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気比神宮の大鳥居

 「神宮」 号を名乗る神社は現在24を数え、いずれも皇室とゆかりの深い神社である。福井県敦賀市にある 「気比神宮」 は、2000年の歴史をもつ格式の高い神宮で、「越前の国一ノ宮」 とも呼ばれている。主祭神の気比大神 (伊奢沙別命) は二千有余年の昔にこの地に降臨されたと伝承されている。文武天皇の大宝2年 (702) に、仲哀天皇と神功皇后も合祀されたという。
 表参道の入口にある大鳥居は、春日大社・厳島神社とともに 「日本三大木造鳥居」 と賞せられている。高さ36尺 (10.9m)、柱間24尺で、本朱漆塗である。訪れたときには、塗装が行なわれた直後と思われ、光り輝くように美しかった。由緒書きによれば、材木は佐渡から伐採奉納された 「榁樹」 であるという。「榁 (むろ)」 を図鑑で調べると、標準和名 「ネズ」 のことである。この木は、短いトゲの葉をもつ針葉樹で、高さ10m・直径30cmに成長すると記してある。そうしてみるとこの鳥居は、最大級のネズを使用していることになる。現在は国の重要文化財に指定されている。

気比神宮G

 本殿の南正面に、俳人松尾芭蕉の銅像がある。芭蕉は 「おくのほそ道」 の旅で、月を詠むことを目的の一つとしていた。8月14日、敦賀に到着したその夕方に、気比神宮に夜参して美しい月を眺め、“月清し 遊行の持てる 砂の上” という句を残している。
 「月」 から連想して、先日の 「月食」 をご紹介します。1月31日、夜9時ぐらいから欠け始め、10時ごろには、全く地球の影に隠れてしまいました。すると、暗いけれどまん丸な赤っぽい月が姿を現しました。写真は、半分ほど欠けた月です。何枚か撮影しましたが、欠けた部分も薄く写っている写真はこれ1枚ですので掲載します。

気比神宮マップ

兼山ダムと愛知用水

 丸山ダムの少し下流に、兼山ダムがある。完成は古く、昭和18年に遡る。重力式コンクリートダムで、ラジアルゲートが14門装備されている。岸から見ると、まるで競馬出走ゲート「発馬機」のように見える。堤高は36m、堤頂長205m、堤体積は10万5千立方メートルである。流域面積約2500平方キロ、湛水面積 (ダム湖の面積) 102ha、総貯水量は940万トンである。
 もともとの用途は発電専用であるが、現在ではさらに大きな役割を果たしている。ダム湖を利用して、3つの愛知用水取水口が設置されている。兼山ダムの上流の木曽川支流に 「牧尾」 「味噌川」 「阿木川」 という3つのダムがあり、ここに蓄えられた水が兼山ダム湖の取水口から愛知用水へと流れていくのである。

兼山ダムマップ

 尾張の東部丘陵地帯や知多半島には大きな河川が無く、田へ引く水は谷の上流を堰きとめた 「ため池」 に頼らざるを得なかった。そこで、木曽川の水を取り入れて農業用水に、さらに飲料水や工業用水にも使おうと考えて整備されたのが愛知用水である。着工は昭和32年、完成は同36年のことである。幹線の延長は112km、支線の延長を合計すると1012kmにも及ぶという。
 先端の知多半島までの中間地点、愛知郡東郷町に水量調整のための 「愛知池」 がある。下の写真は、愛知池を横断する名鉄豊田線の鉄橋と、愛知池に注ぎ込む用水路である。用水路の形状は、最近まで 「逆台形の単断面」 であったが、改良工事により真ん中に分離のための壁を持つ「2つの矩形断面」となった。これは流水量の増加と片側づつでの流水を可能にする目的のためである。

兼山ダム(愛知池)G

油皆洞(ゆがいと)橋

 「岐阜の歴史的土木構造物」 という資料でその存在を知り、何とか見てみたいと探したけれどなかなか見つからなかった。道路を右ひだりと何度か行き来した後、地元の方にお聞きしてようやく見つけることができた。八百津町の中心から丸山ダム方面へ向かう町道が、木曽川支流を渡るところにこの貴重な橋は架かっていた。
 「ゆがいと」 とは変わった名前であるが、途中のバス停に 「油皆洞」 という表示があり、橋の銘板に 「油皆洞川」 とあることから、ここの地名であることを知ることができる。木曽川右岸のこの道路は、今の感覚で見れば細い (道の幅は4m程度) が、かつては国道418号に指定されていた。

