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丸山ダムと丸山発電所

 丸山ダムは、木曽川河口より90kmの地点にある。洪水調整と発電を目的とした多目的ダムで、形式は 「直線重力式コンクリートダム」 という。堤の高さは約98m、頂部の長さは260m、堤の体積は約50万立方メートルである。
 上流2400平方キロから水を集め、湛水面積 (ダム湖の面積) は263haである。流域面積の2400平方キロは、名古屋市域面積326平方キロの7倍以上にも当たることになる。洪水調整機能は約2000万トン、発電に利用できる水量は約1800万トンにも及ぶという。

丸山ダムG

 丸山ダム計画の最初は発電専用であり、戦前の昭和18年に着工の運びとなったが、戦争が激しくなったため翌年には中断されてしまった。戦後になって電力不足が叫ばれるようになり、昭和26年に再着工されることとなった。完成は昭和31年である。この時には、発電だけでなく洪水調整の目的も加えられ、多目的ダムとして生まれ変わったのである。
 丸山ダムは、ダム完成の2年前、昭和29年から稼動を始めている。発電量は12万5千KWであるが、昭和46年に新発電所が加わって18万8千KWに増強されている。

丸山ダムH

火力発電所の煙突

 伊勢湾岸道路の潮見インターチェンジを降りると、そこは潮見埠頭である。この埠頭は昭和5年に、名古屋港では初めて 「危険物取扱区域」 として約30haを埋め立ててできた人工島である。昭和36年には210haに拡張され、石油など危険物用屋外貯蔵タンクが立地するエネルギー基地として完成する。
 この埋立地の5分の1、約43haは名古屋市内唯一の火力発電所になっている。「新名古屋火力発電所」 と呼ぶ。昭和34年に石炭火力として営業運転を開始し、昭和39年に6号機を完成した時点では、発電量125万KWに達して、東洋一の火力発電所となった。昭和47年には、燃料を石炭から石油に転換し、煙突も3本集合で紅白に塗装されたもの (高さ220m) に造り変えた。

発電所煙突マップ

 平成5年からは、燃料をLNG (液化天然ガス) に切り替えながら、6号機までの古い発電機を廃止・更新するリフレッシュ事業を開始する。新しい発電設備は、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた 「コンバインドサイクル発電」 という方式で、熱効率が良く、エネルギー資源の節約と環境への負荷を低減できる優れものである。平成10年には7号機が完成し、平成20年には8号機が稼動を始めて、現在では約700万KWの電力を供給している。
 最新の煙突は景観にも配慮し、あたかも高層ビルのようなイメージである。高さは150m。

発電所煙突F

コウノトリと電柱

 ハンガリーからクロアチアへ向かう道で、コウノトリを見つけた。電信棒 (?) の上に大きな巣があり、ヒナが親鳥の運ぶ餌を待っている。普通3羽ほどというが、右の写真は4羽とまっている。体はほとんど親と同じくらいに成長しているので、その中に親鳥がいるのかもしれない。
 このような風景はさほど珍しいものでなく、屋根の煙突の上などにも時々見かけることがある。ヨーロッパの人たちには、身近に見られる鳥であることから、“人の赤ちゃんはコウノトリが運んでくる” といった、寓話が生まれたのかもしれない。

コウノトリE

 ヨーロッパの農村は、ムギやヒマワリなどの 「畑」 と 「牧草地」、そして 「森」 の3つに分かれている。町は一定の区域内にあって、次の町までの間は農地で隔てられている。町の中心には、ひときわ高い尖塔をもつ教会があり、その前には必ず広場があって、人々の集いの場となっている。
 農村のせいか、まだ古い形式の電柱が残っている。日本のコンクリート電柱はほとんどが、「テーパーポール」 という根元が太く上に行くほど細くなる円柱であるが、こちらは角柱である。丸い型枠に鉄骨を組んでコンクリートを入れ、遠心力をかけて成型するという 「テーパーポール」 の技術ができる以前につくられたものと思われる。

コウノトリF

奈良井ダム(ロックフィルダム)

