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尾鷲 土井竹林のトンネル
三重県尾鷲市に、江戸時代からの林業家が育てた有名な竹林がある。「土井竹林」 という。谷あいの肥沃な土地に植えられたことと、年間降水量が4,000mmを越すという気象条件もあって、よそでは見られないほど太いモウソウチクが育っている。中には幹 (竹の場合 「稈」 という) の直径が20cmを越えるものもあって 「おひつ」 まで作ることができるという。

この竹林は、尾鷲市市街地から西へ向かった丘陵地にある。国道42号線沿いの、広い駐車場を迂回したところに登り口がある。しばらく行くとトンネルがあり、その向こうに竹が見えてくる。このトンネルは、岩盤を手で掘ったものである。土井家への感謝の気持ちから、竹林へ楽に行けるようにと、地域の人々が造ったものだという。


この竹林は、尾鷲市市街地から西へ向かった丘陵地にある。国道42号線沿いの、広い駐車場を迂回したところに登り口がある。しばらく行くとトンネルがあり、その向こうに竹が見えてくる。このトンネルは、岩盤を手で掘ったものである。土井家への感謝の気持ちから、竹林へ楽に行けるようにと、地域の人々が造ったものだという。

立田のハス(レンコン)
愛知県の一番西に位置する愛西市は、平成17年に、佐屋、立田、八開、佐織の4地区が合併してできた町である。その中で、立田地区 (旧立田村) は、全国有数のレンコンの産地として知られている。木曽川下流域の肥沃な湿地帯を利用して、現在、約350haの 「はす田」 があり、年間4000トンを越えるレンコンを生産しているという。

立田のハスの花は赤いのが特徴で、「立田の赤蓮」 と呼ばれている。栽培が始まったのは江戸時代、天保年間 (1830~1843) に真宗大谷派の寺院 「陽南寺」 に伝わったのが端緒だという。
現在、愛西市森川町に、花の観賞ができる 「森川はす田」 が整備されている。人の背丈よりも高いところに咲く花が観やすいように、階段やデッキが設置されている。花の見ごろは7月、花の多く観られる午前中がお勧めである。



立田のハスの花は赤いのが特徴で、「立田の赤蓮」 と呼ばれている。栽培が始まったのは江戸時代、天保年間 (1830~1843) に真宗大谷派の寺院 「陽南寺」 に伝わったのが端緒だという。
現在、愛西市森川町に、花の観賞ができる 「森川はす田」 が整備されている。人の背丈よりも高いところに咲く花が観やすいように、階段やデッキが設置されている。花の見ごろは7月、花の多く観られる午前中がお勧めである。


関西線 四日市駅近くの鉄橋
「旧四日市港」 や 「末広橋梁」 の写真を撮り終えて、四日市駅から関西線で帰名しようと歩いていた。港につながる運河にかかる橋を渡っていると、平行して走っている関西線の線路が見えた。そこに、ずいぶん古びた鉄橋が架かっている。小さな運河であるので、橋長も10mそこそこ、特に特色があるわけでも何でもないが、1枚写真を撮っておくことにした。

さらにしばらく歩いて駅の構内、列車の操車場のような所へ差し掛かると、その土場に撤去されたH鋼が山に積んである。先ほど写真を撮った鉄橋と色も形も似ていると思った。塗装工事の記録が記されていたのでそれを読むと、この鋼材は大正9年に製作されたとある。90年以上も列車を支えてきて、ようやくお役御免になったのだろう。

家に帰ってからネットで調べると、四日市港までの関西本線貨物支線が、大正9年の開業とある。この鋼材は、そのときに使用されたものであろう。


さらにしばらく歩いて駅の構内、列車の操車場のような所へ差し掛かると、その土場に撤去されたH鋼が山に積んである。先ほど写真を撮った鉄橋と色も形も似ていると思った。塗装工事の記録が記されていたのでそれを読むと、この鋼材は大正9年に製作されたとある。90年以上も列車を支えてきて、ようやくお役御免になったのだろう。

