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浜名橋

 新居の関所跡を少し東へ歩くと、個性的な橋が架かっている。国道301号線 (旧東海道) が準用河川 「洲崎川」 を渡る橋である。橋梁そのものは、ポストテンション方式単純PCT桁橋であり、橋長25m・幅員13mという普通の橋であるが、親柱や欄干が独特のデザインになっている。
 この橋の位置が、JR東海道本線新居駅から特別史跡新居関跡へのルートになっていることから、歴史風景や観光客への配慮を求められたのである。4本の親柱は常夜灯をモチーフにし、高覧は木製の柵 (実際はアルミ製で吹付け塗装) をイメージしている。また、歩道の路面は、疑石タイルで石畳を表現している。 浜松市の指導のもと、当社中部復建㈱が設計した。

浜名橋

 川の水は、海に近いこともあって、あまり流れは感じられない。むしろ、干潮や満潮による動きの方が大きいものと思われる。橋の下流あたりは漁港となっていて、船外機をつけた小型の漁船が繋留されていた。

浜名橋マップ

舞阪漁港と津波避難施設

 浜名湖は、古くは 「遠津淡海 (とおつあわうみ) 」 と呼ばれていた。琵琶湖 (近江) より遠くにある淡水湖の意味で 「遠江 (とおとうみ) 」 の語源でもある。ところが、明応7年 (1498) に発生した大地震と津波により、湖と海とを隔てていた砂堤が決壊して、塩水と淡水が混ざり合う汽水湖になってしまった。決壊した場所は “今切れた” という意味の 「今切(いまぎれ)」 と呼ばれている。現在、浜名湖大橋の架かっている所である。

舞坂漁港マップ

 天竜川や浜名湖の真水が混ざる遠州灘は、植物性や動物性のプランクトンが豊富なため、それをねらう魚が集まってくる。特にマイワシやカタクチイワシの稚魚 「シラス」 は、漁獲高日本一である。天然塩と太陽光により生産される 「シラス干し」 は、新鮮で特別に美味だという。
 舞阪港の東、脇本陣の直ぐ前に、津波避難施設が設置されていた。東海沖地震や南海トラフ地震での被害を少しでも回避しようとの対策である。標識には、海抜3.4mと記してあり、施設の高さ10.5mと合わせて13.9mの屋上へ避難することになる。

舞坂漁港地震

舞坂宿脇本陣

 新居関所を越え、今切渡船場から渡し舟で浜名湖を渡ると舞坂渡船場に到着する。舞坂宿は江戸から数えて30番目の宿駅である。弘化2年 (1845) の資料によれば人口約1200人、戸数は265戸であったという。比較的大きな宿場町である。
 渡船場近くに「茗荷 (みょうが) 屋」と呼ぶ脇本陣がある。元は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成されていたが、現在は書院棟一棟が残されている。旧東海道に脇本陣は他になく、唯一の遺構として、非常に貴重な存在となっている。

舞坂宿A

 平成7年に、復元保存のための解体工事が行なわれた。書院棟の鬼瓦に 「天保九年」 との篦書が発見され、また、床の間落掛材に 「天保九年戌春ヨリ秋迄数月」 との墨書が見つかったことにより、建築年次は天保9年 (1838) であることが判明した。下の写真は、上湯殿・上段の間・庭園・炊事場である。
 注):地名の「舞坂」は、現在では「舞阪」の字を使用している。

舞坂宿B
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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