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岐阜・橿森神社

 岐阜は織田信長の町である。桶狭間の戦いに勝利した後の永禄10年 (1567)、濃姫の父・斉藤道三を滅ぼした斉藤龍興を破って居城を稲葉山城に移した。この城を岐阜城と改名したが、これが岐阜の初まりである。今年は、この年から数えて450年目に当たることから、市内では各種の記念イベントが開催されている。
 山頂に岐阜城を擁する金華山の南山麓に、橿森神社が鎮座している。「御園」 と呼ぶこのあたりに、信長は 「楽市楽座」 を開いた。既存の独占販売権などを廃して自由に商売のできる、今で言う規制緩和の政策である。これにより岐阜には商人たちが集まることとなり、町は大繁盛することとなる。

岐阜マップ

 楽市の中心に 「市神」 として聳えていたエノキ (下右の写真) が、神社の前に残っていて町の移り変わりを見守っている (代も位置も変わっているようだが)。信長のもたらした繁栄が、今も柳ヶ瀬などの町に引き継がれているのであろう。商業だけでなく文化という面で、お寺もこの山裾に数多く存在する。
 鳥居の横にタブノキの大木があり (下左の写真)、しめ縄とともに説明板も設置されている。この神社の名前は 「橿森」 であるが、「橿」 の字は 「樫 (かし)」 と同じであり、常緑広葉樹のカシを表している。金華山の山を覆うのは、シイやタブ、カシを中心とした照葉樹であることが 「かしもり」 の由来であろう。ここの森林は、暖地に成立する照葉樹林としては、かなり北に位置している。

岐阜G

平成記念公園「日本昭和村」

 天皇陛下のご退位が決まって、いよいよ平成の御世も終わることとなる。今朝の新聞報道によれば、再来年の4月には新しい年号になるようである。美濃加茂市に岐阜県の整備した 「平成記念公園・日本昭和村」 がある。平成が過去のものとなりつつある今、「明治」 と同じように 「昭和は遠くなりにけり」 といわれるようになるのであろうか。
 この公園は、昭和30年代の里山をイメージしたもので、広大な園地の中にレストランやショップがあり、SLの形をした園内バスで回ることができる。ここでは、懐かしい時代のいろいろな体験もできることが売りである。囲炉裏のある工房で機織や染色、登り窯やろくろを使っての陶芸教室、広い厨房でパン焼きや蕎麦打ち体験などである。

昭和村G

 村の入口近くに、巨大な 「桂化木」 が展示されていた。この公園内の2000万年前の蜂屋累層という地層から発見されたものである。桂化木とは、火山灰などにより立ったまま埋もれた樹木が、地層中のシリカ (二酸化珪素) に置き換わったものだという。
 樹種は 「メタセコイア」 だと考えられている。この植物は 「生きている化石」 と呼ばれている。最初に報告されたのは化石の中に閉じ込められた葉で、1941年に大阪の三木茂博士が発見した。恐竜などと同様に古代に絶滅したとものと考えられていた。ところが、1945年になって中国揚子江奥地で、この植物の林が発見されて世界中の話題となったのである。
 日本へは、1949年にアメリカから挿し木苗100本が送られてきた。貴重な植物であるので、全国の研究機関や植物園などに分け与えられた。東山植物園へは3本送られており、そのうちの1本が合掌造りの家近くで大きく育っている (下の写真)。繁殖は挿し木や実生により容易にできるので、現在では多くの公園や高速道路のインターチェンジなどに植えられている。

昭和村マップ


太田橋と今渡ダム

 美濃賀茂市にある旧中山道 「太田宿」 は、中山道69宿のうち江戸日本橋から数えて51番目の宿場である。中山道はここで木曽川を渡るのだが、「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」 と謳われたように、この街道の三大難所であった。度重なる水害により、渡船場は次第に上流に移転したが、昭和2年に太田橋が完成するまでは、そのたもとにある渡船場が使われていた。

太田橋G

 太田橋は、旧国道21号線に架かる橋である。三径間連続のワーレントラス橋で、岐阜県では最初の近代的道路鋼橋である。大阪鉄工所が設計・施工した。二車線の車道であるが、後に歩道部分が付け加えられている。現在はその上流に新太田橋があり、国道21号もそちらに移っている。
 新太田橋のさらに上流に今渡ダムがあり、左岸に今渡発電所、右岸には美濃川合発電所を備えている。この発電所は、木曽川の中で最も下流に位置している。昭和14年に完成した。

