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大垣の自噴井戸

 揖斐川は、山地を抜け出て平野に差しかかった所に広大な扇状地を形成している。大垣は、その扇状地の先端部に位置しているため地下水が豊富で、いたるところに自噴井戸が湧いている。
 お城近くの八幡神社にも、こんこんと湧き出る泉があった。四阿により覆われており、また足場もあるので、多くの人々が水を汲みに来る。水質がいいので、コーヒーを入れても、お茶を点てても美味しいのだという。

大垣自噴井戸A

 大垣駅近くにも、「掘抜井戸発祥の地」 というのがあった。その由来は・・・ 「いくら水の都とは言えども、ひどい渇水期には水が枯れ、三清水といわれる泉に人々が集中することとなる。そこで、天明2年 (1782) 、こんにゃく屋の文七が川端に2mほどの穴を掘り、その底から5mの材木を打ち込み、その跡に節を抜いた竹を入れると水が噴出した」 という。これが掘抜井戸の始まりである。現在は、幹線道路の歩道上に説明板とモニュメントが設置されている。

大垣自噴井戸マップ

大垣 「曽根城公園花菖蒲園」

 JR大垣駅から名阪近鉄線のバスに乗り換えて約20分、さらに15分ほど歩くと曽根城公園に至る。住宅地を過ぎると突然視界が開けて、広大な菖蒲池が目に飛び込んでくる。池の面積約4000㎡、 170種のハナショウブが約1万7千本も植えられている。5つに分かれた池の間には、観賞用の園路や八つ橋が設けられていて、咲き誇る花をつぶさに観ることができる。

大垣花菖蒲園マップ

 「曽根城」 は、西美濃三人衆と謳われた戦国時代の武将斉藤良通 (入道した後の号は 「一鉄」 ) の居城であった。一鉄は斉藤道三に仕えたが、後に信長の家臣となり 「姉川の戦い」 でも殊勲を揚げ、秀吉時代には 「小牧・長久手の戦い」 にも参加している。その頑固な性格もよく知られていて、「 頑固一徹 」の語源になったという説もある。
 ハナショウブは、5月のアヤメやカキツバタに遅れて6月が見ごろとなる。最も品種改良が進んでいて、花色や花弁の形が実に豊富である。その一端をご覧ください。

菖蒲4枚の1
花菖蒲4枚の2

西北隅櫓と乃木倉庫

 本丸の西北 「御深井丸 (おふけまる) 」 の角に 「西北隅櫓」 が聳えている。瓦屋根、三層の漆喰塗り込めである。西面・北面に千鳥破風があり、その下部は石などを落とす 「落狭間」 になっている。もし西軍が関ヶ原方面から攻め寄せれば、最初に到達する位置にある重要な櫓である。清洲城の小天主を移築したという説もあり、別名 「清洲櫓」 とも呼ばれている。重要文化財に指定されている。

西北隅櫓

 同じく 「御深井丸」 に、明治時代に建てられた近代建築がある。後に陸軍大将となる乃木希典が、名古屋鎮台に配属されていた明治初期に建てられたと伝えられ、誰言うとなく 「乃木倉庫」 と呼ぶようになった。昭和20年の大空襲のとき、本丸御殿の障壁画や天井画の大半は取り外され、この倉庫に保管されていたため焼失の難を免れた。不幸中の幸いと言えよう。登録文化財に指定されている。

乃木倉庫A

旧天守閣の礎石

 “尾張名古屋は城でもつ” と永く謳われるように、名古屋城天守閣はまさに名古屋のシンボルである。しかし、現在見られる天守閣は、昭和34年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、もともとの天守閣は戦災で焼けてしまった。昭和20年5月14日の名古屋大空襲は、名古屋の街を焼き、国宝の天守閣も本丸御殿も焼き尽くしてしまったのである。

天守閣マップ

 天守閣の北に、大きな石が碁石のように並べられている。これは旧天守閣の礎石で、巨大な建築を支えるために地階の地盤上に置かれていたものである。焼け跡に残されていたが、天守閣再建に当たってこの地に移された。天守閣と本丸御殿が残っていれば、姫路城と二条城に匹敵する存在であり、世界遺産に登録されること間違いなしであろうと思うと、つくづく残念である。

天守閣礎石縮小


名古屋城「旧二之丸東ニ之門」

 この門は現在、本丸の 「東ニ之門跡」 に建てられている。しかし、もともとは二之丸東の枡形へ入るための外門であり、東鉄門と呼ばれていた。昭和38年 (1963)、ニ之丸内に愛知県体育館が建設されるのに伴って解体撤去されたものである。昭和47年になって現在地に移築され、さらに平成22年~24年にかけて解体修理された。

名古屋城二の丸東門修正

 二之丸の北の石垣上、転落防止柵の外側に奇妙な物を見つけた。説明版があり、「南蛮たたき鉄砲狭間・・・非常に珍しく貴重な文化財」 とある。 “南蛮(西洋)渡来のたたき製法による鉄砲狭間” という意味であろう。確かに穴が開いており、堀を渡って攻め寄せる敵方に、鉄砲弾を浴びせかける戦闘施設である。 「たたき」 というのは、コンクリートが登場する以前に、粘土と石灰および砂利を混ぜて固めた構造物である。

名古屋城二の丸マップ

近鉄宇治山田駅

 伊勢神宮参詣の玄関口としては、JR参宮線・近鉄山田線の伊勢市駅および近鉄宇治山田駅がある。天皇陛下を始めとする皇室や総理大臣などの貴賓客は、この宇治山田駅に降り立って、お車で神宮へ向かうことになっている。そのため、陛下がご休憩される貴賓室も設置されている。
 この駅舎は昭和6年 (1931)、参宮急行電鉄線(現近鉄)全線開通に際して、宇治山田市(現伊勢市)の玄関口として開設されたものである。鉄筋コンクリート造りの3階建て、西南端には5階の塔屋もあり、横幅120mという堂々たる建物である。

宇治山田駅C

 設計は鉄道省建築課長も務めた久野節、蒲郡にある旧プリンスホテル (現在は蒲郡クラシックホテル) の設計者としても知られる建築家である。壁面は全面的にクリーム色のテラコッタ、屋根にはスペイン瓦を使うなど、スパニッシュな雰囲気を醸している。デザイン性の優れた昭和初期の建物として、平成13年、国の登録文化財に指定された。
 ホームの雨避け屋根を支える柱も、古いレールやリベットを使った美しいデザインである。

宇治山田駅マップ

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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