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上高地の河童橋

 上高地は登山を愛する人々の憧れの地である。北アルプスで最も人気の高い槍ヶ岳や穂高岳に登るための導入口になっている。槍ヶ岳に端を発する梓川が、明神岳の出っ張りのため大きく蛇行したところに広い平坦地がある。かつて焼岳の噴火のために川が堰き止められ、いったん湖となった後、長年月の間に土砂がたまってできた土地だと言われている。同じように大正4年の大噴火のときにできたのが大正池である。

上高地A

 河童橋は、雄大な穂高連峰全体が眺められるビューポイントに架けられている。正面に岳沢の雪渓が見える。その左に奥穂高岳と西穂高岳が聳え、右には前穂高岳と明神岳が迫ってくる。足元には、梓川の清流と真っ白な小石の洲が見えている。
 河童橋が初めて架けられたのは明治25年、日本アルプスを世界に紹介したW・ウェストンが始めて槍ヶ岳に登頂した年である。明治43年に吊り橋の形式になり、その後、4回の架け替えが行われた。現在の橋は、平成9年に建設された5代目である。長さ約37m、幅は約3m、芥川龍之介の小説 「河童」 にも登場する。上高地全体が、特別名勝・特別天然記念物に指定されている。

上高地マップ2

半田赤レンガ建物

 ヒガンバナの咲く矢勝川から1kmほど南へ行ったところに、巨大なレンガ造りの建物がある。明治31年 (1898)にビール会社が建造したもので、今では幻となってしまった 「カブトビール」 を製造していた工場である。(現在上映中の宮崎駿監督作品 「風立ちぬ」 の中に、名古屋駅前の 「カブトビール」 広告塔が登場する。)
 地上5階建ての煉瓦造りで、建築面積は約3,500㎡、現在は一部解体されたために約2,800㎡である。使用したレンガの数は、国内最多の東京駅に次ぐ、約300万個であったという。明治建築界三巨頭の一人、妻木頼黄 (つまきよりなか) の設計によるものである。

半田レンガ建物a

 ビールをつくるには室内を低温に保ち、湿度もなるべく変化させないようにする必要がある。そのため、外壁は非常に厚い5層の複壁で、内部に空気の層をもつ構造である。北側の壁の断面が見えるようになっていて、長さが分かるようにメジャーが貼りつけてあり、それによると168センチもの厚さである。

半田レンガ建物c

 この工場は、昭和19年には中島飛行機製作所の衣料倉庫となり、戦後はコンスターチ加工の工場となっていた。平成6年までは使用されていたが、それ以降は廃止となり、建物は解体されることになった。一部の解体が進む中、市民からの撤去を惜しむ声が強まったので、半田市は買い取って保存する方針とした。平成16年には国の登録文化財となり、21年には、近代化産業遺産に認定されている。

半田レンガ建物マップ

矢勝川の彼岸花

 愛知県の半田市と阿久比町の境に矢勝川という小さな川が流れている。この川の堤防には約200万本のヒガンバナが植えられていて、毎年9月下旬 (秋のお彼岸ごろ)、堤防を真っ赤に染めるほどに花を咲かせる。これは20年ほど前から半田の人たちが植え育て、年々増やしていったものである。中心になって活動しているのは 「矢勝川の環境を守る会」 の方々で、川の清掃にも取組んでいる。

矢勝川1

 ヒガンバナは、種で繁殖するのではなく球根で増えていく。9月中旬になると突然地中から芽が出てきて、1週間ほどで真っ赤な花をつけるのでビックリする。花が終わると濃い緑色の葉が繁り、冬の間に栄養を球根に蓄え、春になると地上部は枯れてしまうのである。球根にはリコリンという毒が含まれているが、飢饉の時には、水さらしにより毒を消して救荒食物にしたという。
 この半田市岩滑 (やなべ) 地区は、新美南吉の童話 「ごんぎつね」 の舞台であり、近くにその記念館がある。今年は、南吉の生誕100年目に当たり、各種の記念事業が開催されている。

矢勝川マップ

御前埼灯台

 遠州灘は昔から、岩礁での座礁や荒波による難破などが多く、船舶航行の難所といわれてきた。徳川幕府は寛永12年 (1635)、この地に 「見尾火(みおび)灯明台」 を設置したという。明治7年 (1874) には、英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるレンガ造りの大型洋式灯台が完成した。昭和20年、太平洋戦争の戦火により大きく損傷したが、4年後の復旧工事により元のように復元されて今に至っている。

御前崎N

 緑濃い崖の上に建つ白亜の灯台は、歴史的にも文化的にも価値が高いとして 「日本の灯台50選」 に選ばれている。灯台守夫妻の生活を描いた、昭和32年制作の松竹映画 「喜びも悲しみも幾歳月」 (木下恵介監督) の舞台になったことでも有名である。ちなみに市名は 「御前崎市」 であるが、灯台名は 「埼」 の字が使われている。

御前崎 マップ

焼津漁港の運河

 焼津は古くから漁業が盛んで、江戸時代にはすでに相当規模の漁港が形成されていた。明治になって、石油発動機付きの漁船が導入されると、漁場も黒潮流域の彼方にまで広がっていった。さらに昭和には、大型カツオ漁船が進水するなど東洋一の遠洋漁業の基地として栄えるようになる。現在も水揚げ高では、全国一二を争う漁港である。
 海岸線に平行して、1本の運河が走っている。これは、魚や物資を運搬するために、元禄13年(1700)に掘られたものだという。海岸と運河に挟まれた町並みを 「浜通り」 という。ここには、カツオのなまり節などを作る水産加工屋さんが軒を並べている。

焼津 マップ

 一軒のお店の玄関に、不思議な構造物を見つけた。お店の人にお伺いすると、台風などの高潮のときに海水が家屋の中まで浸入しないようにする「板堰」だという。わざわざ板を持ってきて、実際に行うように設置して見せてくれた。

焼津港A
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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