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安曇野の農場と美術館

 北アルプスの槍ヶ岳や穂高連峰から流れる水を集めて梓川となり、支流を加えて成長したのち犀川となって日本海に注ぐ。犀川の流れる扇状地を安曇野と呼ぶ。早春の安曇野を訪ねたことがある。北アルプス連峰はまだ雪を被っており、田植え準備で水を張る水田にその姿を映していた。
 扇状地を潜って湧き出る清浄な水を利用した「わさび農園」がある。開設されたのは1917年、雑草の生い茂る原野を20年の歳月をかけて完成させたという。谷間の縦方向に、こぶし大の礫を使った畝をつくり、水温12度の冷たい水を1日12万トンも流して栽培する。

安曇野G

 この美しい安曇野の田園には、風景を活かして多くの博物館や美術館、民俗資料館や文学館が立地している。その中の「碌山(ろくざん)美術館」を訪ねた。日本近代彫刻の開拓者・荻原守衛(もりえ=号碌山)の全作品と、彼の友人高村光太郎らの作品を集めた美術館である。
 館内には比較的新しい第一・第二の展示館や個性的な木造のグズベリーハウス(休憩室)などもあるが、何と言っても本館(碌山館)に存在感がある。昭和33年、早稲田大学教授の今井兼次の設計による。安曇野の厳しい自然に耐える北欧風の赤煉瓦づくりとなっている。

安曇野マップ


季節通信63ワサビ



害獣の見張り台

 自然の森にはいろいろな動物が生息している。哺乳類では、イノシシ、シカ、キツネ、ウサギなどである。森に棲んでいる間は人間とも仲良しであるが、森から出て畑の穀物を荒らすとなると害獣として駆除の対象になる。
 森と、牧草地や畑の境に木製の“砦”がある。道路を走ると、どの畑にも1つか2つ佇んでいる。森から出てきたシカやイノシシを銃で撃つための「見張り台」なのである。高さは3mほど、階段とハンターが隠れるための板壁がついている。

ハンターG

 畑の耕作者は、ハンターのグループに作物を守るように依頼する。ハンターたちは交替で見張り番となる。獣はおおむね夜行性なので、当番は夕暮れから深夜におよぶ。私も2度ほど同行した。遠くにシカの姿を見たが、残念ながら発砲のシーンを見ることはできなかった。(ホッとしたかも)
 “砦”は木製なので、数年に一度は造りかえる必要がある。その作業にも参加させていただいた。屈強なハンターたちが、丸太と厚板で組み立てていく。見る見るうちに10数基が完成する。終われば楽しいランチタイムである。私も作業を手伝ったので、偉そうに砦の上で記念撮影!!(矢印)

季節通信62早咲きの桜

ヨーロッパの畑作

 再び航空写真、今度はアップで見てみる。幾何学模様のモザイク画は、ヨーロッパの農村である。濃い緑色と黄みどり色、そして黄土色の3つに分かれている。黒っぽく見える濃い緑は自然の森、黄みどりは牧畜の草地、黄土色が畑である。
 ヨーロッパアルプスを除いて、あまり高い山がないので全体になだらかな丘陵である。畑は、日本の水田のように水平である必要がないので、地形のまま緩やかな傾斜地となっている。季節にもよるが、私の見たのは「ヒマワリ」、「菜の花」、「小麦」であった。いずれも広大で延々とどこまでも続いている。

ヨーロッパの畑 マップ

 オーストリアからチェコに入る辺り、EUになってからは国境での入国審査がないのでどちらか判然としないが、異様な真っ白な畑があった。車を降りて見てみると、驚いたことに「ケシ」である。花は終わってすでに実になっている。幸運にも、ひとつだけ花が残っていたので写真を撮ることができた。
 実の大きさは、卵より少し小さいくらい。白い粉を吹いたような色合いである。私の認識では、ケシはアヘンの原料になるので栽培禁止である。話を聞いてみると、この地方では麻薬を作るためでなく、「芥子粒」として食料にするために栽培しているとのことであった。

