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中里貯水池と中里ダム

 員弁の谷の最上流部、岐阜県との県境近くに 「中里貯水池」 がある。この池は、水資源機構が三重用水の水源として昭和52年に建設したもので、総貯水量1600万トン、水深30mである。このあたりは、養老山脈と鈴鹿山脈に挟まれた丘陵地帯で景観もよく、いくつかのゴルフ場が立地している。水面のはるか彼方に見える、真っ白に雪を被るのは伊吹山であろう。
 池の水を堰き止めているのは 「中里ダム」 で、アースダムとしては日本一の規模を誇っている。高さ46m、長さは985m、体積は297万立方メートルにもおよぶという。「アースダム」 というのは最も古典的な形式で、石や土を台形に積んだものである。「土堰堤」 とも呼ぶ。

中里ダムマップ

 池の上流域に 「離郷の碑」 が建てられている。もともとこの地域には、鼎地区深尾の里と呼ばれる村落があった。ゆたかな歴史をもつ集落には、民家や田畑があり、寺社やお墓もあったことであろう。下流域の多くの人々の窮状を救うためとはいえ、先祖伝来の土地を明け渡すには苦渋の決断があったに違いない。
 碑の横には、深尾地区一同と記した 「副碑」 が建てられている。碑文には、“離郷の決意をするに至った心情はまことに断腸の一語につきる” とあり、“我々の犠牲によって満々とたたえられた清冽な水が、多くの人たちを潤す恵みの水にならんことを” との思いが切々と綴られている。

中里ダムG

豊明の湿地その2

 本命はこちらである。「赤花のナガバノイシモチソウ」、日本固有の新種であり、愛知県の天然記念物に指定されている。白花の種類は各地に自生しているが、赤花はとても珍しく、ここの他には豊橋市の一部に知られているにすぎない。ネットフェンスに囲まれた保護地は、小学校の教室ほどの狭いものであり、植物を踏まないようにデッキが張り巡らされている
 モウセンゴケ科の食虫植物であるが、名のとおり葉が長く、その表面にある腺毛から甘い匂いの粘液を分泌して昆虫を捕まえてしまう。右の写真は、ちょうど飛んできた蝶が粘液に張り付いてしまい身動きできなくなってしまった状態である。

豊明湿地その2マップ

 モウセンゴケ、ミミカキグサや、このイシモチソウなどの食虫植物は、いずれも極々小さな植物である。通常の肥沃な土壌では、とても他の大型植物には太刀打ちのできない弱い植物である。しかし、この湿地などのように、粘土層の表面に酸性の水が湧き出すような条件の悪い土地では、他の植物が生育できないために、昆虫を栄養とするよう進化した食虫植物が勝ち残ったのである。このような植物の分布を 「消極的生存競争」 という。
 知多半島から名古屋東部にかけての丘陵地帯には、このような湿地帯が数多く存在した。しかし、宅地などの開発に飲み込まれて消滅し、わずかな保護地でしか見られなくなってしまった。      
 下の写真は左からナガバノイシモチソウ、サギソウ、ヌマトラノオで、ちょうど花盛りであった

豊明湿地その2A

豊明の湿地その1

 豊明市にある2つの湿地を見学した。夏のこの時期5日間しか公開されない貴重な機会である。横浜からわざわざここを見るために来名した食虫植物研究家をご案内したのである。場所は、名古屋市の東どなりの豊明市、緑区勅使ケ池緑地の近くである。地下鉄徳重駅に近いが、公共交通機関がないので、どうしても車が頼りとなる。
 湿地は2か所あり、ひとつは 「大狭間湿地」 と名付けられている。豊明市側の 「勅使墓苑」 (名古屋市の墓苑 「勅使ケ池緑地」 とは異なる) に近く、その駐車場に車を止めてから徒歩10分ほどのところにある。

豊明湿地その1マップ

 面積は広くて、学校の運動場ほどもある。何本かの細道があり、一部は木道になっている。自然のミズゴケが生え、モウセンゴケやミミカキグサなどの食虫植物も見ることができる。ミズギクやミズギボウシといった湿地の植物も花が咲いていた。8月終わりから9月にかけて、一面を真っ白に染めるというシラタマホシクサは、まだ小さな蕾であった。
 今回の収穫は、ハッチョウトンボの雌を撮影できたことである。これまで、赤くて綺麗な雄は見たことがあるが、地味な色合いの雌は見たことがなかった。
 下に写真を添付します。長さ2cmほどの世界一小さなトンボです。もう2枚は黄色の花が咲くミミカキグサと、紫色のホザキノミミカキグサです。いずれも5cmほどと小さい食虫植物です。

