域の「どんぐりバス」が走行している。
 さらに古い路線に「ウルシゼ橋」が架かっている。この橋も通行禁止になっている。「RC開腹アーチ橋」、橋長約28m、幅員3.4m、開通は大正7年である。「開腹」というのは、アーチの上部に柱を立てて隙間をつくり、透けて見える構造を言う。コンクリートなどで充填されているものは「充腹アーチ橋」と呼ぶ。

ウルシデ橋G

 4つの橋の中で、唯一河原に降りて写真を撮ることができた。橋台・アーチ・柱・梁・橋面・手すりまで全てコンクリートで出来ている。下から概観を眺めたところ、100年以上経過しているのに鉄筋などの剥き出しなどを見ることができない。よほど丁寧に工事をしたのであろう。
 川手トンネルは、“愛知県で唯一のメロディートンネル”という個性をもっている。車が走行速度を守って走ると、タイヤとの摩擦で音楽が鳴る。曲目は「どんぐりころころ」である。ただし、恵那方面に向かう車だけが聞くことができる。入り口の壁にもどんぐりや紅葉の絵が描いてあった。

ウルシデ橋マップ

季節通信132コンニャク


②真弓橋

 道の駅「どんぐりの里いなぶ」は、ちょうど名古屋と飯田の中間地点にあるので利用者が多く、いつ行っても駐車場は満車である。駐車場の一部に、オートバイ専用部分が広くある。153号線は、バイクによるツーリングにも人気があるのであろう。自転車によるサイクリングもよく走っている。
 どんぐりの湯の少し手前に、旧道との別れ道がある。旧道を進むと稲武の市街地へ入っていく。今の道は、混雑を避けるために造られたバイパスである。旧道の脇に、さらに古くて細い道がある。この道がかつての「飯田街道」であり、そこに老朽化したアーチ橋「真弓橋」が架かっている。

真弓橋マップ

 ご紹介するこのシリーズは、全て「RC開腹アーチ橋」である。大正中期、同じ設計者によるものと思われる。真弓橋は大正8年の開通、橋長20m、幅員4mである。かつてはここを路線バスが走っていたという。現在は、最寄りの住民が手を加えて、人だけが通行可能になっている。
 川の下流から眺めると、“昔橋”の上に旧道の橋が見え(写真で車が走行)、さらに上流に現在の橋が見える。右上の写真は、江戸時代からの中馬街道である。この地点では4本の新旧道路を見ることができる。「道路」こそ、世帯交代しながらも人に使い続けられる「生活文化」だと感じた。

季節通信141稲刈り


①郡界橋

 名古屋から飯田へは、高速道路を使うより国道153号を走る方が好きだ。時間は1時間ほど余分にかかるが、何と言っても景色が良い。春の花はウメから始まってサクラ類、フジ、アジサイに至るまで多様で多彩である。夏の濃い緑、秋の紅葉も素晴らしいし適度なカーブもドライブの楽しみである。
 伊勢神トンネルを抜けると、急なカーブに差し掛かかり橋を渡る。上流側に気になる橋が見える。いつも車を止めて見てみたいとは思いながら、一度も果たしたことがない。今回は、橋の取材なので初めて実現した。

郡界橋G

 旧の「郡界橋」、古びたコンクリートは苔むして路面には雑草が生い茂っている。もちろん使用禁止の通行止めである。東海地方最古のコンクリート開腹アーチ橋。大正6年(1917)の開通で、新城の「黄楊橋」(1919)よりも古い。≪2014・9・24「新城の黄楊橋」参照)
 橋長約25m、幅員約4mである。北設楽郡・稲武町と東加茂郡・足助町の境を流れる段戸川に架かるので「郡界橋」と名付けられたのであろう。今は合併により、両町とも豊田市に属す。郡界橋から下流側を見ると、建設中の新トンネルに繋がる新橋が見える。

季節通信133栗きんとん

稲武の古い4橋めぐり

 豊田市は、近代文化遺産に指定されている古い4つの橋の修繕検討に着手したという。4つの橋は、国道153号線沿い、伊勢神トンネルを越えた辺りから長野県との県境辺りまでの間に点在している。
 このような橋や、それを大切に考えて修繕するということは、まさに「土木文化」だと考えられるので、早速、取材することとした。次回から4回にわたって報告します。

① 郡界橋≪小田川町川入≫・・・伊勢神トンネルを出て、最初の急カーブの右側
② 真弓橋≪御所貝津町屋沼≫・・・道の駅「どんぐりの湯」の手前を旧道に入ったところ
③ ウルシゼ橋≪川手町ウルシゼ≫・・・稲武の交差点を恵那の方へ曲がった先
④ 前橋≪大野瀬町日カゲ≫・・・長野県との県境の大野瀬トンネルの手前

