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アボガドロ数

 中日新聞夕刊のコラム欄で名古屋大学の先生が、地球惑星科学科の授業について語っている(6月10日の「紙つぶて」)。内径2cm×高さ2cmの水、すなわち6ミリリットルの水の中に2×1兆×2000億の水分子が入っているという。
 1円玉の直径がちょうど2cmであり、それを13枚重ねると約2cmになる。6ミリリットルの体積を視覚的に認識しようとすれば、下の写真になる。この中に4000万京の水分子が数えられるというのだ。地球惑星科学というのは、何万光年という気の遠くなるような広大な世界から、極微な分子までを学問の範囲としているのだろう。

1円玉

 この記事を読んでいて、はるか昔の高校時代に習った物理か化学の授業を思い出した。「アボガドロ数」である。1モル(mol)という単位があり、物質量を示す。分子量の数字にグラムをつけた質量に含まれる物質量をいう。例えば・・・
 水の分子は、H2 Oであるので2+16=18g(18ミリリットル・・・写真の3倍)が1モルの重さである。1モルの中にある分子の数は・・・≪6×10の23乗≫という数を50年以上経った今も覚えている。ついでに、気体の場合には22.4リットルの体積が1モルである(との記憶である)。
 受験のために必死で覚えたのかもしれないが、それ以上に未知の遠大な(極小な)世界に、好奇心的な興味をもったように思う。そうでなく受験用だったら、とっくの昔に忘れ果てたであろう。さらに、「水兵離別バックの船 なあに間があるシップはすぐ来らあ 閣下はスコッチのバクローマン」というのも思い出した。これは、元素の周期表を暗記する呪文である。

元素


季節通信75雨に咲く花

野間大坊の「義朝廟」

 野間大坊を初めて訪れたのは私が小学校を卒業した春休み、先生2人と同級生15人ほどでサイクリングした時である。亀崎から内海までの、かなりの遠出であった。知多半島中央部の、アップダウンの多い道を自転車で走った覚えがある。もう60年近い大昔!のこと。
 その後何度もこの寺を訪れているが、その印象は初めてのときと少しも変わっていない。源頼朝建立ともいわれる大門だが、両袖に塀がないため孤立したイメージである。入母屋造りの本堂も、宝暦4年(1754)建築と古い造りだが、前面に石畳などがないためか何となくシックリした感じがない。全体の伽藍としてのまとまりが欠けているような気がする。

野間マップ

 印象深いのは「義朝の廟」である。石垣に挟まれた小さな門の向こうに多宝塔型の石塔が見え、その周囲にびっしり木刀が積まれている。下の方には古く朽ちかけたものもあり、表面にはまだ新しい木肌を見せるものもある。
 平治元年(1159)、「平治の乱」に敗れて知多半島まで逃れてきた源義朝(頼朝や義経の父)は、縁者のもとに身を寄せたが、裏切りに遭い湯殿で殺されてしまった。この時義朝は“我に木太刀の一本なりともあれば”と無念を叫んだという。この故事から、後の人々が木刀をささげ続けているのである。

野間季節通信73

伊賀上野の「ゆ」

 伊賀上野城や蓑虫庵を歩き回ったので、汗でグッショリ濡れてしまった。着替えをしたいと思ったところに、ちょうど「ゆ」屋を見つけた。最近のスーパー銭湯でなく、昔ながらの銭湯である。
 石造りの門柱に「一乃湯」の文字と温泉マーク「♨」を象ったネオンが掲げられている。細い石張りの通路の先に、ひらがなの「ゆ」の字が紺暖簾に染めつけてある。昭和の古き時代そのままの風情である。

 ♪♪二人で行った横丁の風呂屋 一緒に出ようねって行ったのに いつも私が待たされた・・・♪♪
南こうせつの「神田川」の一節が思い浮かぶ。下駄をカラコロと鳴らす音が聞こえそうだ。
 ちょうど営業時間の4時だったので、誰もいない一番風呂に入ることができた。入り口の「番台」には、福を招くという「福助人形」が座っている。浴室の壁はもちろん富士山を描いたタイル張りだった。(写真はありません)

 裏へ回ると、高いコンクリートの煙突がある。お湯を炊くのは今でも薪であろうか?この煙突は、伊賀上野のシンボルになっているという。カウンターに立派なパンフレットが置いてあった。古い“銭湯文化?”を大切にするご主人の心意気が伝わってくる。

上野「ゆ」G

◆今日6月10日は「時の記念日」、そこで時間に因んだ「季節通信」をお送りします◆

季節通信74時間


石山寺の石と経蔵

 “石山の 石より白し 秋の風”、芭蕉が石川県の那谷寺で詠った。奇岩のある那谷寺の石を詠んだともいうが、“石山寺の石よりも白い”とする説もある。芭蕉は石山寺に一夏を過ごしたことがあるので、どちらの寺にも縁が深いのであろう。
 石山寺は、琵琶湖から流れ出る唯一の川「瀬田川」のほとりにある。本堂は「石山寺珪灰岩」と呼ぶ巨大な岩盤の上に建っている。この岩石は、石灰岩に花崗岩などのマグマが貫入した際にできるもので、非常に珍しく、ここの岩は国の天然記念物になっている。

石山寺マップ

 寺の歴史は非常に古く、聖武天皇の発願により天平19年(747)に創建されたという。平安時代になって、紫式部は石山寺参篭の折に『源氏物語』の着想を得たという伝承がある。本堂の一部に「紫式部源氏の間」という部屋があり、等身大の人形が展示されていた。 近くに、式部の供養塔もある。
 多宝塔や鐘楼など多くの堂宇があるが、その中のひとつに目が留まった。小さな経蔵であるが、校倉造りだろうと思われる。東大寺の正倉院と同じ構造である。東大寺の大仏は聖武天皇の発願で天平17年(745)に制作が開始されたというが、石山寺の創建とも時期を一にしている。

