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志賀公園のラジオ塔

 名古屋市北区、名古屋城の北方に志賀公園がある。面積約5haの地区公園で、昭和の初期に、西志賀土地区画整理組合から寄付された敷地を核に整備された公園である。水と緑の豊な公園で、野球場やミニスポーツ広場、花や彫刻を見て歩く散策園路などが備わっている。
 その樹林の一角に、コンクリートづくりで高さ3mほどの施設がある。同じようなものを中村区の中村公園でも見たことがあり、何かなぁと思っていたところ、昨日の中日新聞の記事で知ることができた。地元の自治会長さんたちが疑問に思い、調べた結果 「ラジオ塔」 だということが分かったという。調べるきっかけになったのは、“写真を撮りにきた男性が住民に質問した” と記事にあるが、ひょっとしたらその男性とは私のことかもしれない。

志賀公園マップ

 ラジオ塔とは、戦時中までに全国に建てられたもので、上部に置いたスピーカーからラジオ放送を流し、住民が体操をしたりスポーツ中継を聞いたりしたものである。戦時中は、大本営発表など戦意高揚にも使われていたという。終戦の玉音放送も流れたかもしれない。全国に460か所建てられたが大半は撤去され、現在残るものは数少ないとのこと。
 公園の中央部に、柵で囲まれた立派な石碑が建っている。これは、この地の屋敷に住んでいた織田信長の忠臣 「平手政秀」 の記念碑である。よく大河ドラマなどで、信長の若いころは行状が悪く、父信秀の葬儀で位牌に灰を投げつけるなどのシーンが描かれる。信長の補佐役だった政秀は行く末を案じ、自害してこれを諌めたという。歴史ある公園には、いろいろな物語が残っている。

志賀公園C

箱根の杉並木

 「箱根八里」 の歌は、鳥居忱作詞・滝廉太郎作曲である。♪♪箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず 万丈の山 千仭の谷 前に聳え後に支う 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす♪♪ と歌い、
“昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か・・・” と続く。子どもの頃から暗記していて、昼でも暗い杉並木が如何ばかりかと想像し、一度は訪ねてみたいと思っていた。
 直径が1mを越すような杉の大木が、間隔短く街道の両側に立ち並んでいる。伊勢神宮にも杉の巨木が林立しているが、“羊腸の小径” というほど道幅狭くなく、曲がりくねってもいないので、もっと明るい雰囲気である。箱根はまさに “昼猶闇い” のである。

箱根杉並木A

 この杉並木は江戸時代、旅人に木陰を与えたり、風雪から守ったりといった大切な役割を果たしてきた。しかし近年、樹勢の衰えが目立ってきたので昭和末期に活力調査をし、現在まで各種の保護対策を講じている。根元を踏み固めることは樹木にとって最も悪い影響を与えるので、人が入らないようにアジサイを植えたり、遊歩道に砂利を敷くなどを行なっている。
 うす暗い並木道を過ぎると、突然視界が開けて明るい芦ノ湖に出る。水面と樹林の向うに雪を被った富士山を望む景観は、どんな造園家でも設計不可能な自然の造形であろうと思われる。

箱根杉並木マップ

 このブログも、とうとう300回目になりました。平成25年3月から始めましたので、ちょうど4年になります。年平均75回の発信ということです。我ながらよく続いていると思いますが 「土木文化」 の範囲が広いので、探せばネタはいくらでも見つかるのです。まだまだ懲りずに続けますので、アクセスのほどよろしくお願いいたします。

箱根の関所跡

 路線バスで1時間弱、箱根峠を越えると箱根の関所跡に至る。江戸時代、この関所は最も重要な見張り所で、規模も大きかったという。箱根を越えると、いよいよ関東に入ることとなるので、いわゆる 「入り鉄砲に出女」 に対する取り締まりも厳しかった。箱根山は森が深く、間道などを抜けて関所破りを試みる者もいるので、要所々々に見張り所が置かれていた。
 写真は、西から東へ向かう旅人がくぐる 「京口御門」 である。門の中に見えるのは大番所、役人が通行者を 「関所改め」 する所である。その手前に厩 (うまや) があり、5頭の馬をつなぐようになっていた。その他に、足軽番所や獄舎があり、通行を認められると、東側の江戸口御門から出ることができるようになっていた。

箱根関所マップ

 江戸口御門を抜けると、坂道に差し掛かる。山と芦ノ湖の間の曲がりくねった道である。関所前で寄木細工などを売るお土産屋に古い写真が飾ってあり、往時の様子を伝えている。「箱根名勝・旧関所址」 と記されており、観光客がジープの来るのを待っている。その写真と現在の風景を比べると、ほとんど変わっていないことに気付く。
 その先をさらに進むと、鬱蒼とした杉並木が残っており、昔ながらの旅人になったような気分が味わえる。このあたりは “箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず・・・” との唱歌そのものである。芦ノ湖の東端の元箱根には、現在、遊覧船の発着する港がある。ただし、江戸時代には、旅人が舟で渡ることは許されていなかった。