稲武橋マップ

 153号線、いわゆる飯田街道(三州街道)は、名古屋と飯田を結ぶ道。海辺から山地へ塩を運ぶので「塩の道」とも呼ばれている。江戸時代の街道から、明治・大正の近代化、さらに拡幅整備が重ねられてきた。伊勢神トンネルを例にすれば、①峠の杣道 ②伊世賀美隧道 ③伊勢神トンネル ④そして現在新しいトンネルの整備をしている。4つの橋についても「昔」「旧」「新」の3本を見ることができる。 【2018・11・10「伊世賀美隧道と伊勢神トンネル」参照】

稲武橋G
   ◆写真は、≪伊勢神峠の中馬街道≫≪伊世賀美隧道≫≪新しいトンネルにつなぐ橋≫◆

山崎川の石川橋

 鶴舞公園の北側、名古屋大学病院との間の道を歩いていて、公園入口の車止めに変った石柱2本を見つけた。片側には「いしかわ・・・」とあり、もう一方には「昭和十年・・・」とある。深く埋められたためその下の文字は読めないが、おそらく「いしかわはし」と「昭和十年〇〇月」であろう。
 古い欄干の親柱が新しい橋の架け替えによって撤去され、その再利用として公園の車止めになったものと思われる。石川橋は、昭和区の瑞穂区との境界近くにある。八事への街道(八事古道?)が山崎川を跨ぐ地点に架かる橋である。往時は、八事興正寺に参詣する人で賑わったという。

石川橋G

 現在の橋は、親柱に照明塔があり、橋の中央に半円形のデッキをもつお洒落なデザインである。桜で有名な山崎川に相応しく、ここからも桜並木を眺めることができる。平日の午後であったが、自転車の家族連れや犬を連れて散歩する人を見かけた。

石川橋マップ

 山崎川は平和公園の猫ヶ洞池を源流に、御器所台地と八事丘陵の間の谷を流れる渓流で名古屋港に注ぐ。石川橋を渡ると、丘陵へ昇る急な坂道となる。このあたりを「壇渓」と呼ぶ。「壇渓」は、三国志の英雄・劉備玄徳が危機に陥った時、名馬の跳躍によって脱出したという川の名と同じである。

季節通信110トクサ


衣浦大橋 その2

 国道247号は、名古屋市熱田を出て知多半島を一周したのち三河に渡り、西尾・蒲郡を経て豊橋に至る。知多半島から三河へ渡るのは、半田亀崎と高浜を結ぶ「衣浦大橋」である。上下線(東行きと西行き)は別々の橋でいずれも2車線である。(2013・4・16の記事参照)
 西行きの下りは、鋼床箱桁の平凡な景観(旧橋の景観を阻害しない配慮かもしれない)で、1978年に交通渋滞緩和のために建設された。橋長413m、幅員11m。現在、高浜方面からの侵入をスムーズにするため、左折レーンのための専用橋を整備中である。

衣浦大橋マップ

 亀崎から高浜へ渡る上り線は、昭和31年(1956)に開通した古い橋である。日本で初めての海に架かる橋であり、「夢の架け橋」と呼ばれていた。全長412m(当初は650m)、幅員8.9mである。型式はトラス橋であるが、4か所の高い波があるところに特色がある。
 先日の新聞で、老朽化したので架け替えのための予備設計を行う旨の記事を読んだ。すでに65年近い年月を経ているので仕方ないこととは思う。ただ、当時亀崎小学校4年生で、「開通祝賀の旗振り行事」に参加した私としては、例えば歩行者・自転車専用道などとして残せないものかと願うものである。

衣浦大橋G



尾張大橋と立田のハス

 国道1号(東海道)が木曽川を渡る橋を、「尾張大橋」という。すぐ上流を近鉄名古屋線とJR関西本線が走っていて、2本の鉄橋も合わせて見ることができる。昭和5年に着工し昭和8年(1933)に完成した。
 長さ約880m、幅は7.5m。2車線の道路であるが、今では広いとは言えない。型式は13連の「下部ランガートラス」である。トラスを上弦のアーチで吊り下げる構造で、当時としては最高の技術を駆使しているという。塗装の色はグレーで、形ともども落ち着いた雰囲気を見せている。