石山寺G


季節通信69十二単

等比級数(トウヒキュウスウ)

◆◆毎日家に居るのも辛いことで、同じことの繰り返しは人の脳を疲れさせるようです。そこで頭に刺激を・・・苦手な人も多い数学で一遊び!!◆◆

 皆さんは曽呂利新左衛門のお話をご存知でしょうか。私たちの子供の頃の少年漫画雑誌(月刊誌)にはなぜか「豊臣もの」が多かったように思います(家康を腹黒い狸親父にしたかった?)。真田十勇士とか豪傑・塙団右衛門(ばんだんえもん)とか。その中に曽呂利新左衛門の逸話がありました。
 彼は太閤・秀吉のお伽衆で、お気に入りの侍だったようです(落語の始祖という説もあります)。あるとき秀吉に“好きなだけ褒美を摂らす”と言われ、それなら“米粒1粒、明日は2粒、毎日倍々で100日間”と。それくらいなら大したことはないと秀吉は思ったけれど、それはとんでもないことに・・・

等比級数G

 今の計算なら、2の99乗ということで大変な量となります。ところが西洋にも同じような話があるのです。チェスを考案した人が王様に褒められ、ご褒美にチェス盤に麦1粒を選びました。チェス盤は8×8なので64桝あります(このお話は、今、日本の高校に留学中の孫娘から教えられました)。

等比級数H

 そこへ麦粒を倍々に乗せていくと2の63乗・・・9,223,372,036,854,775,808粒ということになります。すなわち922京、「京(けい)」は「兆」の1万倍ですから莫大な数。先だって、スーパーコンピューターの名前としても話題になりましたね。

◆◆頭の体操になりましたか? エッ!かえって頭が痛くなった!?◆◆

絵っSAY(エッセイ)

 名古屋市を退職してのち、中部電力の名古屋港ワイルドフラワーガーデン「ブルーボネット」に5年弱勤務しました。その間に「園長さんのガーデンライフ」と題するブログを377回発信しました。これは植物や庭園に関する“よもやま話”です。(同名の本も自費出版しました)

ガーデンライフタイトル

 中電を退職し、中部復建に技術顧問として勤め始めて早や8年にもなります。その間「中部の土木文化見てある記」というこのブログを550回ほど更新しています。すなわち13年間に亘っての“ブロガー”生活を続けていることになります。(仕事ではありますが、ほとんど趣味か生甲斐?の域に達しています)

土木タイトル

 テーマは異なりますが、私のブログには共通することがあります。文章は短めで、必ず写真を添付することです。むしろ、写真が多くを語る主役であり、文章の方が従です。私はこの方式を・・・・・「絵っSAY」と名付けました。絵(写真)が喋るという意味です。
 エッセイ(随筆)と言えるほどのものか否かは読者のご判断にお任せすることにして、本人はそのつもりで書いています。英文学者の福原麟太郎という人が、『叡智の文学』という本の中で次のように述べています。「随筆は知識を書き残すことでなく、意見を吐露することでなく、叡智を人情の乳に溶かしてしたたらせる事である」と。“叡智を人情の乳に溶かす”とは意味深い言葉ですが、私もその心がけでブログを続けていきたいと思っています。

台湾「十分(シーフェン)」のランタン祭り

 2月に台湾を旅した。セントレアからフライト3時間という近い国である。サツマイモのような形をした島で、面積は九州よりも少し小さい。真ん中よりわずか南に北回帰線(夏至に太陽が真上に来る)が通る常夏の国である。2月というのに気温は20℃前後、薄い上着で過ごすことができた。
 台北から1時間くらいの所に「九份(チューフェン)」という町がある。19世紀末に、金の採掘で栄えたが、今は採算が取れず閉山となっている。ところが、「千と千尋の神隠し」の一場面に登場したことで人気となり、日本人も含めた若者で賑わっていた。100段を超える急階段の両側に軒を並べる商店街である。

台湾マップ

 「九份」の隣が「十分」というのも面白い。ここには「平渓線(ピンシーシェン)」というローカル線の駅がある。線路沿いにひしめく雑多なお店が魅力の町である。この町のもう一つの売り物は、ランタン(天燈=テンダン)である。日本では考えられないが、線路の中へ入り込んで遊んでいる。
 ランタンは、三国志の英雄「諸葛孔明」が発明したという。昼の狼煙(のろし)と同じように、夜の通信手段に使用した。竹で丸い枠をつくり、紙の風船をつける。燃料は油紙、火をつけると軽い空気が風船に貯まり、気球のように上昇する。何とも幻想的な風景である。

台湾G


季節通信59ナツメ

諏訪原城跡

 南アルプスは、南へ行くに従って標高を下げ、先端は御前崎となって遠州灘に突き刺さる。東海道は、御前崎まで出っ張っている山地を乗り越えなければならない。牧の原台地から大井川下流の三角州平野ヘは、急な坂道を下っていく。先回の金谷坂の石畳は、まさに急な坂道だった。
 金谷坂を登りきったところに「諏訪原城跡」がある。標高220mほどに立地するこの城は、島田の平野と東からの東海道を見張る絶好の位置にある。甲斐の国から、南の駿河を望む武田信玄が砦を築き、天正元年(1573)に勝頼が家臣に命じて築城した。