豊明湿地その1A

斎宮の「どんど花」群落

 斎宮跡の史跡公園から2kmほど東へ行ったところに笹笛川が流れており、その川沿いに 「どんど花」 の群落がある。「どんど花」 とは伊勢地方の方言で、花菖蒲の原種 「ノハナショウブ」 のことをいう。「どんど」 とは、水の盛んに流れる水路のことで、その近くの湿地に生育する花という意味である。昭和11年に、国の天然記念物に指定されている。
 古代から広く知られており、“あたり一面紫の雲がたなびくよう” な眺めで、伊勢参宮客の目を楽しませたという。「思いやる いつきの宮は あとふりて 花咲き残る かきつばたかな」 と、平安時代の公家で歌人の藤原為家 (夫木集) も詠んでいる。「いつきの宮」 は斎宮のこと、「かきつばた」 はノハナショウブのことである。

どんど花マップ

 “いずれあやめか かきつばた” と言われるように、これらの種はよく似ています。花菖蒲をあやめと呼ぶところもあれば、かきつばたと詠うときもあります。ここでその違いをレクチャーしましょう。皆、葉が剣のようで交差し 「綾の目」 になり、大きな花を頂上に咲かせることは共通です。しかし、外側の花弁 (外花被片) の違いで見分けられます。アヤメは綾目模様、カキツバタは一本の筋が白色、ノハナショウブは黄色です。アヤメとカキツバタは5月、花菖蒲は6月に咲きます。アヤメは土手の上、カキツバタは水の中、ノハナショウブは中間の湿地と生育場所でも見分けることができます。

どんど花A

豊橋市の葦毛湿原(その2)

 少し寄り道をしましたが、ふたたび東海道を歩きます・・・

 豊橋駅の東南約7km、丘陵地の裾野に広大な湿原がある。面積約3ha、葦毛湿原という。このあたり一帯の里山は、縄文時代の昔から人が住みついてきた。しかし、農業用ため池のさらに上流にある痩せ地であるため、人の手が入らないまま今に至っている。
 平成に入って、多様な植物の自生地としての価値が見出されて、小規模な保全活動が行なわれるようになった。しかし、乾燥化や森林の侵入が進んで、イヌツゲやコシダなどが、かよわい食虫植物などの湿地植物を圧迫するようになってきた。

葦毛湿原マップ

 元の多様な環境に戻すための大規模な復元作業が3年前から始まっている。この作業には、市文化財センターの専門家やボランティアの人たちが協力している。表面にかぶさってしまった土を取り除くと、沢から流れ込む水と日照が回復し、眠っていた 「埋土種子」 が芽吹いてくる。作業をまだ数年つづけ、豊かな湿原を取り戻すのだという。

葦毛湿原C
       ≪白い花はシラタマホシクサ:黄色い花はミミカキグサ:赤い葉はモウセンゴケ≫

知立市・三河八橋のカキツバタ

                                          ≪再掲:2014・05・26≫ 
 “から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う”

 平安時代を代表する歌人・在原業平は、東国への旅の途中で三河国八橋に立ち寄り、句の頭に 「か・き・つ・は・た」 の5文字を据えて名句を残しました。これ以後八橋は、カキツバタの名勝地として天下に喧伝さるることとなりました。今も毎年5月になると、八橋山無量寿寺の庭園に数万本のカキツバタが咲き誇ります。

八橋カキツバタA

 江戸中期の尾形光琳は、八橋や杜若にかかわる名画を数多く残しています。国宝 「杜若図屏風」 は、東京・根津美術館に所蔵されていますが、その限定版の写しが「知立市八橋史跡保存館」に展示されています。この保存館には、在原寺や無量寿寺を再興し、煎茶による茶道を確立した 「方巌売茶翁」 の資料も所蔵されています。

八橋マップ

矢作川「百々貯木場」

 豊田市勘八峡のすぐ下流に、現在は使われていない貯木場がある。地名をとって 「百々 (どうど) 貯木場」 という。江戸時代から昭和初期までは、上流の山で伐採された樹木は管流し (くだながし:丸太の状態で流す) で下流に送られてきた。百々は矢作川の中流域に当たり、流れも緩くなるので、ここで筏に組み直して下流や三河湾へ送ったのである。
 この水中貯木場が完成したのは大正7年のこと、材木商を営む今井善六により建設されたものである。貯水池面積は約5000㎡、樋門から直接流し入れる構造である。木材の仕分けをする突堤や引上げるためのスロープも造られている。近くに製材所も用意されていた。