尾張大橋G

 尾張大橋から5kmほど北、県道125号・佐屋多度線に道の駅がある。その隣に「森川花はす田」があり、今を盛りとハスの花が咲いていた。「立田の蓮根(れんこん)」と言われるように、この辺りは日本有数のレンコン産地であるのだ。
 弥富市からここまで(愛西市)の間にも、点々とハス栽培の田があった。「森川」は観光用でもあるので、多品種のハスを栽培していて花色も豊富である。今年はコロナの影響かもしれないが、10年前に訪れた時には、背丈より高いハスの花を見るために、階段を登る木製デッキが出来ていた。

立田の蓮根


季節通信14ハス


上高地の河童橋

 上高地は、焼岳火山群白谷山の噴火活動により梓川が堰き止められてできた、長さ10km・最大幅1kmの堆積平野である。大正時代にも同様の火山噴火があり、大正池ができた。水没した針葉樹が枯れ姿のまま湖の中に立つ、特異な風景をつくっている。(下右の写真)
 上高地は、日本山岳界のメッカであり北アルプス登山の入り口である。ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹やシラビソ・トウヒといった常緑針葉樹の平地林が横尾までつづき、そこから唐沢までは急な登りになる。唐沢には、学生時代に1か月滞在したことがある。松本営林署のアルバイトで「自然保護監視員」だった。
上高地G

 上高地のシンボルが「河童橋」である。上流側には岳沢から穂高連峰、下流には焼岳が見える。全長37m、幅3.1m、カラマツ材でできた吊り橋である。明治24年(1891)に初めて整備され、その後20年ほどごとに架け変えられて、現在は平成9年にできた5代目である。
 「河童橋」の名前の由来は諸説あるが、“昔ここに河童が住みそうな深い淵があったため”というのが一番もっともらしい。橋の周辺には、登山者たちのキャンプ施設や山岳救助隊の基地などがひしめきあっている。ホテルや売店もあるが、その中に「河童の休憩所」というのもあった。


季節通信71落葉松
 


渡月橋

♪♪化野(あだしの)をぬけて清滝へ向かう 祇園祭りの遠ばやしを・・・
  渡月(とげつ)の橋を渡りきるまでは 振り向いちゃいけない・・・♪♪
谷村新司作詞・作曲による「祇園祭」冒頭の歌詞である。我々の年代には印象深い歌である。
 地名そのものにもイメージが浮かんでくる。歌になる町は羨ましい。残念ながら名古屋や愛知は良い歌が少ない。私見であるが“3文字”は詩になりにくいのかも知れない。ヨコハマは“黄昏”だし、ナガサキは“今日も雨だった”。アイチ、ナゴヤは語呂が悪いのか?あるいは町に情緒が乏しいのか?

渡月橋マップ

 嵯峨野・嵐山といえば「渡月橋」である。いろいろな見どころの中心的な位置にもあるが、何と言っても山々の緑と川の清流が美しい。木製の橋(欄干のみ)も、日本らしい風景にマッチしている。春の新緑(あおもみじ)や秋の紅葉の時期には、歩道いっぱい溢れるように観光客が渡っていく。
 渡月橋より上流を大堰川(保津川)という。橋のたもと、川の右岸に船着き場があり、屋形船に乗れる「嵐山通船」がある。かつて平安時代の貴族たちが舟遊びを楽しんだという伝えがあり、現代人も優雅な行楽ができるという趣向である。夏には鵜飼も行われるという。

渡月橋G


季節通信61椿とアブ

妻籠宿の尾又橋と花飾り

 妻籠宿と並行して流れる川を「蘭川」という。大平峠あたりを源流とし、妻籠を過ぎたところで木曽川に合流する。「蘭」は「あららぎ」と読む。アララギとは、常緑の針葉樹イチイ(一位)の別名である。古代日本では、高官の「笏(しゃく)」の材として使用された。このあたりに自生しているのであろう。
 宿の南はずれ近くに、コンクリート製のアーチ橋が架かっている。「尾又橋」という。銘板に昭和22年竣工の文字が刻まれている。戦後間もない資材の乏しい時代に造られたものと思われ、幅員が狭く車1台がやっとである。隣に木製の橋があり、歩行者はこちらを歩くこととなっている。

妻籠の橋G

 妻籠宿は、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。この制度は、「建物など建造物」を個としてでなく群として保存するという趣旨であるが、私はそれに加えて景観を形成する植物群も重要だと考えている。周辺の自然樹林や中庭などの庭園樹である。
 さらに、軒下に飾られる鉢植えなどの山野草も大切な要素だと思う。宿場町など町屋が連担しているところでも、人々は生活の潤いとして花を育てる気持ちをもっている。これは英国などのハンギングバスケットやコンテナの花飾りに共通した“生活文化”ではないだろうか。