太田橋マップ

天白川の橋 その16

 名鉄豊田新線の米野木駅周辺は、新駅 (もう古い?) ができたことと区画整理が進んだことにより、このごろ開発が活発である。駅周辺にマンションが建ち並んできたが、この地は名古屋へも、豊田へも通勤できることが人気を呼んでいるのであろう。道路も新設・改良され、岩崎諸輪線の橋も 「米野木橋」 (写真上) の上流に 「米野木大橋」 (写真下) ができて交通の流れが変わっている。

源流D

 天白川の最上流部は、日進市総合運動公園や東郷町の愛知池、みよし市の愛知牧場や三好カントリーなどのある緑豊な地域である。県道名古屋豊田線を遡ると、とうとう天白川の源流と思われる細流れに行き着いた。そこには名商大の広大なキャンパスがあった。三ヶ峯上池という農業用ため池があり、そこから流れ出す水が天白川の始まりである。
 今年6月から天白川に着目し、そこに架かる橋を書き連ねてきましたが、いよいよこれで終了します。ご愛読ありがとうございました。次のシリーズをご期待ください!!

源流マップ

天白川の橋 その15

 折戸から白山へ向かうバス路線の沿道に、市民会館・スポーツセンター・市役所と、日進市の主要施設が並んでいる。その道路が天白川を渡るのが、本郷橋である。そこから500mほど上流、大府から瀬戸へ向かう主要道路 「瀬戸大府線」 に架かるのが新本郷橋である。
 名前からみると、前者の方が古い街道であり、後者の方が新しいバイパスなのであろう。地名や施設名で、その土地の状況を理解することができる。瀬戸大府線は、2005年の愛知万博の折に、会場への重要なアクセスであるため、拡幅整備が図られた。

日進マップ

 天白川の南側を、川に沿って 「名古屋豊田線」 が東西に走っている。現在では国道153号のバイパスで名古屋・豊田間は太く結ばれているが、古くはこの道路も重要な路線であったのだろう。
 藤枝橋は、コンクリートの手すりが特長である。この辺りでは川幅も狭いため、橋の規模もさして大きくはない。橋のたもとに大きなセンダンの木があって、その根元に3体のお地蔵さまが佇んでいた。

日進G

防災公園「米野公園」

 向野橋を北に向かって渡り、しばらく行くと現在整備中の 「米野公園」 に至る。この地域は、戦前の耕地整理によって生み出された住宅地が多く、戦災復興や区画整理事業のはざまにあって、建物の老朽化が進んでいた。また、近くに大きな公園がなく、中村公園・白川公園といった広域避難場所へも2km以上離れている。
 以前、「東京の清澄庭園」 (平成26年9月1日=防災の日) の項で掲載したように、いざ大震火災が発生したときに、特に木造住宅密集地では緑豊な広い公園が避難場所として必要である。この地域は長い間、公園整備が望まれてきたが、ようやく現在、整備が進んでいるのである。

米野マップ

 計画面積3.2ha、「防災都市づくり計画」 のひとつに位置づけられ、「住宅密集型公園」 として整備されつつある。公園の中央にある広場は、周囲より一段低くなっており、大雨のときに公園内に降った雨を外に出さないようにできている。
 園路の脇に並んでいる木製のベンチは、「かまどベンチ」 との表示がある。地震などにより焼け出された避難民が、ベンチの座る部分を撤去すると、下から竈 (炉) が出てくる構造である。舗装園路の中ほどにマンホールの蓋のようなものがあるが、これは災害時のトイレである。園内の防災倉庫の中に、便座や組み立て式カーテンなどが入っていて、即席のトイレができるのである。今から20年前の大地震の直後、神戸を視察したことがあるが、一番困るのは水とトイレであるとの話を聞いた。