百々貯木場B

 ただ、この貯木場は昭和5年に役割を終えてしまった。上流に越戸ダムが完成したことや、トラックにより木材が運ばれるようになったためである。長い間、土砂に埋もれていたが、今は整備されて史跡公園になっている。平成20年、全国的にも珍しい施設として土木遺産に選奨された。

百々貯木場マップ

恵那の「保古の湖」

 岐阜県恵那市と中津川市の境に、保古の湖という人口の湖がある。標高900m、周囲約5km、最も深いところは15mである。ボートに乗り、ワカサギ釣りを楽しむことができる。湖畔には、国民宿舎 「恵那山荘」 を中心に、動植物を展示した 「保古自然館」 があり、芝生の中にはバンガローやバーベキューハウスなども整っている。

保古の湖 A

 明治・大正の時代、木曽川の支流阿木川の流域 「東野村」 は水田が少ないので、上流を堰き止めて水を溜め、開墾地に潅漑すれば飛躍的に生産力が増大すると期待されていた。大正10年から昭和初期にかけて堤防を造ってできたのが「保古の湖」である。貯水量は約60万トン、導水路の延長は、5500mにもおよび、東野村だけでなく大井・坂本方面にも利用されたという。
 戦後の食糧難の時代に、さらに堤防の嵩上げなどを行い、貯水量を76万トンまで増強した。土盛りによる堤防には、色鮮やかな山草が咲いていた。 (左:ウツボグサ 右:ノアザミ)

保古の湖 C

保古の湖マップ


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愛知用水あいち池

 春日井・瀬戸・名古屋東部から知多半島にかけての丘陵地帯には大きな河川がなく、田畑に使う水は谷の上部を堰き止めた溜め池に頼っていた。“木曽川から水が引けたら” との想いは、土地の人々の長い間の悲願であった。夢が叶ったのは昭和36年、「愛知用水」 が完成した時である。
 長野県王滝村に牧尾ダムを造って水を溜め、岐阜県八百津町の取水口から水を引き入れて、知多半島の先端まで延々112kmを流れる用水である。途中、下流へ流す水量を調整するために造られたのが 「あいち池」 である。面積約97ha、貯水量は900万m3。堤防の高さ31m、長さは975m、土盛した体積は104万m3にも上る。

 あいち池A

 下の写真は、あいち池への流入口 「細口池暗渠」 である。用水の断面は、最初は逆台形であったが、昭和58年から始められた第2期事業により2列の長方形に変えられた。これは、需要の増加に応えるとともに、災害や工事のときにも供給を継続するための措置である。

あいち池マップ

豊橋市 葦毛湿原

 豊橋市東部にある弓張山地の山麓、海抜70mほどのところに広がる湿地である。土壌が薄いという特徴をもつ 「湧水湿地」 で、このタイプでは東海地方で最も大きな規模である。面積は約5ha、観察用に園路が張り巡らされている。園路には、植物が踏み荒らされないように、尾瀬沼のような木道が整備されている。

いもう湿原1

 この湿地には、東海地方に固有の植物 (ミカワシオガマやシラタマホシクサ)、氷河期に分布を広げたけれど、そのまま取り残されてしまった北方の植物(ミカワバイケイソウやミズギク)、熱帯アジア起源の植物(ミミカキグサなど)が入り混じっている。約250種もの植物が自生しており、愛知県の天然記念物に指定されている。

いもう湿原2

 上の写真は、葦毛湿原を代表するシラタマホシクサ群落が最も美しい9月下旬に撮影したもの。(うっすらと白く見えるところ) そのほかに、葉の粘液で昆虫を捕まえるトウカイコモウセンゴケや根の補虫嚢 (袋) でプランクトンを捕まえるミミカキグサなどの食虫植物も花を咲かせていた。

いもう湿原マップ
 

鶴舞公園菖蒲池

 鶴舞 (つるま) 公園は、明治42年11月に開園し、翌43年3月から3か月間 「第10回関西府県連合共進会」 という一大イベントが開催された。この博覧会は、これをきっかけに名古屋が大いに発展したと言われるほど盛大なものであった。ちなみに入園者数は約260万人、当時の名古屋市の人口41万人と比較すると、その盛大さが理解できるであろう。
 ただ、公園が現在のような形になったのは、それから10年ほどの整備工事の後である。イベントのパビリオンが撤去された後、西側部分は噴水塔と奏楽堂を残してシンメトリーなフランス式庭園が造成された。東側は一転して日本庭園となる。胡蝶が池に架かる鈴菜橋を渡ると 「菖蒲池」、さらに竜が池、八幡山古墳へと続くのである。