妻籠の花G

江ノ島の橋

 かつて学生時代に、江ノ電に乗ったことがある。鎌倉駅から江の島駅を経由して藤沢駅まで。曲がりくねった線路で、民家の軒先をかすめるように走る。鶴岡八幡宮、長谷の大仏や稲村ケ崎といった歴史を感じながらの旅であった。
 その後何度か、鎌倉観光をしたことはある。しかし江の島は、電車かバスの車窓からしか見たことがなく、縁のない名所であった。今回、赤坂離宮や鶴岡八幡宮などを回るバス旅行で、初めて江の島に渡ることができた。

江ノ島マップ

 陸地近くに島があると、両側から波が寄せて砂を運び、干潮時には砂州により結ばれるという地形は各地に見られる。江の島もその典型であるが、現在は立派な橋が2本架かっている。歩行者・自転車専用の「江ノ島弁天橋」と観光バスも渡れる「江ノ島大橋」である。
 江の島に初めて橋が架かったのは明治24年のこと。ただ木造の簡素なものであったので、津波などにより何度も架け替えが必要であった。立派なコンクリートの橋ができたのは昭和24年の「江ノ島弁天橋」である。昭和39年、東京オリンピック前には「江ノ島大橋」が完成した。
 島には「江島大明神」とも呼ばれる「江島神社」があり、参道のお土産屋さんが賑わっていた。

江ノ島G

そらさんぽ天竜峡

 三遠南信自動車道の天竜峡ICから竜江ICが、11月17日に開通した。さっそく翌日の18日に車で走り、天竜峡ICから千代ICまでを往復してみた。千代ICはハーフ・インターチェンジで、天竜峡方面へは登り降りできるが、竜江方面へは行くことができない。
 その1週間前の10日には、天竜峡大橋が完成し渡り初めが行われた。この橋の下部には人の歩ける通路があり「そらさんぽ天竜峡」と名付けられている。幅は2mほど、両側は天井から床までが網状になっており、外の景色がよく見える。天竜峡ICの駐車場から行くことができる。

そらさんぽ天竜峡G

 橋の中間点が少し広くなっていて、天竜川の真上に当たっている。ここからは、大きく蛇行する峡谷やちょうど色づき始めた雑木林を見ることができる。また、JR飯田線の線路や鉄橋も見える。川面に映る影は、スレンダーな形のアーチ橋の姿そのものである。

季節通信54りんご

三遠南信自動車道「イタチ川大橋」(再掲)

 天竜峡大橋は一足早く、11月10日に開通した。明後日17日には、天竜峡ICから竜江ICまでが開通する。この区間には、3年前の2016年11月21日に掲載した「イタチ川大橋」も含まれている。ユニークな橋ですので、ここに再掲してご紹介します。

 長野県飯田市で行なわれている 「イタチ川大橋」 の工事現場を見学させていただいた。三遠南信自動車道というのは、愛知県三河、静岡県浜松 (遠州) と長野県飯田 (南信州) を結ぶことからの命名である。現在、南からは鳳来峡ICまで、北からは天竜峡ICまで開通しており、それぞれ、その先が工事中となっている。
 飯田では、天竜川を跨ぐ橋と、もう少し山へ入った 「イタチ川」 に架かる橋を整備中である。「イタチ川大橋」 は、一本の橋脚の両側へ片持ち梁を伸ばす 「Tラーメン橋」 という構造である。現在下部工は完成し、梁の左右バランスを取りながら延伸しているところであった。橋脚の高さは約75m、箱桁の長さは206mである。コンクリートの総量は、約2500㎥にもおよぶという。この形式の橋としては全国2番目の長さであると、国道事務所監督官の方から説明していただいた。

イタチ橋A

 作業用のエレベーターに載せていただいて、橋の上に登ることができた。工事用の資材が整然と置かれており、横断幕には安全を喚起するため 「指差呼称で危険ゼロ」 と記してある。高所での作業による転落などの危険も多く、安全に対する厳しい姿勢が伝わってくる。
 橋の上からの景色が素晴らしい。手前の山から天竜川沿いの町や田園を越えて、ピラミッド型の風越山 (飯田の人たちは親しみを込めて 「権現山」 と呼ぶ) や中央アルプスの峰々が見える。道路が完成すれば、春の新緑や秋の紅葉が楽しめるドライブコースになるものと思われる。