米野D

向野橋

 ささしまライブのすぐ西に、JR関西線・近鉄線・あおなみ線など多くの線路を跨ぐ人道橋が架かっている。「向野橋 (こうやばし)」 と呼ぶ。かつては車も走っていたが、老朽化のため平成14年からは自転車・歩行者専用となっている。型式は下路式曲弦プラットトラス (ピントラス) と下路式プレートガーダーの組み合わせである。橋長は119mと長いが、トラスの部分は約85mである。
 このトラス部分の方は、もともと明治32年 (1899) に、京都鉄道により 「保津川橋梁」 として保津川に架けられたものである。米国A&Pロバート社が製造したもので、架橋当時は日本最長であったという。幾多の変遷があった後、昭和5年にこの地に移設された。

向野橋P

 近代的な高層ビル群が、雨後の竹の子のように建設されつつある名駅地区・笹島地区の中にあって、明治の香りを漂わせる 「向野橋」 は、一種の異彩を放っている。アーチとは呼べない角ばった鉄骨が、現代のものに比べて細くて華奢な感じがする。細部を見ても、鉄板の組み合わせやリベットによる接合など、人の手づくりが感じられて、どこか懐かしい雰囲気を味わわせてくれる。
 平成23年に名古屋市の 「認定地域建造物資産」 に指定された。また昨年 (平成28年) には、「土木学会選奨の土木遺産」 に認められた。その理由は、“明治期に架けられた当時最大スパンの典型的米国製トラスが、昭和期に移設転用されて、今なお利用されている希少な例である″ というものである。いつまでも保存・利用してもらいたい、正に 「土木文化」 だと思う。

向野橋Q

ささしまライブ24

 久しぶりに 「ささしまライブ」 を見たいと考え、名古屋駅から南の方へ歩いていった。駅周辺の賑わいは笹島の交差点あたりまでで、レジャックを越えるとほとんど人通りが絶えると思っていた。ところが、交差点を越えても若い人たちを中心に、どんどん南へ向かって人々が流れていくのである。私も一緒にしばらく歩いて右へ曲がり、鉄道のガードをくぐると目の前に銀色に輝く真新しい町が広がっていた。
 「ささしまライブ24」 は、旧国鉄の笹島貨物駅 (12.4ha) および中川運河終点の船だまりの水面を一体的に大規模開発する事業である。2027年のリニア新幹線開通を見越して、名古屋の玄関に相応しい商業・ビジネス・観光・文化などの機能を充実しようとするものである。

笹島F

 今日10月2日、その中心ともなるタワービル 「グローバルゲート」 内の「名古屋プリンスホテル」 がオープンした。36階建てのビルの内、31階から36階までを占め、170室の客室と、レストラン・ラウンジ・フィットネスなどの機能をもつホテルである。5階から30階までのオフィスはすでに4月にオープンしている。4階までの低層棟にあるコンベンションホールや商業施設は今月のオープンである。
 グローバルゲートの南の区域には、愛知大学の校舎や映画館などのレジャー施設、中京テレビやジップ名古屋といった報道施設のビルなどが建ち並んでいる。名古屋駅からは、あおなみ線に乗り 「ささしまライブ」 駅で降りると便利である。

笹島マップ2

天白川の橋 その14

 日進市のこのあたりは、天白川に小川・折戸川・岩崎川などが合流するとともに、県道は57号瀬戸大府線を始め、名古屋から浅田、豊田、岩崎へと向かう主要な路線が走っている。
 国道153号の上流に、手すりが緑色に塗られた西梅森橋と橋桁がだいだい色に塗られた梅森橋が架かっている。天白川も中ほどに差し掛かり、源流の丘陵地や、遠く猿投山も視界に入ってくる。

岩崎マップ

 折戸川との合流地点に、ユニークなデザインのコンクリート橋「野方大橋」がありました。橋のすぐ下に小さな堰があり、ゆたかな水が白く泡立って流れています。堰と橋とが妙に調和が取れていて、昔ながらの農村の風景を残しているように感じました。近くにお寺や神社もあることから、古い集落の中心地だったのかも知れません。
 橋の来歴は分かりませんが、昭和初期の建設のように感じます。この頃はまだ小さな橋にまで、設計に当たっては周りの景色を配慮して、風景に馴染むとともに個性を発揮するようなデザインを考えられた時代だったのでしょうか。コンクリートの手すりに、半円形の丸窓が空けられ、そこに鋳鉄製の枠が嵌められています。何となくユーモラスでゆったりした雰囲気を味わうことができます。

岩崎B
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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