諏訪原城マップ

 “つづら折れ”となって下る県道381号の南に、雑木林と竹藪があって“城跡”の案内看板が立っている。看板がなければそれと気付かないような、ただの森である。しかし道標や説明板に沿って歩くと、次第に城郭の姿が解ってくる。自然地形によって守られた「後ろ堅固な城」なのである。
 徳川家康に攻め落とされた後、牧野城と改名されて使用されたが、平和な時代となって廃城となった。しかし現在も三日月堀や外堀・内堀、馬出などの地形が明確に残っている。
 近年、“城”というと歴史的な検証もせずに、観光的な“天守閣”風な建物を建てる例が多いけれど、地味かもしれないがこのような史跡の方が好ましく思われる。

諏訪原城G

大晦日の夢

 「私には夢があります」・・・この秋に放映されたテレビドラマ「同期のサクラ」、主役の北野サクラが語る言葉です。「故郷の島に橋を架けること」「一生信じ合える仲間をつくること」「その仲間とたくさんの人を幸せにする建物をつくること」。それがサクラの夢なのです。
 主演の高畑充希は個性的な女優として人気があり、視聴率も高かったので、ご覧になった方も多いことと思います。私はサクラの3倍ほども年齢は大きいのですが・・・
 「私にも夢があります」・・・それは、「このブログを1000回続けること」です。

夢

 7年前に書き始めてから、530回の発信を続けてきました。1年平均80回ですので、あと470回発信するにはまだ6年ほどかかります。ブログを書くには、まず現場を訪ね歩き、写真を撮らなければなりません。けっこう山道や河原など険しい道もあります。すなわち体力が必要です。
 体力だけでなく、頭の働きや精神力も大切です。300文字ほどですが文章を考えます。また、案内マップを描くなどパソコンも駆使しなければなりません。それより何より、好奇心が衰えたら取材をする気力が無くなると思います。「体力」「頭脳力」「精神力」「好奇心」を持ち続けること・・・
 それが「私の夢」を叶える道だと思います。
 来年も応援方、よろしくお願いいたします。


季節通信31蕎麦

根尾谷断層

 明治24年(1891)10月28日午前6時37分、天地をひっくり返すような激震が起きた。根尾谷を震源とする「濃尾地震」である。推定マグニチュード8.0、震度7は、日本の内陸部で起きた最大級の直下型地震である。14万戸の家屋が倒壊し、7000人以上の人が亡くなった。
 地震を引き起こした「根尾谷断層系」は、延長約80kmという長い断層である。このうち根尾水島地区では上下に6m、長さが1000mにも及ぶ「断層崖」が出現した。このような大規模な断層崖は世界的にも珍しく、地震研究のきっかけにもなり、国の特別天然記念物にもなっている。

根尾谷断層マップ

 樽見鉄道の水島駅と高尾駅の間の車窓から、「地震断層観察館」の建物が見える。正方形で三角の屋根と、円筒形の2棟を組み合わせた瀟洒な建物である。円形の建物には、地震資料館と地震体験館があり、三角屋根の下には、実際の断層面を保存展示する地下観察館がある。
 地下観察館では深さが10m近い方形の穴が掘られていて、6mもの地層のずれを目の当たりに見ることができる。土の色の違いや礫の大小により、右と左の地層の違いがはっきりと確認できる。今、南海トラフの巨大地震や内陸の直下型地震がいつ発生しても不思議でないという。6mもの亀裂ができるような地震が起これば、その被害は測り知れないものとなるであろう。

根尾谷断層H

瑞穂公園ラグビー場(再掲)

 ラグビーワールドカップ日本大会も、いよいよ終盤である。3連覇が確実視されていたニュージーランド「オールブラックス」が、準決勝でイングランドにまさかの敗北をした。しかし、今日の3位決定戦でさすがの試合展開を見せ、ウェールズに快勝した。明日の決勝戦イングランド対南アフリカの試合をもって、1か月半に亘る長い大会が終了となる。
 アジアでの初めての開催となったワールドカップは、日本ラグビー界にとって大きな意義のあるものとなった。初めてベスト8に輝いた戦績も素晴らしいが、長らく低迷していたラグビー人気が「にわかファン」かも知れないが、多くのラグビーファンを獲得したことが大きな成果であろう。
 この人気を定着させるためには、今後の活動「スーパーラグビー」「社会人トップリーグ」「大学ラグビー」花園の「高校ラグビー」などのアピールが大切だと思う。各地で開催されている子供向け「ラグビースクール」などにより裾野を広げることも大切であろう。名古屋の瑞穂ラグビー場でも、もっと大きな大会が開催されることを願うばかりである。

 瑞穂ラグビー場については、2014年1月5日にこのブログでご紹介しました。以下に再掲します。
 
 昭和25年 (1950)、名古屋市を中心に愛知県下7都市において、第5回国民体育大会が開催された。開催のきっかけは、まだ終戦間もない昭和23年ごろ、“荒れ果てた町は殺風景だし、市民の心も荒んでいるので、国体を誘致して元気を出そうじゃないか” と市長や当局者が考えたことに始まる。
 会場は、瑞穂運動場を拡大整備するとともに、金山体育館 (現在、市民ホールのある場所) を新設したり振甫プールを改造して充てることとした。瑞穂公園には、5万人収容のメイン会場たる陸上競技場を整備し、また、3千人規模のスタンドを持つラグビー場を新設することとなった。(平成2年に改築され、現在は1万5千人収容)