 奈良井宿から南へ約4km、奈良井川を遡ったところに巨大なロックフィルダムがある。奈良井ダムといい、形成されるダム湖は奈良井湖と呼ぶ。長野県が昭和41年 (1966) に着工し、昭和57年 (1982) に完成させたものである。
 高さ60m、長さ180m、総貯水量は800万立方メートルである。信濃川水系奈良井川の洪水調整、農業や上水道といった利水および発電のための多目的ダムである。下流に奈良井発電所があり、最大出力830kwの発電を行なっている。

奈良井ダムC

 ロックフィルダムは、コンクリートでなく岩石を積み上げて建設する。水が漏れないように、中心部には粘土のコアをつくり、砂や砂利のフィルターで覆った外側に岩石を積み上げる。世界的には、エジプトのアスワン・ハイ・ダムや中国の紫坪埔 (しへいほ) ダムが有名である。日本では、木曽川の徳山ダムや庄川の御母衣ダムなどが知られている。

奈良井ダム マップ
                            ≪長野県土木部発行のリーフレットより作成≫

勘八水管橋と越戸ダム

 国道153号線、大井橋の辺りが 「勘八峡」 である。現在でも、川水に侵食された花崗岩の岩盤を見ることができるが、2kmほど上流の越戸ダムが完成するまでは奇岩・怪石の連続する景勝の地であった。昭和初期までは、観光客相手の筏や遊覧船が往来し、鵜飼も行われる行楽地であったという。
 大井橋のすぐ上流に、赤いアーチ橋が架かっている。歩行者専用の通路になっていて、「矢作川ふれあいてくてくウォーキングコース」 (全長4.1km) の終点に位置づけられている。ただし、この橋の目的は農業用水利であり、歩道の左右に直径60cmの水管が渡されている。正式名称を「豊田幹線水路・勘八水管橋」という。昭和57年に竣工した。

勘八峡マップ

 水管橋の中ごろから上流を眺めると、越戸 (こしど) ダムが見える。昭和元年に着工し、昭和4年 (1929) に完成した。形式は重力式コンクリート、高さ約23m、長さ約120m、堤体の体積は14000㎥である。堰き止めた水は、下流の中部電力越戸発電所に送られている。ダム湖は面積48ha、カヌーやボートのメッカになっている。

勘八峡A

長篠発電所の堰堤と取水路

 長篠発電所の水は、900mほど上流から取り入れている。高さ8m、長さ46mの堰堤で川をせき止め、そこから川沿いの水路により、発電所の真上まで水を運ぶのである。水路は途中733mものずい道を通る。
 寒狭川に建設された発電所は3つ (布里・横川・長篠) あるが、長篠が最も下流に位置し、また最も古く、明治45年に建設された。 “明治時代に建設されたこの堰堤と取水路は、歴史的土木施設として価値が高い” との評価を受け、平成24年に土木学会選奨の土木遺産に認定された。

ナイヤガラA

 堰堤でせき止められた水は取水路を流れて行くが、水量の多いときには水路から溢れて滝のように落下する。越流する水路の長さは約145mもある。真っ白く躍動するその姿はとても美しく、緑濃い山や川沿いの岩肌とともに見事な景観を形成している。愛称の 「ナイヤガラ」 は、滝の姿がナイヤガラの滝のようだからとも言うが、発電所の型式が 「ナイヤガラ型」 だからという説もある。

ナイヤガラ マップ

新城の長篠発電所

 寒狭川 (豊川の別名) は、愛知県東部の段戸山に源を発し、「長篠城」 の南で宇連川と合流した後、豊橋市で三河湾に注ぐ。長篠の城跡から3kmほど遡ったところ、奇岩からなる渓流に 「長篠発電所」 がある。明治45年、当時の豊橋電気株式会社 (現在は中部電力) により運転が開始された。当初は出力500kwであったが、大正3年、出力750kw (住宅150戸分に相当) に増設された。この発電所は今も現役である。

長篠発電所C

 型式は 「ナイヤガラ型」、水車と発電機を縦軸で結び、水を真直下に落として水車を回す構造である。これは、当時最新鋭の米国 「ナイヤガラ発電所」 をモデルとした画期的なもので、我が国では最初に採用されたものである。下の写真は水の落とし口、ここから内径150cmの鉄管を使い、約23m流下させて発電するのである。

