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安倍川橋

 丸子宿と現在の静岡市に当たる府中宿の間には、安倍川が横たわっている。明治になるまで、この川には橋が架けられていなかった。人足による川越が廃止されて渡し舟に代わったのは、明治4年 (1871) のことである。難儀する旅人を救おうと、明治7年に初めて橋が整備された。長さ280間 (約510m)、幅2間 (3.6m) の木橋で、「安水(あんすい)橋」と名付けられた。
 この橋が老朽化したため、架け替えが行なわれたのは明治36年のことである。今度も木橋であるが、桁は木鉄混合で 「ポニー・クィーンポスト・トラス」 という形式である。橋脚は、丸太を4本一組にした強靭な橋梁であった。

安倍川橋マップ

 現在の橋は、大正12年(1923)に架け替えられたものである。「ボーストリング・トラス」 という形式の鉄橋で、弓と弦のような形が14個連なっている。当時鉄鋼は輸入に頼っていて、鋼材には 「DORMAN LONG Co」 と英国鉄鋼メーカーの名が刻まれている。
 西側からは富士山が間近に見え、絵のような景色になっている。東側の橋のたもとには、静岡名物 「安倍川もち」 の老舗があった。この橋は、平成17年に土木学会選奨の土木遺産に選定された。

安倍川橋D

米沢の雪対策

 先日の大寒波で、日本海側だけでなく太平洋岸にも雪が降った。さらに、100年以上も雪を見たことのない奄美大島にまで積雪があり、島民だけでなく日本中を驚かせた。普段雪のない地方では、わずかな積雪でも交通機関が麻痺するなど大混乱が生ずる。それに比べ、毎冬雪に見舞われる地方では、きちんと雪対策が行なわれている。
 昨年秋、山形県を旅行した。県内でも雪の多い米沢地方では、すでに樹木への雪対策が始まっていた。金沢の兼六園などで見られるようなワラ縄を使った「雪吊り」でなく、丸太や板などによる防護である。右の写真は、まだ製作途中で、冬の前に板を貼るのであろう。

米沢D

 住宅地の道路の側溝には、鉄筋による除雪用の蓋が設置されていた。道路に積もった雪を、側溝に流すための装置である。雪で全てが覆い尽されると、道路も側溝も見分けが付かなくなるのであろう。誤って側溝へ転落し、子どもが流されてしまうという事故への対策である。雪に悩まされる地域の人々の、知恵が考え出した 「土木文化」 だと思った。

米沢マップ

明治トンネル

 宇津ノ谷峠を越える東海道は、古代からの重要な街道で、峠越えは難所として知られていました。明治7年 (1874)、交通の利便性を向上させるために、地元の有力者が発起人となってトンネル工事を開始しました。難工事は明治9年に完了しましたが、岡部宿側の掘削と丸子宿側の掘削がずれたため、「く」 の字に折れ曲がったトンネルになってしまいました。構造も両側では異なり、丸子側は石積みでしたが、岡部側は角材を合掌造りに組んだものでした。
 日本最初の有料トンネルとして、明治9年11月から使用開始されましたが、明治29年に照明用のカンテラから出火して木製枠組が焼失し、トンネル入口が崩壊してしまいました。現在のトンネルは、明治36年に煉瓦積みで再整備されたものです。

明治トンネルマップ

 今度は直線で約200mの延長、イギリス式の4重煉瓦積み工法で造られました。自動車通行が主流になる昭和5年には、西側に新たなトンネルが完成し、現在は自転車と人だけの通路になっています。高い技術による建設と良好な保存状態が評価されて、現役のトンネルとしては全国初の国登録文化財になりました。
 トンネルの前後はうっそうとした樹林で、日陰に生育するアオキが紅い実をつけていました。坑内の赤い煉瓦壁やカンテラ風の照明などにより、明治時代の雰囲気を味わうことができます。途中、毎日自転車でこの道を通っていると言う人に出会いました。

明治トンネルC

三遠南信自動車道のトンネル工事

 三遠南信自動車道 (一般国道474号) は、長野県飯田市から静岡県浜松市に至る延長約100kmの高規格幹線道路で、中央道と新東名とを連絡する。完成すれば、奥三河・北遠州・南信州の連結が強化され、この地域の発展に大きく寄与することが期待されている。
 その中の佐久間道路は建設途上で、現在、東栄地区第一トンネルが掘られている。このトンネルは北設楽郡東栄町と浜松市佐久間町を結ぶもので、延長約3500mである。昨秋、工事現場を見学させていただいた。トンネル内では掘削機が稼動し、25トンもの大型のダンプカーが行き来しているため、中へ入ることはできなかったが、その力強い工事の模様を想像することはできた。