イタチ橋マップ


天竜峡大橋とラウンドアバウト

 三遠・南信自動車道の天竜峡ICと千代ICを結ぶ「天竜峡大橋」が、明日11月10日に開通する。期せずして天皇陛下の即位祝賀パレードと同じ日になった。長さ280m、天竜川からの高さは約80mである。この開通により、中央自動車道から喬木方面へのアクセスが格段に便利になる。
 アーチ橋ではあるが、独特のスレンダーなシルエットにデザインされている。これは名勝地「天竜峡」の美しい自然景観との調和を考えたものである。また、車道の真下に歩行者通路が設けられているのも特色である。中間点の展望スポットからは天竜峡の絶景を見渡すことができる。

天竜峡大橋マップ

 天竜峡インターチェンジの一角に新たな「ラウンドアバウト」が整備されている。ロータリーとも呼ぶ信号のない交差点である。国道151号から、天竜峡大橋へ向かう道路と地域道路との交差点に位置する。飯田市では、有名なリンゴ並木近くにも、既に2か所設置されている。
 ヨーロッパ諸国では、郊外の交差点はラウンドアバウトが主流である。交通量も少なく見通しの良い農村地帯では、信号を設置するよりよほど効率的なのであろう。ただ日本では、まだ数も少ないことから運転手が戸惑うことも多く、交差点前にたくさんの注意看板が立っていた。

天竜峡大橋G

◆2年前に、施工中の記事を掲載しましたので、ここに「再掲」します◆

 三遠南信自動車道 (国道474号) は、三河・遠州 (浜松) と南信州 (飯田) を結ぶ、延長約100kmの高規格道路である。飯田方面からは現在、中央自動車道・飯田山本インターから、天竜峡までが共用されているが、その先、龍江へ向けて工事が進んでいる。
 その中でも最も大規模なのは 「天龍峡大橋」 の建設である。来年度の開通を目指して、着々と工事が進んでいる。橋の長さは280m、形式は鋼上式アーチ橋 (バスケットハンドル型固定アーチ) である。架設の方法は、ケーブル工エレクション斜吊り工法という。

天龍峡大橋マップ

 建設場所は、天龍奥三河国定公園の名勝 「天龍峡」 である。天竜川が深く刻み込んだ断崖絶壁が続く渓谷は、新緑・紅葉の美しい風光明媚な観光地である。橋の形状は、渓谷によく調和するように、スレンダーなアーチを採用した。色彩も周辺の景観に馴染むように 「山鳩色」 にする予定である (上の写真:現地に設置された広報看板)。大橋は自動車専用のため自動車しか通行できないが、桁下に幅2mの歩道を設置し、天龍峡周遊歩道の一部として魅力向上を図ることになっている。
 現在、川の両側に仮設の鉄塔が組まれ、ケーブルにより部材を運搬している (下左の写真)。最近、アーチが繋がり、天竜川の上空に完成を予想できるような姿が現れている。散策路途中の吊橋から下流を見ると、橋の下にJR飯田線の鉄橋や 「天龍下り」の船を見ることができる (下右の写真)。
 さらに下の3枚の写真は、天龍峡の渓谷美を写したものである。スリル満点の吊橋は、よくサスペンス・ドラマの舞台として登場する (このブログでも、平成26年8月15日に紹介した)。

天龍峡大橋H

天龍峡大橋I

鹿乗橋

 春日井市と瀬戸市の間、庄内川にかかる古い橋がある。「鹿乗橋(かのりばし)」という。完成は明治43年(1910)、全長73m、幅員が4.5mと狭いので現在は春日井から瀬戸への一方通行となっている。
 解説書などによると、“明治時代に造られた11のスチールアーチ橋のうち、現存するひとつとして貴重な存在”とある。木が茂っていて橋の下部は見づらいが、隙間から眺めてみると鉄ではなく、骨太のコンクリート製のアーチが見える。

鹿乗橋マップ

 この橋は、「メラン工法」という工法で建設されたものである。この工法は、「メラン材」と呼ばれる鋼製アーチをあらかじめ架設しておき、これをコンクリートで巻き上げていくのだという。40年ほど過ぎた昭和26年(1951)に、老朽化してきたアーチ部分をコンクリートで補強もしている。そのためか、全体がコンクリート橋に見える。
 多治見から岡崎の間は、現在は愛知環状鉄道により結ばれているが、かつてはバス路線が走っていた。昭和5年(1930)に、全国初となる省営(鉄道省経営)によるバスが営業を開始したのである。岡崎~多治見間、瀬戸記念橋~高蔵寺間の路線バスが、この鹿乗橋の上を走っていた。