瑞穂ラグビー場1

 国内では、東京・秩父の宮ラグビー場や大阪・花園ラグビー場に並ぶ歴史のあるグランドであり、各種の大会が行われている。「全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会」 は、瑞穂ラグビー場創設とともに始まり、今年で第64回を数えている。毎年正月2日、4日、6日が開催日となっている。全国レベルの 「トップリーグ」 が開催されるとともに、地元の学生や社会人のラグビーメッカでもある。
 かつて、ラグビーの人気は高く、早・慶・明などの大学対抗戦は国立競技場を満員にするほどであった。ところが、Jリーグが始まったころからサッカー人気に押され、また、“きつい・きたない (泥だらけ) ・ケガがつきもの” といった3Kが若者に嫌われるせいか長く低迷が続いてきた。しかし、2019年 (東京オリンピックの前年) にワールドカップの日本開催が決まっており、再び人気が高まることが期待されている。

瑞穂ラグビー場マップ

ラグビー場の芝生

 私は高校・大学の7年間で、50回くらいは試合をしたと思うが、芝生のグランドで行ったのは瑞穂ラグビー場での3回しか覚えていない。それ以外は土のグランドで、中にはアスガラの運動場もあって、膝や肘はいつも擦り傷だらけであった。
 芝生であれば柔らかく、いくら転んでも痛くないので羨ましいかぎりである。ラグビーやサッカー発祥の地イギリスやヨーロッパ諸国は、もともと牧畜の地であるので、羊や牛が草を食む草地がいたるところにある。町の普通の青少年がスポーツするグランドも芝生に被われていた。

芝生 ハンガリーA

 ワールドカップの開催されているスタジアムのグランドは、最高の芝生の状態が保たれている。概ね夏芝(高麗芝やティフトン)に、冬でも緑の芝にするため冬芝(ライグラスなど)がオーバーシーディングされている。年間5~60回の芝刈りと5回ほど目土を施すなど手入れが大変である。
 最近は人工芝なども導入されているが、やはり柔らかい天然芝が良好であろう。そこで、ハイブリッド芝というのも登場している。人工芝の繊維を20cmほど土に埋め込み、そこに天然芝を植える。生き物のシバが人工繊維と絡み合い、より強いターフが出来上がるという。

芝生G


季節通信52ハマナス



ラグビーワールドカップ その3

 とうとう日本は予選を全勝(4勝)し、決勝リーグへ進んだ。今日、7時からベスト4進出を賭けて南アフリカと戦う。NHKでの放映がありますので是非観てください。今回のワールドカップにより、たくさんの“にわかファン”が増えている。ラグビー関係者にとっては嬉しい現象である。
 しかし、“ラグビーはルールが難しくてわからない!!”という人が多い。本当は単純なスポーツだし、ルールが解らなくても激しいぶつかり合いを観るだけでも楽しいのだけれど、せっかくの機会ですので、少し解説してみましょう。まず、グランドの形と選手15人のポジションです。

ラグビー グランドG

 次に得点です。■トライが5点。 ■トライの後にチャレンジできるコンバージョンが2点。 ■反則された側が得るペナルティーキックが、H型のポールを超えると3点です。 ■ドロップゴールも3点。

 試合中に起こる事と反則については・・・
≪ゲーム中に起こる事≫
◆キックオフ・・・試合開始  ◆ノーサイド・・・試合終了 敵味方が無くなるという意
◆スクラム・・・フォワード8人がぶつかり合ってボールを足で奪い合う 手を使うと反則  
◆ラック・・・タックルされた選手が倒れているところでボールを奪い合う
◆モール・・・タックルされても倒れない選手のボールを奪い合う
◆ラインアウト・・・タッチラインの外に出た時に、外からボールを投げ入れて奪い合う
◆オフロードパス・・・タックルを受けて倒れながらパスする OFF ROADでなくLOAD(荷物)
◆ジャッカル・・・倒れた選手に覆いかぶさりボールを動かさない 相手が反則となる

 ≪軽い反則≫・・・相手方にスクラムの権利が与えられる。
◆ノックオン・・・ボールを前に落とす  ◆スローフォワード・・・ボールを前に投げる

 ≪重い反則≫・・・相手方にペナルティーキックが与えられる
◆オフサイド・・・ボールより前にいる選手がプレーする またはスクラムに横から入る
◆ノットリリースザボール・・・タックルされたらボールを離さなければならないのに抱え込む

 ≪さらに悪い反則≫・・・イエローカードで「シンビン」といい10分間退場
◆ラフプレー・・・言語道断なプレー  ◆ハイタックル・・・首より上にタックルする危険な行為
 

ラグビーワールドカップ その2

 台風19号が近づいている。12日(土)から13日(日)に、東海から関東にかけて暴風雨になることが予報されている。行楽シーズンの3連休であり、各地の祭りなど催事にも影響があり、行楽地も来客を期待しているので残念であろう。それよりなにより災害が起きないことを願う。
 ラグビーワールドカップの日程にも狂いが生じている。12日に予定されていた横浜と豊田の試合中止が決定された。13日の大切な横浜での「日本×スコットランド」戦は、もう少し後に判断されるという。台風が過ぎ去ってしまえば開催も可能である。
 私は、12日の「ニュージーランド×イタリア」豊田スタジアムの切符をもっているので、とても残念だが仕方ない。「ウェールズ×ジョージア」「南アフリカ×ナミビア」の試合は、生で観戦できたのだからそれで満足としよう。

 写真は、①試合前練習の様子 ②ラインアウト ③セットスクラム ④南アフリカのトライ ⑤日本の鉢巻をした外国のお客様 ⑥試合終了を「ノーサイド」という 両チーム混ざって観客にお辞儀