長篠発電所マップ

木曽川 読書(よみかき)発電所

 「福沢桃介記念館」 の約2kmほど下流に、「読書発電所」 はあるという。記念館の管理人さんから “険しい山道で、熊が出るかもしれない” と脅されたとおり、最近だれひとり歩いたことは無かろうと思われるような寂しい道である。
 いくつかの脇道に迷い込み、何度か引返しながら何とか1時間ほどで到着した。発電所へ水を送る大口径給水管の最上部である。さすが熊には出会わなかったが、ヤマカガシが道にとぐろを巻いていて肝を冷やした。ここから落差112m下にある発電機に水を落とすのである。

読書発電所1

 「読書発電所」 は、大同電力 (社長は福沢桃介 関西電力の前身) により大正12年 (1923) に完成した。当初は小規模な堰からの水により約4万kwであったが、昭和35年、上流に読書ダムを建設して、現在は約12万kwの発電量である。
 発電所の建物は、鉄筋コンクリート造りでレンガ壁、半円形の明り採り窓を付けるなど大正ロマン・アールデコ様式である。風光明媚な木曽川の景観を壊さないようにとの配慮であろう。この建物は、上流の柿其 (かきぞれ) 水路橋、桃介橋とともに、平成6年に国の重要文化財に指定された。

読書発電所マップ

 「読書」 と書いて “よみかき” と読む。これは、この土地が南木曾町読書 (旧読書村) にあるからである。「読書村」 は明治7年に予川 (よかわ)、水留野 (みどの)、柿其 (かきぞれ) の3村合併時に付けられた名で、それぞれの頭の文字を合わせてつくられた。文明開化のこの時代に “読み書き・算盤” が必要であろうとの思いである。


≪番外編≫ クロアチアの小水力発電所

 一昨年の夏、南欧クロアチアを訪ねた。首都ザグレブから、世界遺産にも指定されているプリトヴィツェ国立公園 (石灰岩でできたカルスト地形、世界一美しいといわれる16の滝が湖をむすんでいる。) に向かう途中、涼しげな小川があったので一休みすることとした。
 川の畔に一軒の農家があり、庭先で子どもが遊んでいる。全体になだらかな流れだが、そこだけが急な早瀬になっていて、瀬の上部に川原石を並べただけの簡単な堰がつくってある。その水はと見てみると、対岸の左岸の方に導かれ、そこに小さな小屋が建っている。

クロアチアA

 鄙びた木橋を渡って小屋を覘いてみると、何か風変わりな構造物が見える。水の段差を利用して、板でつくった樋 (とよ) に水を流し、金属製のプロペラを回すようになっている。たぶん、小型の発電装置なのであろう。かなり老朽化してあちこち壊れているので、今は使っていないものと思われる。集落から離れた一軒家なので、自家発電をしていたのだろうか。

クロアチアB

◆中部地方以外の土木施設につきましても、参考になるものは 「番外編」 として掲載します。

牟呂用水 水力発電所遺構

 牟呂用水最終放水樋管から約1kmほど遡ったところに、赤レンガ造りの樋門が残っている。これは明治時代に造られた、愛知県内初の水力発電所の遺構である。明治27年 (1894 )に豊橋電灯株式会社が設立され、完成したばかりの牟呂用水を利用して発電所を設置することとなった。明治29年に、16燭光 (約20w) の電灯600基分の発電所が完成したのである。

むろ用水発電所A

 しかし、この発電所は水量も少なく出力が不足することから、蒸気機関を使った火力発電方式を併設するなど改良を重ねたものの、明治41年には14年間の操業を終えて閉鎖されてしまった。現在残されているのは、水を堰き止めて、導水路により発電機まで送水するための樋門だけである。平成元年に行われた区画整理のための発掘により、樋門より下流の左岸に発電機の基礎が見つかったが、調査・測量の後に撤去されてしまった。
 100年以上経った現在、自然エネルギーを利用した 「小水力発電」 が検討課題となっている。明治時代の知恵が、再び役に立つ日が来るかもしれない。

むろ用水発電所マップ
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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