鹿乗橋G

山口県岩国の「錦帯橋」

 錦帯橋が完成したのは、延宝元年 (1673) のことである。その美しさは、江戸時代中期から評判になっていたという。当時の山陽道から外れているのにわざわざ迂回し、見物してから江戸へ向かう参勤交代の大名もいたほどであった。
 現代でも、広島・山口旅行の計画には、ここ岩国が加えられることが多い。ちなみに私の高校修学旅行 (古い!50年以上も昔のこと) は、広島の平和公園、安芸の宮島、そして錦帯橋というコースであった。先だって(6月)広島県で開催された 「日本植物園協会」 の総会・大会に出席した機会に、久しぶりに同じコース巡りをしてみた。

錦帯橋マップ

 岩国の城下町は錦川を挟んで、両側の平野にある。河川が蛇行するところでは、カーブの外側が削られて、内側に土砂を堆積する。山上の岩国城から見ると、堆積平野に家並みが集まっていることがよく分かる。錦帯橋は、両岸の城下町をつなぐためにどうしても必要だったのである。
 しかし、流れの激しい錦川の、川幅200m近いところに橋を掛けることはとても困難な事業であった。藩主吉川広嘉は研究に研究を重ね、明 (中国) の「西湖」の橋をヒントに、5連のアーチ橋を造ることを思い立った。この反り橋の構造は巧妙かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非の打ち所がないと言われている。現在、国の名勝に指定されている。

錦帯橋G


季節通信16ストロー

蟹江の「御葭橋(みよしばし)」

 また 「尾張名所図絵」 ですが、蟹江川のほとりに建つ 「冨吉建速神社・八剱社」 の説明看板に掲げられていました。この図は 「須成祭」 の様子で、大きな木造船に櫓が組まれ、そこに提灯をドーム状に取り付けた 「巻藁舟(まきわらぶね)」 の姿が描かれています。沿岸にも多くの観覧者がいて、たくさんの小舟からも祭りを楽しむ人たちを見ることができます。
 この神社は、奈良時代に建立されたと伝承され、平安末期には木曽義仲に縁があったとして有名でした。しかし、天正12年 (1584) の蟹江城の戦いにより消失してしまい、その後再建されたといいます。「須成祭」 の歴史も古く、「寛文村々覚書」 (1660年代) にも、舟が出ていたことが記録されています。

飾橋G

 神社の少し下流に、朱色に塗られたユニークな橋が架かっています。三角形のトラス型の柱は、橋を巻き上げるための装置です。須成祭の巻藁舟や車楽船が通るときだけに橋を上に揚げます。昭和58年に完成しました。
 「須成」 の地名は、川が運んだ砂が積もってできあがった洲 (沙) という意味で、洲成、沙成、砂成となり、今の須成になったといわれています。「須成祭」 は平成24年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに平成28年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

蟹江 みよしばし

京都三条大橋

 一昨年巡り歩いた旧東海道シリーズの最終段階で、「お江戸日本橋」 についてご紹介した (平成29年3月1日掲載)。ここが東海道五十三次の東の出発点であり、現在は日本の道路元標が置かれている所である。一方で、その終点である 「京都三条大橋」 については、まだ取材しておらずブログ掲載が出来ていなかった。
 今回、京都の庭園視察で訪れた折に、烏丸御池から歩き始めて三条大橋に辿り着くことができた。江戸時代、参勤交代の大名を始め、江戸へ下る人々はここから東海道を歩き始めたのである。橋の下を流れる鴨川の水は、あまり遠くない鞍馬方面の山々から流れ出すので、涼しげで透明である。

三条大橋マップ

 この橋が最初に架けられた年代は明らかではないが、室町時代前期には簡素な構造のものがあったと推定されている。本格的な橋となったのは天正18年 (1590) で、豊臣秀吉の命により大改造が行なわれたと擬宝珠に記録されている。擬宝珠は天正のものと昭和のものが混用されているが、その銘の中に 「天正十八年」 や 「豊臣」 の文字を読み取ることが出来る。
 江戸時代になって東海道の西の起点になると、幕府の公儀橋として維持管理が行われた。元禄以来たびたび改造されてきたが、現在のものは昭和25年に架け替えられたものである。西北の橋詰めに、古い石造りの橋脚が保存・展示されている。