箱根関所B

箱根西麓・三島大吊橋

 旧東海道・静岡方面の最終取材のため、三島から箱根へ向かう路線バスに乗った。途中で、日本最長の大吊橋があるというので下車してみた。三島駅から少し山地を登ったあたりは、富士見ヶ丘と呼ぶように富士山を眺める絶好の場所である。にもかかわらず、特に名所がなかったので、地域活性化に貢献したいと、この橋の計画を進めたという。愛称は 「三島スカイウォーク」 と呼ぶ。
 完成したのは平成27年12月、まだできたばかりの新名所をいち早く体験することができた。歩道幅は1.6mあり、車椅子でもすれちがうことのできる設計である。全長400mは、歩行者専用の吊橋としては日本一だという。谷底からの高さが70mというのもスリル満点だが、何といっても、あらゆる場面で見事な富士山を眺望できるのが魅力である。この日は、真っ青な空の下、白い雪をかぶった美しい姿を撮影することができた。

三島大吊橋マップ

 吊橋のワイヤーを引っ張る塔の高さは44m、これまた真っ白に塗装されていて、濃紺色の空に映えている。延長400mのちょうど中間点では太いワイヤーを触ることができる。橋脚の近くに、屋外エスカレーターがあり、それを昇ると 「スカイガーデン」 というガラス張りの休憩所がある。農業と観光とを結びつける意図をもって整備され、地域の特産品などを販売している。天井からは、ベゴニアやペチュニアの大きなハンギングバスケットが吊るされていた。

三島大吊橋B

地下街の花飾り

 サカエチカのクリスタル広場の中央には、長い間、ガラスのモニュメントが設置されていたが昨年秋に取り外され、その後は催し物などのできるフレキシブルな空間に整備される予定である。サカエチカの全面的リニューアルが完成するまでの間、いろいろな展示・修景が行なわれるが、現在は、「菜の花畑」 になっている。
 郊外のマンションから地下鉄に乗り、都心のオフィスで一日を過ごすといった都会の現代人にとって、自然や農村風景に接する機会は多くない。サカエチカでは、1日10万人もの通行者に、少しでも季節感のある景色を味わっていただこうと、根の付いたナノハナの花壇をつくったのである。ナノハナの苗は、渥美半島観光ビューローが行なっている 「渥美半島菜の花まつり」 ≪1月14日(土)~3月31日(金)≫ の会場から分けていただいた。地下街という日光の当たらない場所で植物を育てるため、LED照明による「植物育成ライト」 を使用している。

サカエチカ菜の花A

 下左の写真は、昨年11月から12月にかけてクリスタル広場に飾られた 「フラワーツリー」 である。金属製の枠組みに組み込まれたカセットに、鉢植えの草花を横向きに植え込む立体花壇である。クリスマスのシーズンだったので、クリスマスツリーにも見えるような植栽とした。草花の種類はプリムラとヘデラである。
 右の写真は、栄交差点から地下街へ降りる8か所の階段に設置した 「フラワーボール」である。これもカセット式の立体花壇である。自社の地下街入口を飾るとともに、栄の街を少しでも綺麗にして市民の潤いにしたいとの栄地下センター ㈱ の思いから実現した施設である。これらの企画・設計および植栽・管理は筆者とその友人たちにより行なわれている。

サカエチカ菜の花B

地下街のトイレ

 名古屋の都心・栄の地下街 「サカエチカ」 の真ん中に 「クリスタル広場」 がある。一日の通行者が10万人を数え、デートなどの待合わせにもよく使われる所である。この広場のコーナーにあるトイレがこのほどリニューアル・オープンした。以前より明るく美しくなったので、利用者が格段に多くなり、特に女性の利用は3倍にも増えたという。
 トイレの重要さは最近特に見直されており、高速道路のサービスエリアや、観光地、デパートなどの公共的な施設では、競って綺麗なトイレを提供している。海外からの観光客が2000万人を越える今日、内外のお客様のために 「おもてなし」 の心を表す意味もある。政府も平成27年に、「日本トイレ大賞」 という制度を設け、快適・清潔・安全なトイレの整備を奨励するようになった。

栄トイレマップ

 サカエチカのトイレは、“あたかも路地に一歩入ったかのような、都市の喧騒から逃れた心和らぐ憩いの空間” を創出する思いで、「五感で感じる」 「ユニバーサルデザイン」 「おもてなし」 をコンセプトに設計された。特に印象的なのは、白と黒・ブラウンをベースにした清潔感のある色調、中央にあるキッズトイレの可愛らしいデザイン、待合スペースに流れるオルゴールの音色などである。
 昭和44年に開業したサカエチカが再来年50周年を迎えるに当たって、全面的なリニューアルを行なう先駆けとしてのトイレ整備である。設計は当社・中部復建 ㈱ の建築部が受託し、女性の感性を重視するために建築家・山口ゆずみ氏の力をお借りして行なった。

