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天白川の橋 その1
天白川は、日進市の米野木あたりから流れ出し名古屋市東部を縦断した後、西に向きを変えて名古屋港へと注いでいく。河口では、名古屋港ワイルドフラワーガーデン 「ブルーボネット」 のある潮見埠頭にぶつかって左折し、伊勢湾岸道路の 「名港東大橋」 の下をくぐって伊勢湾へと流れていく。全長22.7kmの二級河川である。東大橋は 「名港トリトン」 の一つで、今年3月12日のブログで紹介した。
伊勢湾岸道路には、北から、新しく開通した名古屋高速道路四号線・東海線が東海ジャンクションで合流する。この高架道路は、県道55号線の上部を走っており、天白川を跨ぐ橋梁は2本が重なるように架かっている。県道に架かる橋は、「天白大橋」と呼ぶ。

この辺りでは、国道247号線に沿って、名鉄常滑線が走っている。ここでも道路橋 「千鳥橋」 に並行して名鉄の鉄橋が架かっている。柴田駅から300mほど南である。常滑線は神宮前駅から常滑駅まで約30km、大正元年 (1912) に開通した。現在は常滑駅の先に、空港線がつながっており、中部国際空港までミュースカイが走っている。

伊勢湾岸道路には、北から、新しく開通した名古屋高速道路四号線・東海線が東海ジャンクションで合流する。この高架道路は、県道55号線の上部を走っており、天白川を跨ぐ橋梁は2本が重なるように架かっている。県道に架かる橋は、「天白大橋」と呼ぶ。

この辺りでは、国道247号線に沿って、名鉄常滑線が走っている。ここでも道路橋 「千鳥橋」 に並行して名鉄の鉄橋が架かっている。柴田駅から300mほど南である。常滑線は神宮前駅から常滑駅まで約30km、大正元年 (1912) に開通した。現在は常滑駅の先に、空港線がつながっており、中部国際空港までミュースカイが走っている。

蒲郡の竹島橋
三河湾の蒲郡沖に、小さな島が浮かんでいる。竹島と呼び、周囲680m、面積約2haの花崗岩でできた島である。標高は22mだが、背の高い樹林に包まれているので、さらに高くこんもりとした森に見える。その植生は常緑の広葉樹であり、内陸の落葉樹の森とはまったく景観を異にしている。わずか2haの樹林に、カゴノキやサカキカズラなど65科238種類もの植物が自生していて、学術的にも貴重なことから国の天然記念物に指定されている。
島の中ほどに八百富神社が鎮座している。島全体が神社の境内であり、森厳を守るために森が保護されてきた。創立は古く、安徳元年 (1181) という。古来より 「竹島弁天」 と称して、日本七弁天のひとつに数えられている。領主松平家の崇敬は厚く、徳川家康の参拝も受けている。

陸地近くに島があると波が分かれた後ぶつかり合うので、島との間に浅瀬ができて引き潮時には陸地が見える。フランス北岸のモンサンミッシェルや我が国でも江ノ島などにその地形を見ることができる。この浅瀬に昭和7年、個人の寄進により初めての橋が架けられた。長さ約400m、「竹島橋」 と呼ぶ。現在のものは2代目で、昭和61年に架け替えられたものである。
島の高台から見ると、対岸に三河山系の山々が遠望できる。手前の丘陵に建つのは蒲郡クラシックホテルである。アールデコ様式の瀟洒な建物で、日の出の絶景ポイントとしても有名である。大正から昭和にかけては「常盤館」と呼ぶ料理旅館で、有名な文人たちの利用も多く、小説の舞台にもなった。

島の中ほどに八百富神社が鎮座している。島全体が神社の境内であり、森厳を守るために森が保護されてきた。創立は古く、安徳元年 (1181) という。古来より 「竹島弁天」 と称して、日本七弁天のひとつに数えられている。領主松平家の崇敬は厚く、徳川家康の参拝も受けている。

陸地近くに島があると波が分かれた後ぶつかり合うので、島との間に浅瀬ができて引き潮時には陸地が見える。フランス北岸のモンサンミッシェルや我が国でも江ノ島などにその地形を見ることができる。この浅瀬に昭和7年、個人の寄進により初めての橋が架けられた。長さ約400m、「竹島橋」 と呼ぶ。現在のものは2代目で、昭和61年に架け替えられたものである。
島の高台から見ると、対岸に三河山系の山々が遠望できる。手前の丘陵に建つのは蒲郡クラシックホテルである。アールデコ様式の瀟洒な建物で、日の出の絶景ポイントとしても有名である。大正から昭和にかけては「常盤館」と呼ぶ料理旅館で、有名な文人たちの利用も多く、小説の舞台にもなった。