ラグビーG

季節通信51スイフヨウ




ラグビーワールドカップ

 ラグビーワールドカップ日本大会が、今、全国12か所を会場として開催されている。豊田スタジアムで昨日行われた日本対サモア戦で、日本が予選リーグ3戦で3勝を挙げるなどして、日本中が大いに盛り上がっている。この後、スコットランドに勝てば決勝リーグへ進み、優勝も夢ではない。
 ラグビーワールドカップは、4年に1度、世界一の国を決める大会である。今回は9回目で、最初はオーストラリアとニュージーランドで開催された。日本は第1回目から出場しているが、成績は芳しくなかった。しかし、先回のイギリス大会で強豪南アフリカを破るなど、3勝を挙げて世界を驚かせた。

ラグビーワールドカップ

 今、豊田市が燃えている。全48試合のうち、予選リーグの4試合が豊田スタジアムで開催される。駅前では大きな看板がビルの窓を飾り、車道は歩行者天国となってグッズやビールを売るテントも張られている。
 全世界から40万人ものお客様が日本を訪れるといい、豊田市も国際色豊かである。矢作川の堤防から、橋とスタジアムを背景に記念写真を撮る南アフリカのカップルがいた。橋の途中のベンチでは、ナミビアの祖父と孫(?)が語り合っていた。

豊田スタジアムと豊田大橋

 2002年に豊田市が建設した球技専用のスタジアム。埼玉スタジアムに次いで日本で2番目の規模である。4階建てのスタンドがピッチの周囲を囲んでいて、4万5000人の観客を収容することができる。設計は黒川紀章の事務所が担当した。
 グランドは115m×78mの天然芝で、サッカーやラグビーの試合に適している。名古屋グランパスのホームスタジアムの一つであり、瑞穂運動場と交替でゲームを開催している。現在開催されているラグビーワールドカップの会場にも選ばれていて、今まさに熱いゲームが展開されている。

豊田スタジアムマップ

 ピッチ上空にはテント式の可動屋根を備えている。天然芝には日光や雨が当たり、雨天の日には屋根を張ることもできる。天然芝は、豊田市内の農家で栽培している。芝を地産地消で賄うのは、日本では初めてである。可動屋根は残念ながら故障中で、現在は開けっ放しになっている。
 豊田市駅からスタジアムまでは一本道である。矢作川に架かる豊田大橋を渡っていく。約1.2kmの道を歩いていくと、近づくに従って期待が高まる。橋の竣工は1999年、長さは約475m。バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋という形式で、やはり黒川紀章の設計である。

豊田スタジアムG

再開発事業

 ・・・大井川シリーズを続けていますが、ちょっと違う話題を挟みます・・・ 

 老朽化したり時代に合わなくなった町を、再整備して新たな市街地を作り出す事業。区画整理など各種の手法がある。熱田神宮の東、JR熱田駅から名鉄神宮前駅までの間、アーケードのある商店街や一歩中へ入ったところにある「神宮小路」などを含む一帯が新たな町に変わろうとしている。
 熱田神宮は、伊勢神宮や出雲大社に並ぶ大きくて古い神社である。「日本武尊(やまとたけるのみこと)」と、その妃「宮簀媛命(みやすひめのみこと)」の故事をもち、三種の神器のひとつ「草薙御剣(くさなぎのみつるぎ)」が祀られている。初詣や七五三のお参りなど、年間700万人もの参拝者が訪れる。観光の名所でもある。

再開発マップ

 かつて熱田参りの多くの人々は、国鉄熱田駅や名鉄神宮前駅から徒歩で神宮の入り口へと向かった。行き帰りの門前町で食事をしたり、お土産を買うなどをするため、商店街も大いに賑わったものであろう。現在は車での参拝が多いので商店街を利用する人は少なくなり、シャッターの閉まった店が多くなった。
 前津通りから奥に入った「小路」は、大正か昭和の匂いがする。古い木造の居酒屋などがまだ残っていて、なんとも懐かしい雰囲気が漂っている。再開発では、名鉄駅前のように新しいビルが建つのかも知れないが、古い情緒も残して欲しい気がする。

再開発G


季節通信50シラタマホシクサ

変更設計

 かつて(7年前まで)、名古屋港の「ブルーボネット」で働いていたころに「園長さんのガーデンライフ」と題して、今と同じようにブログを発信していた。その第354回(平成22年2月24日)の記事に、次のような一文を載せた。以下要約・・・
 「YイコールXの二乗」をグラフに描くと放物線になる。上からの圧力に強いので、ダムや橋などに応用されている。木曽三川公園の「ツインアーチ138」は、2本の放物線で構成される展望塔である。
 人の一生も曲線で描くと放物線になるのではないか? 40歳頃をピークに元に戻っていく。定年後には責任も軽い大学生に、さらに高校生・中学生と下って幼時のように人の手を借りるような生活になる。・・・として次のような「人生の放物線」を描いた。

放物線

 ところが最近「人生100年時代」と言われるようになった。私事で恐縮ですが、60歳で名古屋市を退職した後、ブルーボネットで足掛け5年、さらに現在の職場・中部復建に7年勤めている。4年前には何と、名古屋工業大学院・修士課程に入学して勉強もしている。
 今、人生80年ほどを想定して描いた「人生の放物線」を変更する必要性を感じている。定年後に「大学院」や「浪人」時代を挟み込んでみよう。“老人は余生”ではなく、“今こそが人生で最も楽しく、輝く時代”と考えて過ごして行きたい。