サカエチカE

半田市亀崎の潮干祭

 木造建築の鉄道駅としては日本一古いといわれる武豊線亀崎駅 (このブログ2013・04・09参照) を降り、掘割を通り抜けると海岸通に至る。ここで毎年5月3日・4日の両日行なわれる 「潮干祭」 は、かつて 「県社」 にも格づけられた 「神前(かみさき)神社」 の祭礼である。その昔、神武天皇東征の折、海からこの地に上陸したとの伝説に因み、5輌の山車を潮干の浜に曳き下ろすことからこの名がついている。
 曳き下ろしを行なう海岸は、かつては堤防がなく、人家の石垣がそのまま波に洗われていた。ところが昭和34年の伊勢湾台風により、海岸沿いの民家は高潮に飲まれてほとんど倒壊してしまった。その後の復旧工事により高い堤防ができたため、この祭礼最大の見せ場である曳き下ろしはできなくなってしまった。その復活は平成5年、堤防にゲートを設けて人口海浜を造成するまで、30年以上の歳月を待たねばならなかったのである。

亀崎祭りA

 この祭の山車は、知多半島中部から南部に広く伝わる 「知多型」 と呼ばれる形態である。構造は、上山と胴山の二層に分かれ、上山には唐破風の屋根がついている。胴山を構成する梁や柱には、細緻な彫刻が施されるとともに、側面と後方の幕は金糸銀糸による豪壮な刺繍で飾られている。かつてこの地を訪れた永六輔氏は、「山辺の高山、海辺の亀崎」 とこの見事な山車を讃えている。
 平成18年に地元の念願が叶って、山車を含めた祭全体が国重要無形民族文化財に指定された。さらにこの度、ユネスコの文化遺産にも登録されることとなった。私事ではあるが、筆者は中学生になるまでこの地で育ち、法被を着て山車を曳いたこともある。

亀崎祭りB

≪下左の白黒写真は、平成17年に刊行された 「亀崎潮干祭総合調査報告書」 から抜粋した。下右の図面は、平成18年に配布されたパンフレットから写したものである。≫


知立神社の祭礼

                                      ≪再掲: 2015・05・22≫
 普通は 「知立まつり」 といい、毎年5月2日と3日の2日間行なわれる。祭りの歴史は古く、江戸時代・承応2年 (1653) から続いているという。5つの町から高さ7m、重さ5tもあるという山車が繰り出される。本祭りと間祭りが1年おきに行なわれ、本祭りには、山車の台上で 「山車文楽」 と 「からくり」 (いずれも国の重要無形民俗文化財) が上演される。

知立神社祭礼A

 山車は、旧東海道を練り歩くが、道幅が狭いので交差点を曲がるのに苦労する。車体のうしろ側を持ち上げ、前輪を軸に直角に回転するのである。このとき、屈強な若者が力限りに持ち上げ、回転が終わると一気にドスンと落とすのである。このパフォーマンスは、祭りのハイライトとなっている。ちなみに車輪は、松の大木を輪切りにしたものである。
  
知立神社祭礼マップ

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の補助機関が、我が国18府県33件の祭りで「山・鉾・屋台行事」を無形文化遺産に登録するよう勧告した。その中の5か所が愛知県である。これまで、県内には、1つもユネスコの遺産がなかったので、一度に5か所を指定されたことは、とても嬉しいことである。
 1.知立市 山車文楽とからくり
 2.津島市・愛西市 尾張津島天王祭の車楽舟行事
 3.犬山市 犬山祭の車山行事
 4.半田市 亀崎潮干祭の山車行事
 5.蟹江町 須成祭の神葭(みよし)流し


古川祭「起こし太鼓」

 毎年4月19・20の両日、飛騨古川に春を告げる 「古川まつり」 が開催される。気多若宮神社の例祭であるこのお祭は、古式ゆかしい神輿行列や屋台行列に加えて勇壮な「起こし太鼓」が行なわれることから、天下の奇祭ともいわれている
 19日の夕刻から、絢爛豪華な9台の屋台が町内を厳かに曳航される。屋台の重さは約2トン、上中下の三段構造になっていて、それぞれ性質に合わせて異なる種類の木材が使用されている。繊細な彫刻、華麗な金具、漆黒や朱の塗りなど、随所に職人の技を見ることができる。大人2人が一組となって演ずる獅子舞も祭りの賑わいを高めている。この度、日本全国33の祭の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されることとなった。

古川祭A

 この祭りがもっとも異彩を放つのは、19日夜から20日未明まで繰り広げられる 「起こし太鼓」 である。数百人のさらし姿の裸男たちが、大太鼓を載せた櫓 (やぐら) を担いで町内を練り歩く。町の辻々では 「付け太鼓」 と呼ばれる小太鼓を持った、これも裸の男たちが、我先に櫓に迫ろうと攻防戦を繰り広げる。4月とはいえ、奥飛騨の気候はまだ寒い。少し山に登れば樹林の下に雪が残っている。しかし、それぞれの町内が威信をかけて先陣を争う攻防戦は迫力があり、男たちの熱気は白い湯気となって立ち昇る。
 樹林の残雪は、不思議なことに根元周りだけが融けて黒い地肌が見えている。これは 「雪根開き」 と呼ぶ現象である。春になって活動を始めた木の根が、地下から温度の高い水を盛んに吸うようになり、根元周りが暖かくなるためと考えられている。

古川祭B
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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