トンネルA

 トンネル入口の頭の所に、奇妙な造形物があるので現場技師の方に尋ねてみると、安全のためのお守りだという。その意味は、山やトンネルには女性の神様がいるので、男性のシンボルを模って (かたどって) 事故がないようお祀りしているのだと説明してくれた。多くの危険が伴うトンネル工事に携わる人たちの、安全に対する強い思いが表れているのだと感じた。

トンネル マップ

二宮金治郎の像

 最近はあまり見かけなくなったが、かつては多くの小学校に 「二宮金治郎の像」 が設置されていた。幼い少年が、薪 (たきぎ) を背負って歩きながら本を読んでいる姿に、「勤労」 「勉学」 という 「徳」 を表現したものであろう。最近では、このような道徳的な施設を避けるためか、歩きながらの読書は危険であるためか、金治郎の彫像を見ることはほとんどない。

金治郎A

 掛川城の隣に報徳運動の中心施設 「大日本報徳社」 がある。報徳運動とは、明治維新前後の日本近代化黎明期に、二宮尊徳が唱えた報徳思想を普及させるための運動である。尊徳は全国各地の困窮した600余の農村救済に尽力したが、その体験から生まれた考え方である。その柱は、「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」 であるという。
 この運動は全国に浸透し、多くの団体が結成されたが、静岡県特に掛川地方で活動が盛んであった。その中心施設がここで、大講堂 (上の写真=国重要文化財)、正門 (県文化財)、図書館 (下の写真=県文化財) などが整っている。

金治郎マップ

掛川城の天守閣と御殿

 掛川の城の歴史は古く、西暦1500年ごろに今川氏が築いたのが最初といわれます。その後、今川氏の勢力拡大に伴って手狭となり、500mほど西の現在地に新たな城が築かれました。しかし、永禄3年 (1560) に今川義元が桶狭間の戦いで討たれると、永禄11年には徳川家康がこの城を攻め取りました。一時期、豊臣秀吉の支配下になり山内一豊が入城しましたが、江戸時代には徳川譜代大名の居城となりました。
 外観の美しい天守閣は 「東海の名城」 と謳われましたが、安政元年 (1854) の東海大地震により損壊し、再建されることもなく明治維新の廃城を迎えます。それから140年を経た平成6年、掛川市民の熱意と努力が実を結び、全国初の本格的木造建築として復元されました。

掛川城B

 天守閣の南東にある二の丸に、御殿が残っています。安政の大地震では御殿も倒壊しましたが、時の城主太田氏によって文久元年(1861)に再建されました。明治になって藩が廃されると、学校や役場として使用されてきました。
 昭和47年から50年にかけて、藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築として保存修理が施され、昭和55年には国の重要文化財に指定されました。現存する城郭御殿としては、京都ニ条城など全国に4か所しかない貴重な建物です。

掛川城マップ

木原一里塚と袋井宿の茶屋

 「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」 一休さん (一休宗純) の狂歌です。彼特有の皮肉か禅問答なのでしょう。それはともかく・・・新年おめでとうございます。
 今年のブログのスタートも、一里塚から始めたいと思います。磐田市の見付宿と袋井市の袋井宿の間に木原という村があり、そこに江戸から数えて61番目の一里塚がありました。1里は約4kmですから、約240km離れていることになります。東京国立博物館に 「東海道分間延絵図」 が残されており、その木原村の部分に一里塚が描かれています (右図)。左の写真は、復元された一里塚で、元の位置より60mほど西につくられています。

木原宿B

 袋井宿は、他の宿より少し遅れて元和2年 (1616) に開設されました。江戸から27番目の宿ですから、五十三次のちょうど真中に当たります。最近では 「此処はどまん中袋井宿」 などという看板を設置して、観光PRに努めています。宿の東端、川のほとりに 「お茶屋」 がありました。江戸時代の旅人も、足を休め咽喉をうるおすために、このような茶屋に立ち寄ったのでしょう。

木原宿マップ
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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