放物線2


清正の銅像

 名古屋城に加藤清正の銅像が2つある。ひとつは、国道22号線がお城にぶつかって左へ折れていく地点。天守閣へ向かって視界が誘導されていく中央にどっかりと座っている。「加藤清正像」の銘がある。左に見えるのは「能楽堂」である。
 ふたつめは、二之丸庭園から進んで東南隅櫓を見る左側、大きな石の上の立ち姿で槍と扇をもっている。銘は「清正公石曳きの像」となっている。慶長15年(1610)の名古屋城築城に際して、石垣造りに活躍した清正を讃えて建造されたものであろう。

清正像G

 さらにもうひとつ清正にかかわる記念物がある。二之丸から東二之門をくぐったところの巨石「清正石」である。ここは「本丸搦手枡形」といい、裏門から攻める敵方への備えの場所に当たる。この枡形の築造を担当したのは黒田長政であるが、この巨石は城普請の名手清正が運んだのだろうと言い伝えられている。
 清正は尾張中村の生まれ、藤吉郎とは幼馴染(母親同士が従姉妹ともいわれる)。秀吉子飼いの武将となり、賤ヶ岳の戦いで功を上げ「賤ヶ岳七本槍」のひとりに数えられる。関が原の戦いでは西軍に付き、徳川の大名として熊本城の初代藩主となっている。

清正像マップ

瀬戸のホフマン工事

 アメリゴ・ホフマン(1875~1945)は、イタリア生まれの森林学者である。明治37年に招かれ、東京帝国大学の教師として治山工事などを指導した。明治42年(1909)に帰国した後、イタリア森林庁林野局の総局長などを務めている。
 当時尾張地方、特に瀬戸一帯にはハゲ山が広がっていた。陶土の採掘や窯での燃料として森林が伐採されたのである。愛知県がハゲ山復旧のための設計を東京帝国大学農科大学に依頼したところ、2人の学生の卒業論文が提出され、その方針に従って治山工事が進められた。

ホフマン工事G

 この設計は、ホフマンが指導したので、彼の名を採って「ホフマン工事」と呼ばれている。この工事は、5か所の「土堰堤」と45か所の「柳柵」を設置するものである。当時オーストリアやフランスなどで用いられていた手法で、山肌への植栽は行なわず、侵食や崩壊を防ぐだけで、自然に森林を蘇生する方策である。
 この地を歩いてみると、今はマツやコナラなどの雑木林が広がっており、赤土や粘土の地肌を見ることはできない。現在では、さらに進化した治山技術が行なわれているが、ホフマンの工事はその後の発展に大きな影響を与えたと言われている。(写真は全て、現地の説明看板から転用)

ホフマン工事マップ


季節通信38杉花粉

港アクルス

 港区役所のすぐ西のエリアに、大きな再開発事業が進められている。「港アクルス」という。アクルスはAQULSで「AQUA」「LINK」「SMART」の3つの言葉を合成した名前である。住宅、商業施設、スポーツ施設、教育・医療・福祉施設、防災施設などが複合的に整備される。
 このエリア33haは、昭和12年(1937)に「汎太平洋平和博覧会」の会場としてスタートした。昭和15年(1940)から平成10年までは東邦ガスの工場として使われていた。平成27年に開発の都市計画が決まり、いろいろな事業が動き出している。

港アクルスマップ

 昨年秋に、目玉施設「ららぽーと」がオープンして“まちびらき”が行なわれた。4階建て、物販・飲食合わせて5万5000㎡もの大型ショッピングモールである。関東を中心に事業を展開するスーパーマーケットであるが、この地方初の出店を果たした。第2号は、東郷町で建設を始めている。
 港アクルスのもうひとつの特色は、エネルギーを効率的に利用することである。「スマートエネルギー」と呼ぶ。得意のガスのコージェネレーションや太陽光などで発電し、廃熱やヒートポンプのエネルギーを冷暖房に利用する。ネットワーク情報を使って最適なエネルギー制御運転を実施することにより、低炭素のまちを実現するという。

港アクルスG


季節通信37早咲きの桜

区画整理

 土地区画整理事業は、新しい街を造る事業のひとつである。田畑や山林あるいは宅地の区画を整理することにより、整然とした街を生み出す手法である。地主は敷地面積を減らされるが(減歩という)土地の価格は上昇する。減歩により生み出された用地は道路や公園などの公共施設となる。
 現在、我が家の目の前で区画整理の工事が行なわれている。「東郷中央土地区画整理事業」といい東郷町が進める「セントラル開発」の核となる事業である。施行面積43.4ha、施行期間は平成26年から35年までである。

区画整理マップ

 東郷町は名古屋に隣接する丘陵地で、近年、住宅地としての供給は増えている。しかし、鉄道の駅が無く、中心となる商店街もない町であった。町役場や福祉施設などに隣接するこの地域も、田畑や山林であり、街らしい形態とは言えなかった。
 この事業により、都市計画道路「名古屋春木線」沿いに店舗が建ち並び、交通の便を図るためにバスターミナルもできる。しかし何といっても最大の目玉は「ららぽーと」(上はイメージ図)である。関東を中心とした大型ショッピングモールであるが、最近は中部地方にも進出している。今月1日に着工し、2020年の秋にオープンが予定されている。

由比地すべり対策事業 その1

 さった山の急斜面は、地質的に脆弱で地すべりの起る危険性が高い。そこで、国土交通省は 「由比地すべり対策」 の事業を行なっている。先日、私も加入する土木の勉強会グループ 「研友会」 で、その現場を見学させていただいた。
 地すべりは、様々な要因 (地形・地質・地質構造・地下水など) が組み合わさって発生するため、地すべり対策工の種類も多岐に渡っているとのことである。大きく分けると 「抑制工」 と 「抑止工」 に分けられ、この両対策工を組み合わせて、効率的な対策を行なっているとの説明があった。