ヨーロッパの畑 G

月ヶ瀬の梅林

 「梅」 と言うと「月ヶ瀬」を思い起こす。古い吊り橋を取材するため亀山から加太 (かぶと) あたりを走っているとき、「月ヶ瀬」 が近いことを記した道路標識を見つけた。以前から行ってみたい名所であり、季節も花盛りにぴったりであったので、そちら方面にハンドルを切った。
 名阪国道・奈良県入口の五月橋インターチェンジを降り、五月川 (名張川下流域の名称) 沿いに西に向かうと、その対岸に 「月ヶ瀬の梅林」 が広がっている。1969年、下流に高山ダムができたため現在はダム湖となっているが、かつては深く刻まれたV字谷であった。その急な斜面に梅の木が植えられているので、「月ヶ瀬梅渓」 とも呼ばれている。

月ヶ瀬マップ

 この梅林の歴史は古く、南北朝時代まで遡るという。元弘元年 (1331) に起った元弘の乱で、大敗を喫した後醍醐天皇が笠置山から撤退する折に女官の1人が月ヶ瀬に逃れ、村人に助けられてこの地に滞在した。この女官が熟した梅の実を見て、京で使われる 「紅花」 を作るための 「烏梅」 の製法を教えたという。急斜面で耕作地の少ない斜面では貴重な換金作物であることから、15世紀ごろにはこの一帯は梅林で埋め尽くされたという。現在も1万本以上が栽培されており、国の名勝に指定されている。
 昭和40年ごろに、東山植物園では梅林を整備する計画が持ち上がった。参考にしたのがこの月ヶ瀬で、当時造園係の技師であった今枝俊雄氏が現地を視察し、地形の似た斜面地に梅林を造成したという。

月ヶ瀬G

牧之原の茶畑

 牧之原から島田、菊川一帯には、見事な茶畑が広がっている。遠く富士山を望み、大井川を見下ろす標高40mから200mの台地は、古くは大井川の扇状地であったと考えられている。水はけの良い赤土で弱酸性のこの土地は、水利もないため水田には不向きで、入会地としての草刈場であった。
 この地を開発したのは、明治になってからの徳川家家臣たちである。慶応3年 (1867) に大政奉還した最後の将軍慶喜は、江戸を離れて駿府に隠居することとなった。ともに移住した家臣たちは、明治2年の版籍奉還により職を失い武士を捨てることになる。彼らは一大決心をしてこの荒地を開墾し、幾多の艱難を乗り越えて茶畑をつくったのである。

茶畑B

 年中暖かく、日照時間の長い静岡はチャの生育に適しており、ミカンとともに一大生産地となっている。また、適度な勾配の斜面に、コンターラインを描くよう綺麗に刈り込まれた茶畑は、景観としても美しく 「人と自然が織りなす日本の風景百選」 にも選ばれている。
 茶畑に等間隔で設置された送風機は防霜ファンといい、遅霜による新芽の被害を防ぐため空気を撹拌する装置である。

茶畑マップ

祖父江の銀杏

 祖父江町 (現稲沢市) は、今、町中が黄金色に染まっている。特産品 「ぎんなん」 を採るためのイチョウの木が町中に植えられており、今その黄葉が真っ盛りなのである。この地域は、冬期に伊吹おろしが吹きつけるため、古くから寺社や屋敷の周りにイチョウを植えてきた。100年ほど前から、ぎんなん生産のための栽培が始まり、次第に大粒品種が普及するようになったという。

祖父江1

 イチョウは、太古に繁栄した植物の仲間、現在は1科1属1種しか残っていないので、“生きている化石” といわれている。雌雄異株 (雄花と雌花が別々の木に咲く) であるので、もちろん雌の木にしか実 (ぎんなん) はならない。祖父江では、大きな実のなる木を選択し、接木で増やす品種改良をしてきたのである。ある農家の作業場で、ぎんなんの実の乾燥作業を見せてもらった。

祖父江マップ

新城市 四谷の千枚田

 旧鳳来町大代地区に、見事な棚田がある。田の数1296枚、まさに 「千枚田」 と呼ぶにふさわしい。谷のコンターラインに沿って詰まれた石積みが、標高差200mにも積み重なって、美しい田園風景を形づくっている。
 実はこの棚田は、大災害を乗り越えた農民の底力によって造り出されたものなのである。明治37年 (1904)、20日あまりも降り続いた雨が、「鞍掛山」 (標高883m) と通称「びんぼう山」の谷間に山津波となって流れ、田畑と10戸の家屋を押し流したのである。

