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由比地すべり対策事業 その2

 富士砂防I

  対策事業のもうひとつは 「抑制工」 で、地下水の水位を下げて地すべりの動きを停止もしくは緩和させる方法である。横ボーリング工・集水井・排水トンネルの3つが行なわれている。
「横ボーリング工」・・・地表より削孔・設置したパイプにより、比較的浅い位置の地下水を排除する。
「集水井」・・・井戸の周りに放射状に設置したパイプにより比較的深い位置の地下水を排除する。
「排水トンネル」・・・地すべり面より下の堅固な地層にトンネルを設け、トンネルから設置したパイプに
より地中深い位置の地下水を排除する。

富士砂防K

 今回は、「排水トンネル」 施工中の現場を見学させていただいた。日本に数台しかない 「自由断面掘削機」 を使用するなど、最先端の技術を知ることができた。

富士砂防L

伊世賀美隧道と伊勢神トンネル

 名古屋城下から、三州・足助を経て、信州・飯田へ向かう道を飯田街道という。海岸地方から山国へ塩を運んだので 「塩の道」 といい、馬で運んだので 「中馬街道」 ともいう。現在の路線では、おおむね国道153号線が相当する。
 この山岳道路の中でも最も厳しい難所は、足助と稲武の間の伊勢神峠 (標高約800m) であろう。現在の自動車社会でも、曲がりくねった坂道は容易でないが、馬や徒歩しかなかった時代には大変な苦労であったと思われる。ほっと一息のつける峠の上には、伊勢神宮遥拝所があるという。

伊勢神G

 初めてのトンネル (上の写真) が掘られたのは、明治30年 (1897) のことである。延長308m、全面石張りである。入口の扁額には、読みは同じ “いせがみ” であるが、文字は 「伊世賀美」 と記してある。もともとの地名であろうか。かの幽霊伝説は、つとに有名である。現在も通行可能である。
 今、普通に利用されているのは、昭和35年に開通した2本目である (下の写真)。今度は 「伊勢神トンネル」 となった。最初のは馬車主体であったので、車の大型化には対応できなくなったのである。この2本目も今となっては幅員が狭く高さも低いので、冷凍トラックなどは天井を擦って走っている。そこで、現在3本目のトンネルを建設中である。

伊勢神マップ


鉢地坂隧道と清田の大樟

 国道1号を右に折れ、県道473号を南に向かうと鉢地坂隧道 (はつちざかずいどう) に至る。この道路はかつて、岡崎・本宿と蒲郡とを結ぶ唯一の道であったが、鉢地坂が急峻で通行は難儀であった。昭和8年 (1933) 地元住民の嘆願を受けてトンネルが完成する。延長468m、幅員4.7mで観光バスも行き来したという。
 トンネルを抜けてしばらく行くと、ミカン畑の上空に大きな樹木の頭が見える。車を途中で降り、細い農道を訪ね歩いていくと、驚くほど巨大なクスノキに出会う。「清田の大樟(せいだのおおくす)」という。目通り周り14.3m、高さは22m、樹齢は1000年を越える。中部地方随一の大木といわれ、国の天然記念物に指定されている。

清田の大樟マップ

 明治初期までこの清田一帯は、クスノキの大木が数多く生い茂っていた。しかし、農地開発や宅地造成によりほとんどが伐採され、この1本だけが残されたのだという。一時期樹勢の衰えたこともあったが、樹木医の指導により保全に努めた結果、現在は青々と繁るようになった。
 クスノキには大木・老木が多いが、それには特別な理由がある。クスノキの枝は粘りがなく、少しの強風でパキパキと折れてしまう。そのため大風になる事前に、剪定された樹のように風当たりが少なくなり、倒木を免れるのだという。

清田の大樟G


季節通信24きれいな実

土岐・高山の穴弘法

 土岐・高山城跡は、麓から約60m高いところにある。砂岩でできた急な坂を息を切らせて登っていく。守るに易く、攻めるに厳しい自然の要害である。坂道の途中に少し開けたところがあって、「古城山穴弘法大師」 と記された木柱が立っている。 
 周りが切立った石の壁になっていて、ここだけが平らな地形である。崖からは小さな滝が落ちていて、水は細い流れになっている。全体に湿気があるために、砂岩の割れ目にはシダ植物が繁茂している。

穴弘法マップ

 屋根のように迫り出した大岩の影には小さな祠が建てられている。「本来無一物」 と書かれた扁額の下に石の仏様が安置され、その前に木魚と賽銭箱が置かれていた。その脇の岩のくぼみや大穴の中に数多くの仏様が祀られている。岩が砂岩なので、穴が穿ち易いのであろう。
 説明看板を見ると、「穴弘法は戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を祀っている」 とある。元禄元年(1688)に 「慈光院梵燈寺」 というお寺が建てられたが、二代目住職の後は廃寺となり荒れ果ててしまった。明治になって地元の人々の力で再興され、「穴弘法」 として信仰を集めて今日に至っている。

穴弘法G


季節通信23赤い実


槙原トンネルと乳岩山

 新城市の長篠地区から川合地区に至る、宇連川右岸に沿って走る細い道がある。「望月街道」 と呼ぶ。この道路は、長篠の豪商・望月喜平治が莫大な私財を投じて開設したものである。延長約14km、明治19年 (1886) に完成した。
 望月街道の中でも湯谷から槙原の間は、断崖絶壁が続くため工事は難航した。特に槙原トンネルをくり抜くのには多大な時間を要した。ここの岩は流紋岩で非常に硬いので、当時としては高価な火薬を使用してやっと完成させたという。当初は、馬と人がやっと通れるほどの幅と高さであったが、交通の発達とともに今の大きさに拡大された。

