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笠寺一里塚
名古屋市南区、笠寺観音の近くに東海道の一里塚が残っている。直径約10mほどの円形の塚で、エノキの大木の根が土の小山を鷲づかみにするような形をしている。現在は名古屋市の街園に位置づけられ、地域の人々の憩いの場となっている。

一里塚は、江戸時代に、徳川幕府が主要な街道を改修して、旅の目印となるように築いたものである。一里(約4km)ごとに、道の両側に置かれたものであるが、今日完全な形で残っているものはごく少ないという。その中で笠寺一里塚は、片側ではあるが、ほぼ原型を留める形で残っている。

この大木は、かつて大枝が折れたため、その傷跡が大きな洞(うろ)になっていた。今から20年ほど前に、樹医による診断を受け、太い根の空洞までがモルタルにより修復された。今では治癒が進み、傷跡もずいぶん小さくなり、のびのびと枝を伸ばした樹形になっている。
この一里塚のもう一つの見所は、塚の表面を覆いつくすヒガンバナである。9月下旬から10月初旬にかけて、地中から突然に花茎を伸ばして真っ赤な花を咲かせるのである。冬の今は、濃い緑色の葉が茂っていた。


一里塚は、江戸時代に、徳川幕府が主要な街道を改修して、旅の目印となるように築いたものである。一里(約4km)ごとに、道の両側に置かれたものであるが、今日完全な形で残っているものはごく少ないという。その中で笠寺一里塚は、片側ではあるが、ほぼ原型を留める形で残っている。

この大木は、かつて大枝が折れたため、その傷跡が大きな洞(うろ)になっていた。今から20年ほど前に、樹医による診断を受け、太い根の空洞までがモルタルにより修復された。今では治癒が進み、傷跡もずいぶん小さくなり、のびのびと枝を伸ばした樹形になっている。
この一里塚のもう一つの見所は、塚の表面を覆いつくすヒガンバナである。9月下旬から10月初旬にかけて、地中から突然に花茎を伸ばして真っ赤な花を咲かせるのである。冬の今は、濃い緑色の葉が茂っていた。

はじめに・・・
現在の私たちは、先人の残してくれた多くの土木施設を利用する生活を営んでいます。また、私たちの周囲を見渡しますと、たくさんの土木遺産が大切に保存されています。
この土木施設は、先人たちの知恵と工夫が刻み込まれ、「温故知新」と言いますように土木施設の“文化”から今後の施設計画や整備の際に学ぶことは多々あると思います。
私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく、先人が残してくれた土木施設を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。
読者の皆さんが、この記を参考に訪れるきっかけとしてご利用して頂ければ幸いです。

さあ、“見て歩き”に出発・・・
我々技術者の習性なのか、旅行をしていても、出張の途中でも、ついつい土木施設に目がいってしまいます。“なかなか良くできている”“つくった人たちは苦労したことだろう”などと考えてしまいます。今回このブログを始めるに当たって、これまで何気なく見ていた施設について、もう少し目的意識をもって見つめてみたいと思います。いつできたのだろう? 目的や利用方法は? どんな工夫がされている? 写真を撮り、メモを取り、資料を集めてみようと思います。
「土木」の範囲ですが、広辞苑によれば“家屋、道路、堤防、橋梁、港湾、鉄道、上下水道、河川など、全て木材・鉄材・土石などを使用する工事”とあります。さらに「土木工学」の項には、“灯台、空港、都市計画などの施設”も含まれています。すなわち人の営みにより掘ったり建てたりする構造物はすべて含まれるものと広く解釈することとします。このブログでは簡単な記事と2~3枚の写真、場所の分かる略図を掲載します。これを参考に、皆さんも現地を訪れていただければと思います。
仕事をしながらのレポートですので、計画的・系統的な掲載ではありません。これまでに撮り溜めた写真や、これから訪問する施設をアトランダムに載せてまいります。しかし、月別と項目別のアーカイブをつくりますので、興味のあるところを読んでください。さあ、まず東海道の「笠寺一里塚」から旅を始めたいと思います。一里塚は、江戸時代の旅人が歩く距離を測るための目印でした。「見てある記」がどこまで続けられるか分かりませんが、足のつづく限り土木文化を訪ね歩きたいと考えています。乞うご期待!!
この土木施設は、先人たちの知恵と工夫が刻み込まれ、「温故知新」と言いますように土木施設の“文化”から今後の施設計画や整備の際に学ぶことは多々あると思います。
私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく、先人が残してくれた土木施設を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。
読者の皆さんが、この記を参考に訪れるきっかけとしてご利用して頂ければ幸いです。

さあ、“見て歩き”に出発・・・
我々技術者の習性なのか、旅行をしていても、出張の途中でも、ついつい土木施設に目がいってしまいます。“なかなか良くできている”“つくった人たちは苦労したことだろう”などと考えてしまいます。今回このブログを始めるに当たって、これまで何気なく見ていた施設について、もう少し目的意識をもって見つめてみたいと思います。いつできたのだろう? 目的や利用方法は? どんな工夫がされている? 写真を撮り、メモを取り、資料を集めてみようと思います。
「土木」の範囲ですが、広辞苑によれば“家屋、道路、堤防、橋梁、港湾、鉄道、上下水道、河川など、全て木材・鉄材・土石などを使用する工事”とあります。さらに「土木工学」の項には、“灯台、空港、都市計画などの施設”も含まれています。すなわち人の営みにより掘ったり建てたりする構造物はすべて含まれるものと広く解釈することとします。このブログでは簡単な記事と2~3枚の写真、場所の分かる略図を掲載します。これを参考に、皆さんも現地を訪れていただければと思います。
仕事をしながらのレポートですので、計画的・系統的な掲載ではありません。これまでに撮り溜めた写真や、これから訪問する施設をアトランダムに載せてまいります。しかし、月別と項目別のアーカイブをつくりますので、興味のあるところを読んでください。さあ、まず東海道の「笠寺一里塚」から旅を始めたいと思います。一里塚は、江戸時代の旅人が歩く距離を測るための目印でした。「見てある記」がどこまで続けられるか分かりませんが、足のつづく限り土木文化を訪ね歩きたいと考えています。乞うご期待!!