鶴舞菖蒲

 菖蒲池のハナショウブは、戦前からかなり有名であったという。戦時中は、食料供給のため芋や麦の畑になってしまった。戦後から修復を始め、昭和25年には北半分が復元でき、苗の購入も続けられた。昭和27年には中の島や八橋も完成し、ようやく今のような菖蒲池が完成したのである。
 ハナショウブの最盛期は6月上旬、奏楽堂南に咲くバラとともに毎年多くの行楽客を迎えている。

鶴舞菖蒲B

鶴舞菖蒲マップ

小堤西池のカキツバタ群落

 刈谷市にある愛知教育大学近くの「小堤西池」に、国の天然記念物に指定(昭和13年)されているカキツバタ群落がある。京都の「大田の沢」、鳥取の「岩美町唐川」とともに日本三大自生地に数えられている。面積約2ヘクタール、浅い沼地のような池で、多くの湿性植物が自生している。

小堤西池

 この地域は、尾張と三河の間を流れる境川の流域で、穏やかな水田が広がっている。弥生時代の農民が田を開拓する以前には、このような湿地が一面に広がっていたのではと思わせるような風景である。カキツバタの花は5月上旬に咲き始め、中旬が見ごろ、月末まで見ることができる。花色は青紫色が多いけれど、中には赤紫色のものもあり、変化に富んでいる。 

小堤西池2

 湿地の中には外来植物の繁茂なども見られる。地元では「小堤西池のカキツバタを守る会」を結成して、除草などの保護活動を進めている。刈谷市は、昭和53年に水源として重要な東側の丘陵地約4ヘクタールも買収するなど、後世に豊かな自然を引き継ぐこととしている。

小堤西池3

ナガバノイシモチソウ保護地

 豊明市沓掛町に、愛知県指定の天然記念物「ナガバノイシモチソウ」の自生地がある。この植物は湿地に生育するモウセンゴケ科の一年草で、ハエやチョウなどを捕食する食虫植物である。高さ10~20cmの小さな植物で、5月に発芽し夏に赤い花を咲かせる。白い花の種類は関東や九州に分布するが、赤花のタイプは愛知県(豊明と豊橋)でしか確認されていない。

豊明3

 この湿地は、勅使池から境川へ流れる谷部の中間地点にある。南東に傾斜した斜面の砂礫層からしみ出した貧栄養の湧き水が、このような湿地の植生を生み出したのである。近年の周辺部の開発により水脈が途絶えたので、人為的に水の補給をしている。

 初めて公的に発表されたのは大正時代のことである。その後の活動の結果、現在では約240㎡ほどの周囲をフェンスで囲い、湿地内には木製デッキを巡らして保存に努めている。毎年8月・9月の数日間、一般公開されている。

豊明1

 最近の報道(3月12日中日新聞夕刊)では、この種類が新種であることが確認されたという。日本産だけでなく、東南アジアに自生する種類とも比較した結果、新しい種であると断定された。今月16日に千葉県で開催される日本植物分類学会で発表されるとのことである。

豊明マップ




白鳥貯木場

 宮の渡しから堀川を1km ほど遡ると、そこはかつての白鳥貯木場である。昭和50年代までは丸太の浮かぶ水面であったが、今は埋め立てられて名古屋市の国際会議場や白鳥庭園になっている。
 元和元年(1615=大坂夏の陣の年)、尾張藩は家康より木曽山を拝領する。木曽山は杉や桧など良質な木材資源に恵まれていて、尾張藩は大きな財源を得たことになる。伐採された木材は、筏に組まれて木曽川を下り、伊勢湾を経てこの白鳥に集められた。

白鳥貯木場 航空写真

 当初は堀川東岸に、その後、次第に拡張されて西岸に広大な材木場ができた。江戸時代の終わりには約8ha。明治になって国の管理となり、大正時代には約19haもの規模となった。貯木場は伊勢湾台風を経て、名古屋港西部への移転が進められ、昭和54年には埋め立てられて白鳥庭園などが整備された。

白鳥庭園 縮小

 白鳥庭園の北に四角い水面がある。「太夫堀」といい、かつての貯木場の姿を今に伝えている。その池と堀川の間に古い水門がある。石積みと木製の扉であるが、橋の下に隠れているので見逃してしまいそうである。往時は、この水門から木材が出し入れされていた。

太夫堀 水門

白鳥マップ





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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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