鳳来町千枚田A

 11人もの犠牲者を出した大災害であったが、村人たちは鍬とモッコで復興に立ち上がり、何年もかかって荒地を田に変えたのだという。一枚あたりの平均面積は約0.9アール (90㎡)、最も多い人は62枚を耕している。平らで広い所に比べれば作業効率は悪いかもしれないが、地域の人にとっては先人から引き継いだ大切な農地なのである。現在、「鞍掛山麓千枚田保存会」 の方々が、毎月 「四谷の千枚田だより」 を発行するなど、保存活動を展開している。

鳳来町千枚田マップ

能登 輪島の塩田

 昔、地理の授業で先生から “塩はどこで採れるか?” との質問があった。大学受験を終えたばかりの学生たちは教科書どおりに “瀬戸内海” と答えた。しかし・・・“日本が多くの国 (藩) に分かれていた時代には、敵国に塩を譲るわけはなく、どの国も独立して生活必需品 (塩も) を生産していた” というのが正解であった。山国は、海沿いの友好国から塩を送ってもらっていたのだろう。各地に 「塩の道」 (三河から信濃への足助街道など) が存在した。

輪島の塩1

 輪島を過ぎて、さらに半島の先端部へ向かう途中、今も製塩業を営む 「塩田」 があった。世界農業遺産にも認定されている 「揚げ浜式」 と呼ばれる製塩方法である。400年も前から、変わらぬ手作業でつくり続けているという。
 能登の海水を何度も汲み上げては塩田に撒き、濃度の高くなった塩水を長時間じっくりと炊き上げる。カルシウムや無機質の含まれた深い旨みのある塩が採れるという。100年以上使用している鉄の大釜や水撒き用の桶、砂を均すレーキ (?)、出来たての塩も見せていただいた。

輪島の塩2
輪島の塩マップ

能登 白米千枚田

 “耕して天に到る。以って貧なるを知るべし” 雲南省などの険しい耕作地を見て、中国清朝末期の政治家李鴻章が語った言葉である。同じように、急傾斜地に石積や土手を築いて造り上げた田畑が日本にもある。愛媛県宇和島や瀬戸内海の島々に見られる段畑、長野県の姨捨や石川県能登輪島の棚田などである。

能登千枚田2

 能登北岸を走る国道249号線と海岸との間の “崖” に 「白米 (しろよね) 千枚田」 がある。“田が千枚あるというので、数えてみたがどうしても1枚足らない。ふと、蓑 (みの) と笠を取り除いて見たら、そこに1枚隠れていた” という昔話がある。この千枚田も実際に1004枚あり、面積で最も狭いものは0.2㎡だという。
 国道沿いに、狭いけれども駐車スペースや展望広場があり、観光バスは必ず立ち寄るという観光スポットになっている。平成11年に 「日本の棚田100選」 に選ばれ、同13年には 「国の名勝」 に指定された。

2能登千枚田マップ

立田のハス(レンコン)

 愛知県の一番西に位置する愛西市は、平成17年に、佐屋、立田、八開、佐織の4地区が合併してできた町である。その中で、立田地区 (旧立田村) は、全国有数のレンコンの産地として知られている。木曽川下流域の肥沃な湿地帯を利用して、現在、約350haの 「はす田」 があり、年間4000トンを越えるレンコンを生産しているという。

立田のハスA

 立田のハスの花は赤いのが特徴で、「立田の赤蓮」 と呼ばれている。栽培が始まったのは江戸時代、天保年間 (1830~1843) に真宗大谷派の寺院 「陽南寺」 に伝わったのが端緒だという。
 現在、愛西市森川町に、花の観賞ができる 「森川はす田」 が整備されている。人の背丈よりも高いところに咲く花が観やすいように、階段やデッキが設置されている。花の見ごろは7月、花の多く観られる午前中がお勧めである。

立田のハスB

立田のハス マップ

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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