家に帰ってからネットで調べると、四日市港までの関西本線貨物支線が、大正9年の開業とある。この鋼材は、そのときに使用されたものであろう。

四日市港 末広橋梁
潮吹き防波堤の写真を撮るために、駅の観光案内所でお話しを伺った。そこでいただいた 「四日市散策マップ~海岸めぐり編~」 によると、旧港の近くに珍しい鉄道橋があるという。「末広橋梁」 といい、鋼鉄製の跳ね橋である。活気のある港の風景を観ながら運河をぐるりと迂回して、この橋も取材することとした。

橋の長さは約58m、幅員は4.1m、5連の桁で構成されているが、1連はコンクリート桁、4連が鉄桁である。橋脚上に建つ門型鉄柱の頂部にケーブルが渡されていて、それをウインチで巻き上げることにより、中央の橋が持ち上がるようになっている。平日は通常、跳ね上がっていて列車運行時に降ろされる。逆に休日は、船が通過するときのみ跳ね上げる運用となっている。

昭和6年 (1931) 竣工、橋梁技術者として高名な山本卯太郎の設計、山本鉄工所により制作された。橋梁技術史上貴重な存在であるとともに、現役では最古の鉄道可動橋であるとして、平成10年に国の重要文化財に指定された。

橋の長さは約58m、幅員は4.1m、5連の桁で構成されているが、1連はコンクリート桁、4連が鉄桁である。橋脚上に建つ門型鉄柱の頂部にケーブルが渡されていて、それをウインチで巻き上げることにより、中央の橋が持ち上がるようになっている。平日は通常、跳ね上がっていて列車運行時に降ろされる。逆に休日は、船が通過するときのみ跳ね上げる運用となっている。

昭和6年 (1931) 竣工、橋梁技術者として高名な山本卯太郎の設計、山本鉄工所により制作された。橋梁技術史上貴重な存在であるとともに、現役では最古の鉄道可動橋であるとして、平成10年に国の重要文化財に指定された。
四日市旧港 潮吹き防波堤
四日市旧港の沖側 (西側) に長さ約200mの防波堤がある。この堤防は特殊な形状をしていて、「潮吹き防波堤 」と呼ばれている。その構造は、高さ3.7mの小堤防と4.7mの大堤防が二重になっており、大堤防には49個の水抜き穴が開いている。台風など大きな波が押し寄せると、大小堤防の間にある溝に海水が入り、五角形の穴から噴出することにより水の勢力を弱めるのである。

この堤防は明治27年 (1894) の、大改修のときに造成された。オランダから来日したお雇い外国人 (内務省技術顧問) ヨハニス・デ・レーケ (1842~1913) の設計と言われている。デ・レーケは30年以上も日本に留まり、全国各地に砂防や治山の土木施設を残している。この地域では、木曽三川の分流工事や中津川の巨石積み堰堤などが有名である。施工は三河の技師服部長七 (1840~1919) が行い、いわゆる 「長七たたき」 により自然石を固めている。

現在は、防波堤のさらに沖側が埋め立てられているため、「潮吹き」 を見ることはできない。平成8年、他の港湾施設とともに国の重要文化財に指定された。


この堤防は明治27年 (1894) の、大改修のときに造成された。オランダから来日したお雇い外国人 (内務省技術顧問) ヨハニス・デ・レーケ (1842~1913) の設計と言われている。デ・レーケは30年以上も日本に留まり、全国各地に砂防や治山の土木施設を残している。この地域では、木曽三川の分流工事や中津川の巨石積み堰堤などが有名である。施工は三河の技師服部長七 (1840~1919) が行い、いわゆる 「長七たたき」 により自然石を固めている。

現在は、防波堤のさらに沖側が埋め立てられているため、「潮吹き」 を見ることはできない。平成8年、他の港湾施設とともに国の重要文化財に指定された。