三条大橋G

中川運河の中川橋

 「中川橋」 は、国道23号線が分岐して金城埠頭へ向かう道路が、中川運河を跨ぐ橋である。昭和5年 (1930) に完成しており、名古屋市内では最も古い 「鋼鉄製アーチ橋」 で、長さは48mである。80年以上も経過して老朽化していたが、“景観的にも美しく歴史的にも貴重である” という判断により、車線を増やして再利用することとなった。
 中川運河の最下流部に位置し、ガーデン埠頭に近いので、シートレインランドの観覧車が背景に見える。地下鉄名港線の築地口は、歩いて10分ほどと近い。築地口の交差点に、錨のモニュメントのある噴水がある。この錨は昭和後期に南極観測船として活躍した 「フジ」 のものである。

中川橋マップ

 中川橋の再利用に際しては、橋台の耐震補強をする必要があった。そこで一旦、上流側40mまで橋を移動して新しい土台を構築した。現在は、新しい頑丈な橋台の上に戻されて、橋自体の改修工事まっ最中である。橋の重量は約600トン、大型ジャッキ4台に乗せて、水平を保ちつつ1時間に4メートルという速さで慎重に移動させた。来年の開通を予定している。
 橋の色は鮮やかなオレンジ色、港のシンボルであり、分かりやすいランドマークでもある。新たな橋を新築するよりも費用はかかるかも知れないが、町の魅力を増進するためには素晴らしい方針だったと思われる。

中川橋G

名古屋港の跳上橋

 昨年秋に、名古屋港を船で見学した折 (12月1日に 「ガントリークレーン」 と題してこのブログに掲載)、船中からガーデン埠頭のあたりに、末広橋梁とよく似た跳上橋を遠望した覚えがある。もう1度確認してみようと思い、金山駅周辺の清掃作業 ( 「まちを美しくする会」 の定期活動) の後に名古屋港を訪ねてみた。
 ガーデン埠頭入口にある案内所でマップをもらい、看板図面で位置を確認してから橋があると思われる方向へと歩いていった。堤防沿いがいいと思われたが、工場や倉庫の敷地内になっていて、一般の人では立ち入ることができない。スマホのグーグルマップも見ながら、北側に回りこんで何とか目的地に到達することができた。

名港跳ね上げ橋マップ

 ウィキペディアによれば、この橋は 「名古屋港跳上橋」 と呼ぶとある。説明では、やはり山本卯太郎の設計によるものである。明治42年に、笹島駅と旧2号地の名古屋港駅を結ぶ臨海鉄道・東臨港線が開通した。それを1号地まで延伸するに当たって運河を渡る必要があり、昭和2年 (1927) に運送 (倉庫) 会社の全額寄付により建設されたのだという。橋長63.4m、幅員4.7m。
 当時は頻繁に可動桁が昇降して蒸気機関車や船舶が行き来したが、輸送手段の変遷から次第に使用されなくなり、臨港鉄道そのものが廃線になってしまった。昭和62年からは跳ね上げた状態のまま保存されている。現存する最古の貴重な土木遺産として、平成11年には登録有形文化財に、平成21年には近代化産業遺産に登録されている。
 本体に近い南側へは近づけなかったので見ることが出来なかったのかも知れないけれど、一般道から見ることのできる北側に、説明看板が一つも見当たらなかったのは残念である。

名港跳ね上げ橋G


季節通信「ワラビ」

四日市港の末広橋梁

 明治43年から始まった四日市港修築事業では、埋立てにより末広町と千歳町が出来上がった。その間の水面が千歳運河である。大型船から積み替えられた貨物が、艀 (はしけ) などによりこの運河を行き来した。今も運河の両岸に倉庫が建ち並び、浮き桟橋も設置されている。
 千歳町へは、国鉄線 (JR線) からの引込み線が走っている。この線路が千歳運河を跨ぐのが、「末広橋梁」 である。艀を通すために跳開式の可動橋になっているが、常に跳ね上がった状態で船を通し、列車が来たときだけ橋を降ろすシステムである。下左の写真は運河側から、下右は線路側から見た末広橋梁である。

末広橋梁G

 末広橋梁は、昭和6年 (1931) に架橋されていて、現役としては最古の鉄道可動橋である。全長58m、幅員4mで、全体は5連の桁により構成されている。中央の桁が、第2橋脚の上に建てられた門型鉄柱に、ワイヤーにより跳ね上げられる構造である。第1橋脚の上に小さな小屋があり、この中にいる人により操作される。
 設計は、橋梁コンサルタントとして草分け的存在である山本卯太郎によるものであり、橋梁技術史上も貴重な存在である。また、四日市港の発展の中で、陸上輸送と運河船運が拮抗していた時代状況を物語る土木構造物としても重要な遺産である。現在、国の重要文化財に指定されており、経済産業省からは 「近代化産業遺産」 に認定されている。

