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河津・来宮神社の大楠
河津桜原木の近くの神社に、クスノキの大木があるというので行ってみた。第一鳥居の近くに、幹が腐り込んだ大木があったので、これかと思ったのだが、看板には社の隣にあると書いてある。お社の北側にも大木を見つけたが、これも本命でなく、南側の奥に最大のクスノキがあるという。
桁外れの大木である。伊勢神宮や熱田神宮で大木には見慣れているはずであるが、この木は並外れている。幹周り14m、樹高24m、1000年を越える老樹で国の天然記念物に指定されている。これほどの大木は、屋久島で見た 「縄文杉」 以来見たことがない。(写真左が来宮神社の大楠 右が縄文杉・・・幹周り16m、樹高30m)

来宮神社は、正式な名前を 「杉桙別命神社」 という。平安時代につくられた 「延喜式」 にも記される、古くて格式の高い神社である。今から1300年以上昔の 「和銅年間」 に再建されたという。伊豆半島東岸の沖積平野に立地しており、土壌も肥沃なため巨大なクスノキが生育しているものと思われる。

桁外れの大木である。伊勢神宮や熱田神宮で大木には見慣れているはずであるが、この木は並外れている。幹周り14m、樹高24m、1000年を越える老樹で国の天然記念物に指定されている。これほどの大木は、屋久島で見た 「縄文杉」 以来見たことがない。(写真左が来宮神社の大楠 右が縄文杉・・・幹周り16m、樹高30m)

来宮神社は、正式な名前を 「杉桙別命神社」 という。平安時代につくられた 「延喜式」 にも記される、古くて格式の高い神社である。今から1300年以上昔の 「和銅年間」 に再建されたという。伊豆半島東岸の沖積平野に立地しており、土壌も肥沃なため巨大なクスノキが生育しているものと思われる。

伊豆の河津桜
「河津桜」 は、比較的新しい品種であり、「河津の桜並木」 も新しい名所である。しかし、花が濃いピンク色であり、3月初めには満開になる早咲きであることから人気はうなぎのぼりとなり、全国各地にも名所が出来つつある。
品種的には、南国の 「緋寒桜 (ひかんざくら) 」 と早咲きの 「大島桜」 の自然交配種と考えられている。早咲きの性質は両親から、桃のようなピンク色は緋寒桜からもらったものであろう。江戸時代に作出され、今では桜の代名詞ともなっている「染井吉野」同様に広まるかもしれない。

伊豆急行線の河津駅を降りるとすぐ、線路沿いに並木があり、川の堤防へと導かれていく。堤防上の散策路には、覆いかぶさるようにして花が咲いている。昭和50年に 「町の木」 に定められたころから植栽が進み、今では7000本を越える桜が植えられているという。
駅から1.3kmほど上流に 「河津桜原木」 がある。この “発祥の木” 自体が、樹齢60年という若さである。その近くの来宮神社の境内に、樹齢1000年といわれるクスノキの大木がある。幹周り14m、樹高24mという堂々とした老樹で、屋久島の縄文杉と同じような感動を覚えた。

品種的には、南国の 「緋寒桜 (ひかんざくら) 」 と早咲きの 「大島桜」 の自然交配種と考えられている。早咲きの性質は両親から、桃のようなピンク色は緋寒桜からもらったものであろう。江戸時代に作出され、今では桜の代名詞ともなっている「染井吉野」同様に広まるかもしれない。

伊豆急行線の河津駅を降りるとすぐ、線路沿いに並木があり、川の堤防へと導かれていく。堤防上の散策路には、覆いかぶさるようにして花が咲いている。昭和50年に 「町の木」 に定められたころから植栽が進み、今では7000本を越える桜が植えられているという。
駅から1.3kmほど上流に 「河津桜原木」 がある。この “発祥の木” 自体が、樹齢60年という若さである。その近くの来宮神社の境内に、樹齢1000年といわれるクスノキの大木がある。幹周り14m、樹高24mという堂々とした老樹で、屋久島の縄文杉と同じような感動を覚えた。

湯河原の梅林
翌日、湯河原にも梅林があるというので訪ねてみた。この梅林は、谷間にある熱海の梅園とは趣を異とし、山の中腹一帯の斜面に広がっている。そのルーツは、戦後まもなく、崖崩れ対策と将来の観光資源を目的として、地元の人たちが植えたものだという。
後ろに聳える 「幕山」 は、箱根火山の一部で、粘性の高いマグマが噴出して固まった溶岩ドームである。幕山の名前は、南麓に露出した岸壁が遠くから眺めると、舞台の「幕」のように見えることからの命名である。近くで見ると、縦に割れ目のある「柱状節理」であることがわかる。

梅の木は、その後何度も補植され、今では4000本もの紅梅・白梅が咲き誇る関東随一の梅林となった。日当たりや土壌にも恵まれ、管理も行き届いているのでのびのびと育ち、花付きも良い。谷部には、飲み物や地元の特産品などを販売するブースやお休み所もあって、楽しい雰囲気を醸し出している。

後ろに聳える 「幕山」 は、箱根火山の一部で、粘性の高いマグマが噴出して固まった溶岩ドームである。幕山の名前は、南麓に露出した岸壁が遠くから眺めると、舞台の「幕」のように見えることからの命名である。近くで見ると、縦に割れ目のある「柱状節理」であることがわかる。

梅の木は、その後何度も補植され、今では4000本もの紅梅・白梅が咲き誇る関東随一の梅林となった。日当たりや土壌にも恵まれ、管理も行き届いているのでのびのびと育ち、花付きも良い。谷部には、飲み物や地元の特産品などを販売するブースやお休み所もあって、楽しい雰囲気を醸し出している。

熱海の梅園
今月の初め、MOA美術館で開催されている尾形光琳の作品展を観るために、熱海へ出かけた。尾形光琳300年忌と銘打った特別展で 「紅白梅図屏風」 と 「燕子花図屏風」 の二大国宝を同時に展示したものである。
“カキツバタ” の方は、以前このブログの三河八橋の項 (2014・05・26) で取り上げたことがある。しかし、本物を観るのは初めてで、長年の夢を叶えることができたのである。“ウメ” の方は、数十年前に名古屋市博物館で観た覚えがあり、二度目のご対面である。平日ということもあって鑑賞者も少なくゆっくりと観ることができた。

名画鑑賞の後、ちょうど見ごろだというので、近くにある 「熱海梅園」 を訪れた。明治の初めごろ、「健康の元は、温泉と自然」 という考えの下に開設された庭園である。山林約2.5haを整備して、梅や松、カエデなど3000本が植えられたという。真中を流れる川の水を挟んで、白や紅の梅が咲き誇り、まさに “光琳の屏風” さながらの景色を呈していた。

“カキツバタ” の方は、以前このブログの三河八橋の項 (2014・05・26) で取り上げたことがある。しかし、本物を観るのは初めてで、長年の夢を叶えることができたのである。“ウメ” の方は、数十年前に名古屋市博物館で観た覚えがあり、二度目のご対面である。平日ということもあって鑑賞者も少なくゆっくりと観ることができた。

名画鑑賞の後、ちょうど見ごろだというので、近くにある 「熱海梅園」 を訪れた。明治の初めごろ、「健康の元は、温泉と自然」 という考えの下に開設された庭園である。山林約2.5haを整備して、梅や松、カエデなど3000本が植えられたという。真中を流れる川の水を挟んで、白や紅の梅が咲き誇り、まさに “光琳の屏風” さながらの景色を呈していた。