富士砂防I

 「抑止工」 は、構造物の持つ抵抗力を利用して、地すべりの動きの一部もしくは全部を直接止める方法である。ここでは 「深礎杭」 を採用している。深礎杭とは、地下に大きな杭を造り、杭の抵抗力で地すべりの移動を止めるものである。現在、直径5m、長さ37~88mという巨大な杭61基の整備を実施中である。左は完成、右はコンクリート打ちを行なっている状況の写真である。

富士砂防J

足助八幡宮の祭礼

 足助八幡宮の例祭は、毎年10月第二の土曜日に 「試楽祭」、日曜日に 「本楽祭」 が開催され、合わせて 「足助祭り」 と称されている。試楽祭では神輿渡御、山車引き廻しが行なわれ、本楽際では加えて火縄銃や棒の手の奉納が行なわれる。
 この祭が今のような形になったのは、江戸後期の文化11年 (1814) と考えられている。古くから足助の惣社として人々の崇敬を集めていた八幡宮の伝統を、今に伝える祭である。神輿は黄色い装束の若い神職に担がれ、本殿の前から出発し域内を巡回する。

足助祭礼G

 それに先立って境内では、火縄銃の奉納が演じられる。各地域ごとの法被を着た10名ほどの若者が、輪に並んで順に発砲 (空砲) する。町中に激しい爆発音が響き渡る。火縄銃は、町を守るために各戸に保管されているものだという。
 山車を町内に引き廻す動きは見られなかったが、4台揃って宮入りしている姿を見ることができた。この山車は 「足助型」 と呼ばれ、前方に出役棚があり、車輪に16個の樫の齣爪を履かせるなど独自の形式を持っている。祭が終わると解体され、町ごとの郷蔵に保管される。豊田市の有形民俗文化財に指定されている。

足助祭礼H

土岐市の高山城跡

 庄内川は、岐阜県内では 「土岐川」 と呼ばれている。水源は恵那市の夕立山で、瑞浪・土岐・多治見の盆地を流れ、玉野渓谷を抜けて春日井市高蔵寺で濃尾平野に出る。名古屋市の北と西を迂回して、伊勢湾に注いでいる。
 土岐川の氾濫原を見下ろす細長い丘陵の上に、「高山城」 の跡がある。標高183m、麓からの高さは約57mである。通称 「サバ」 と呼ばれる砂岩層の断崖上に築かれていた。山頂の城跡に建てられた展望台から眺めると、土岐川と川沿いの細長い盆地が手に取るように見える。

土岐高山城マップ

 築城は承久の乱 (じょうきゅうのらん=1221年) の頃という。源氏の流れを汲む美濃源氏・土岐氏一族の高山氏により創建された。時代は下って戦国時代、織田信長の臣下となった高山城主は、この城を強固な要塞と成して守護に当たったが、武田の大軍の前に敗れ去った。
 現在、山上の城跡は、市民の憩いの場として整備されている。「高山城高山宿史蹟保存会」 のホームページには、城の想像図が掲載されていて、往時の様子を知ることができる。城跡を取巻く森林は 「城跡の森」 と名付けられて 「自然保護公園」 に位置づけられている。

土岐高山城G


季節通信22からたち

山車の独楽(ごま)

 半田市亀崎の 「潮干祭」 は、5輌の山車を潮干の浜へ “曳き下ろし” することで有名です。その昔、神武天皇が東征する折に、海からこの地に上陸したとの伝説に因んだ行事です。毎年5月3日・4日 (雨天順延) に開催されます。今年は久しぶりに、4日の日曜日に訪れてみました。
 世界遺産に登録されたこともあって、年々行楽客が増えています。曳き下ろしの浜辺は黒山の人だかりで、写真を写す隙間がありません。そこで、カメラを頭の上に持ち上げ、手探りで撮ったのがこの一枚です。何とか勇壮な曳き下ろしの様子を、皆さまにお届けすることができました

亀崎祭りマップ

 街中を引き回すときには、豪華な山車を間近に見ることができます。柱や梁の細緻な木彫や、金糸・銀糸による刺繍模様の豪華な幔幕などが見事です。下の写真の先頭は西組 「花王車」、2輌目が田中組 「神楽車」 です。そのほかに中切組 「力神車」、石橋組 「青龍車」、東組 「宮本車」 があります。
 「山車」 は、一般的には 「ダシ」 と読みますが、ここ亀崎では 「ヤマ」 あるいは 「ヤマグルマ」 と呼びます。約200もの部品から構成されていますが、毎年分解して大切に保管されています。車輪は 「独楽 (ごま) 」 といい、直径90センチ、厚さ30~40センチで、黒松の丸太材を用います。普段は消耗や亀裂を防ぐために海の干潟に埋めておき、一ヶ月ほど前に掘り出します。沿道に、神楽車の古い「独楽」が飾ってありました。

亀崎祭りG

宮島・厳島神社の大鳥居

 厳島神社の創建は、推古元年 (593) と伝えられている。その後、仁安3年 (1168) に、平清盛によって現在のような社殿に造営された。建築様式は 「寝殿造り」、平安貴族の住居のつくりである。浅瀬の海中に回廊が伸び、「池泉」 が設けられる前面は瀬戸内の海という趣向である。
 清楚に配列された柱や梁は鮮やかな朱塗り、屋根は荘厳な檜皮葺である。床は厚みのある板敷き、柱の立つ土台は平らな面をもつ自然石になっている。木柱の根元は、打ち寄せる海水にさらされている。平家滅亡後も鎌倉時代に再建され、その後も毛利氏や豊臣氏などの庇護に支えられて今日に伝えられている。