乳岩マップ

 宇連川の支流「乳岩川」を遡ると次第に急な山道となり、時には階段を登ることとなる。目的地は 「乳岩山 (ちいわやま)」、流紋岩質凝灰岩でできている巨大な岩山である。標高は675m。
 流紋岩は火山岩の一種、マグマの流動時に流れ模様をつくることからの命名。凝灰岩は火山灰の堆積でできる堆積岩のことである。乳岩山の南面に大小いくつかの洞窟がある。凝灰岩中に含まれる石灰分が溶け出して乳房状の鍾乳石ができているので「乳岩」 と呼ばれる。国の名勝天然記念物に指定されている。

乳岩G

明治トンネル

 宇津ノ谷峠を越える東海道は、古代からの重要な街道で、峠越えは難所として知られていました。明治7年 (1874)、交通の利便性を向上させるために、地元の有力者が発起人となってトンネル工事を開始しました。難工事は明治9年に完了しましたが、岡部宿側の掘削と丸子宿側の掘削がずれたため、「く」 の字に折れ曲がったトンネルになってしまいました。構造も両側では異なり、丸子側は石積みでしたが、岡部側は角材を合掌造りに組んだものでした。
 日本最初の有料トンネルとして、明治9年11月から使用開始されましたが、明治29年に照明用のカンテラから出火して木製枠組が焼失し、トンネル入口が崩壊してしまいました。現在のトンネルは、明治36年に煉瓦積みで再整備されたものです。

明治トンネルマップ

 今度は直線で約200mの延長、イギリス式の4重煉瓦積み工法で造られました。自動車通行が主流になる昭和5年には、西側に新たなトンネルが完成し、現在は自転車と人だけの通路になっています。高い技術による建設と良好な保存状態が評価されて、現役のトンネルとしては全国初の国登録文化財になりました。
 トンネルの前後はうっそうとした樹林で、日陰に生育するアオキが紅い実をつけていました。坑内の赤い煉瓦壁やカンテラ風の照明などにより、明治時代の雰囲気を味わうことができます。途中、毎日自転車でこの道を通っていると言う人に出会いました。

明治トンネルC

三遠南信自動車道のトンネル工事

 三遠南信自動車道 (一般国道474号) は、長野県飯田市から静岡県浜松市に至る延長約100kmの高規格幹線道路で、中央道と新東名とを連絡する。完成すれば、奥三河・北遠州・南信州の連結が強化され、この地域の発展に大きく寄与することが期待されている。
 その中の佐久間道路は建設途上で、現在、東栄地区第一トンネルが掘られている。このトンネルは北設楽郡東栄町と浜松市佐久間町を結ぶもので、延長約3500mである。昨秋、工事現場を見学させていただいた。トンネル内では掘削機が稼動し、25トンもの大型のダンプカーが行き来しているため、中へ入ることはできなかったが、その力強い工事の模様を想像することはできた。

トンネルA

 トンネル入口の頭の所に、奇妙な造形物があるので現場技師の方に尋ねてみると、安全のためのお守りだという。その意味は、山やトンネルには女性の神様がいるので、男性のシンボルを模って (かたどって) 事故がないようお祀りしているのだと説明してくれた。多くの危険が伴うトンネル工事に携わる人たちの、安全に対する強い思いが表れているのだと感じた。

トンネル マップ

大垣の「ねじりまんぽ」

 「ねじりまんぽ」 については、以前、三重県の三岐鉄道・北勢線でご紹介した (昨年5月7日の記事参照)。トンネル (まんぽ) が線路を斜めに横切っているため、レンガがねじって積まれているのである。トンネルは、幅も高さも2mほどという狭い空間なので、中に入ると吸い込まれてしまうような錯覚を覚える。

大垣ねじりまんぽマップ

 このトンネルは、JR東海道本線大垣駅の3kmほど東にある。電車で行くなら樽見鉄道に乗り、大垣から一駅目の 「東大垣駅」 で降りるとよい。駅から揖斐川までの約500mの間にガードが4か所あるが、3か所は線路を直角にくぐるトンネルなので、レンガはまっすぐに積まれている。

大垣ねじりまんぽ

尾鷲 土井竹林のトンネル

 三重県尾鷲市に、江戸時代からの林業家が育てた有名な竹林がある。「土井竹林」 という。谷あいの肥沃な土地に植えられたことと、年間降水量が4,000mmを越すという気象条件もあって、よそでは見られないほど太いモウソウチクが育っている。中には幹 (竹の場合 「稈」 という) の直径が20cmを越えるものもあって 「おひつ」 まで作ることができるという。

土井竹林2枚

 この竹林は、尾鷲市市街地から西へ向かった丘陵地にある。国道42号線沿いの、広い駐車場を迂回したところに登り口がある。しばらく行くとトンネルがあり、その向こうに竹が見えてくる。このトンネルは、岩盤を手で掘ったものである。土井家への感謝の気持ちから、竹林へ楽に行けるようにと、地域の人々が造ったものだという。

土井竹林
                       
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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