末広橋梁マップ

宇賀渓の吊り橋

 員弁川は、鈴鹿山脈と養老山脈の間の平野を流れる川である。鈴鹿山脈北端の御池岳を源流とし、いなべ市や東員町・桑名市を流れて伊勢湾に注ぐ。その中流域の員弁から西に向かう支流・宇賀川が山間部にかかるあたりに 「宇賀渓」 はある。
 宇賀渓キャンプ場の駐車場から見上げると、重なり合った山々の遠くに白い雪を被った竜ヶ岳が見える。宇賀渓は、竜ヶ岳に端を発する宇賀川が花崗岩を浸食してできた渓谷である。数多くの瀑布や深淵、白い砂利の州などがあってハイキングやキャンプ地として人気が高い。

宇賀渓マップ

 遊歩道を登っていくと、いくつかの橋を渡ることとなる。橋の上は視界が開けるので、川原や滝、遠くの山々までの美しい景色を見ることができる。写真左は 「北河内橋」、欄干も含めてコンクリート製で昭和30年に完成した。ここまでは車が通れるが、その先の北河内吊り橋は人のみが通ることができる。昭和31年に開通したこの橋は、延長30m、高さ7m、路面の板張りも簡易で、なかなか冒険心をくすぐる吊り橋である。
 桑名を基点とする国道421号線は、宇賀渓を過ぎるとつづれ折れの石榑峠 (いしぐれとうげ) を越える難所であった。しかし、2011年に延長4.5kmのトンネルができたことにより、八日市や近江八幡方面へ容易に行けるようになった。

宇賀渓G

油皆洞(ゆがいと)橋

 「岐阜の歴史的土木構造物」 という資料でその存在を知り、何とか見てみたいと探したけれどなかなか見つからなかった。道路を右ひだりと何度か行き来した後、地元の方にお聞きしてようやく見つけることができた。八百津町の中心から丸山ダム方面へ向かう町道が、木曽川支流を渡るところにこの貴重な橋は架かっていた。
 「ゆがいと」 とは変わった名前であるが、途中のバス停に 「油皆洞」 という表示があり、橋の銘板に 「油皆洞川」 とあることから、ここの地名であることを知ることができる。木曽川右岸のこの道路は、今の感覚で見れば細い (道の幅は4m程度) が、かつては国道418号に指定されていた。

油皆洞橋G

 左側の親柱には、昭和29年竣工という銘板がある。しかしこの古風な鉄橋は、明治18年ごろにイギリスで製造されたものだという。旧国鉄の東海道線に使われていたものと考えられており、戦後になって転用されたものである。元々が汽車を走らせる設計であることから頑丈な造りとなっていて、トラスには鉄板の補強がされているし、結合部には巨大なボルトが使用されている。
 形式は 「下路平行弦ポニーワーレントラス (ピントラス)」 で、橋長30.5m、幅は3.8mである。周辺の風景には不釣合いなほど骨太な鋼橋であるが、丸山ダム完成の2年前に出来ていることを考えると、資材運搬などと何らかの関連があったのではないかと思われる。

油皆洞橋H

丸山ダムの「のぞみ橋」

 丸山ダムの手前に、今まで見たことの無いような奇妙な形の橋が架かっている。従来型の吊床版橋と違って、下にアーチ構造があるという不思議な形式を採っているのである。これは、PC橋としては不可能とされてきた長スパン (約100m) の橋を実現するために工夫されたもので、橋梁界としては非常に名誉な「田中賞」を平成15年に受賞している。
 田中賞とは、数々の名橋を生み出して橋梁界の育ての親とも呼ばれてきた故田中豊博士を記念して、昭和41年に創設されたものである。のぞみ橋はその高い技術力だけでなく、ユニーク性やデザイン性、さらにはリサイクル可能な経済性も評価されての受賞となった。

のぞみ橋G

 「のぞみ橋」 という名の付いているところをみると、この橋から丸山ダムを望むという意味であろうか。実際に橋を渡っていると、迫力のある丸山ダムがすぐ目の前に見える。のぞみ橋の隣にもう1本、古い吊り橋が架かっているが、この橋からはさらにダムは近い。
 老朽化のうえ幅員も狭いので、車両の通行は禁止されていて、歩行者だけが渡ることができる。主柱に建設の年月を表したプレートが貼り付けてある。昭和22年8月架設と記してあることから、丸山ダム建設 (昭和26年) のために利用されたものと思われる。反対の柱に橋名版も貼り付けてあったが、傷みが激しくて文字を読み取ることはできなかった。

のぞみ橋H

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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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