宮島G

 本社の拝殿から108間 (約200m) 沖に大鳥居が立っている。高さ約16m、棟の長さは24mである。主柱の太さは、周り31尺 (約9m)、4本の控柱 (稚児柱という) に支えられながら
自重で立っているという。満潮時は海中に浮かんでいるように見えるが、潮が引くと砂浜を渡って根元まで近寄ることができる。
 現在の大鳥居は8代目、明治8年 (1875) に完成した。材は 「楠 (くすのき)」 で、宮崎県と香川県から伐り出されたものである。昭和26年に根元の大修理が行なわれたが、その時に切り取られた部分が社殿の前に展示されていた。私の背丈よりもはるかに高く、直径3mはあろうかと思われる。厳島神社および前面の海、背後に聳える弥山原始林を含む約430haの森林は、平成8年にユネスコの世界遺産に登録された。

宮島G2


季節通信17木曽駒

蟹江の造り酒屋

 蟹江川流域は、木曽川や庄内川の三角州であり、砂などの堆積した沖積層の地層である。そのため、川沿いには豊富な伏流水が湧き出ている。また、この地域は原料となる米の産地であり、名古屋という大消費地にも近い。さらに蟹江川は、原材料や製品の運搬にも便利であった。すなわち酒造りの条件が満たされているのである。
 明治の初めごろには、蟹江町内だけでも10数軒もの造り酒屋があったという。現在でも2社のメーカーが生産・販売を続けている。

蟹江造酒屋マップ

 蟹江川のすぐ西側には、人工的な日光川が流れ、それに絡みつくように、古い佐屋川が蛇行しながら流れている。蟹江川の流れは比較的緩く、川岸の堤防もコンクリートで固められ、運河の様相を呈している。堤防に向かって登る坂道沿いに、明治以来の造り酒屋の土蔵や黒壁の板塀が連なっていた。
 直売もしている酒屋に入っていくと、通路脇に酒樽ならぬ酒造タンクが並んでいた。そのひとつに11、698リットルとの文字が書かれている。一升瓶 (1.8リットル) に換算すると約650本にもなる。大正時代の記録には、年間約360キロリットルもの製造をしていたという。

蟹江造酒屋G


季節通信12「竹」

聚楽園の大仏

 野間の灯台よりも2m背が高い、19mの大仏様である。名鉄 「聚楽園駅」 の東側、小高い丘を登ったところ、東海市の 「しあわせ村」 公園の頂に聳えている。山道を辿り歩き、階段に差し掛かると両側に仁王が立ち、木の間隠れに大仏様のお顔が見える。
 大正5年に、名古屋在住の実業家が 「大正天皇御大典記念」 として大仏建立を思い起こした。昭和2年 (1923) に 「昭和天皇御成婚記念事業」 としてようやく完成し、開眼供養を行なったものである。当初は宗教的な色彩は濃くなく、胎内に入ることができるなど観光目的が強かったという。しかし、昭和58年に所有者が変わり、現在は曹洞宗 「大仏寺」 の所管となっている。

しゅう楽園G

 「しあわせ村」 は、東海市の健康と福祉の拠点施設で平成9年にオープンした。保険福祉センターや温浴ゾーンのある 「健康ふれあい交流館」 やお茶室「嚶鳴庵」、散策路のところどころにある「トリム広場」などで構成されている。
 大仏様のある頂上広場から海側を見ると、新日鉄の製鉄工場が広がっており、遠くには名港トリトンのタワーも見える。駅前の広場には、尾張藩校 「明倫堂」 の督学(学長)を務めた細井平州の生誕地を示す石碑が建っている。

しゅう楽園マップ

新企画:「季節通信」

 このブログ「中部の土木文化見てある記」は、平成25年2月から始めましたので、はや5年を越えたことになります。そして、発信件数は現在397件、もうすぐ400件に到達します。この間、読者の皆様からのたくさんのアクセスや、当社(中部復建株式会社)社員の激励に助けられて続けることができました。
 今回、新たに「季節通信」として、そのときどきの季節感ある話題を「付録」として添付することにしました。これは、「土木文化」の記事が、ともすれば硬い話題になりがちですので、読者の皆さんに季節感ある情報を差し上げたいとの思いから発想したものです。
 土木文化の取材に歩いていますと、季節季節の花や新緑、秋の紅葉など美しい風景に出会います。私は元々植物や庭園に興味をもつ者ですので、ついついそういった写真も撮ってしまうのです。土木に関わりがない写真も、この5年間でずいぶん貯まってしまいました。そんな写真に小文を添えてご紹介したいと思います。

季節通信「シャクナゲ(石楠花)」
 ツツジの仲間は美しい花を咲かせますが、その中でもシャクナゲは、花の集まりと緑の葉のコントラストにより一段と綺麗で豪華です。最近、石楠花寺とも呼ぶ美しいお寺2か所を見てきましたのでご紹介します。例年は5月初旬ですが、今年は1週間ほど早いそうです。
 ◆上:長野県飯田市の保寿寺。境内の斜面一面にキョウマルシャクナゲが咲いていました。
 ◆下:奈良県宇陀市の室生寺。入口門から奥の院の階段までホンシャクナゲが綺麗でした。

石楠花G
石楠花H

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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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