油皆洞橋G

 左側の親柱には、昭和29年竣工という銘板がある。しかしこの古風な鉄橋は、明治18年ごろにイギリスで製造されたものだという。旧国鉄の東海道線に使われていたものと考えられており、戦後になって転用されたものである。元々が汽車を走らせる設計であることから頑丈な造りとなっていて、トラスには鉄板の補強がされているし、結合部には巨大なボルトが使用されている。
 形式は 「下路平行弦ポニーワーレントラス (ピントラス)」 で、橋長30.5m、幅は3.8mである。周辺の風景には不釣合いなほど骨太な鋼橋であるが、丸山ダム完成の2年前に出来ていることを考えると、資材運搬などと何らかの関連があったのではないかと思われる。

油皆洞橋H

人道の丘公園「杉原千畝記念館」

 丸山ダムの北、国道418号線がトンネルでくぐる山の上に 「人道の丘公園」 がある。「人道」 と名付けられたのは、「命のビザ」 で知られる外交官・杉原千畝を記念して作られた公園だからである。公園は、「杉原千畝記念館」 といくつかの広場から成っている。
 広場の中央には、平和を奏でるという意味で、パイプオルガンをイメージしたモニュメントがつくられている。長短160本のステンレスパイプと浅い池、同心円状の段差のある広場となっている。開園は平成4年 (1992) のことであった。

杉原G

 道路を挟んだ北側に、ユニークなデザインの記念館が建てられている。玄関入口上部に嵌め込まれた、45度に傾いた格子の枠組みが印象的である。展示室内部は6つのコーナーとデッキ状の2階とで構成されており、観て歩く間にホロコーストとは何か、千畝はなぜビザを発給したのか、助けられたユダヤの人たちの足跡 (そくせき) などが理解できるようになっている。
 ガラスケースの中に実物の査証 (ビザ) が何枚か展示されているだけでなく、施設案内リーフレットもパスポートの形をしていて、中に千畝手書き文字が印刷されている。広場の入口付近に千畝の胸像が佇んでいる。よく見る肖像写真同様に、きちんとネクタイをした背広姿で、6000人ものユダヤ人を救った、人間愛に満ちた千畝らしい顔立ちを見せている。

杉原H

八百津マップ


丸山ダムの「のぞみ橋」

 丸山ダムの手前に、今まで見たことの無いような奇妙な形の橋が架かっている。従来型の吊床版橋と違って、下にアーチ構造があるという不思議な形式を採っているのである。これは、PC橋としては不可能とされてきた長スパン (約100m) の橋を実現するために工夫されたもので、橋梁界としては非常に名誉な「田中賞」を平成15年に受賞している。
 田中賞とは、数々の名橋を生み出して橋梁界の育ての親とも呼ばれてきた故田中豊博士を記念して、昭和41年に創設されたものである。のぞみ橋はその高い技術力だけでなく、ユニーク性やデザイン性、さらにはリサイクル可能な経済性も評価されての受賞となった。

のぞみ橋G

 「のぞみ橋」 という名の付いているところをみると、この橋から丸山ダムを望むという意味であろうか。実際に橋を渡っていると、迫力のある丸山ダムがすぐ目の前に見える。のぞみ橋の隣にもう1本、古い吊り橋が架かっているが、この橋からはさらにダムは近い。
 老朽化のうえ幅員も狭いので、車両の通行は禁止されていて、歩行者だけが渡ることができる。主柱に建設の年月を表したプレートが貼り付けてある。昭和22年8月架設と記してあることから、丸山ダム建設 (昭和26年) のために利用されたものと思われる。反対の柱に橋名版も貼り付けてあったが、傷みが激しくて文字を読み取ることはできなかった。

のぞみ橋H

丸山ダムと丸山発電所

 丸山ダムは、木曽川河口より90kmの地点にある。洪水調整と発電を目的とした多目的ダムで、形式は 「直線重力式コンクリートダム」 という。堤の高さは約98m、頂部の長さは260m、堤の体積は約50万立方メートルである。
 上流2400平方キロから水を集め、湛水面積 (ダム湖の面積) は263haである。流域面積の2400平方キロは、名古屋市域面積326平方キロの7倍以上にも当たることになる。洪水調整機能は約2000万トン、発電に利用できる水量は約1800万トンにも及ぶという。

丸山ダムG

 丸山ダム計画の最初は発電専用であり、戦前の昭和18年に着工の運びとなったが、戦争が激しくなったため翌年には中断されてしまった。戦後になって電力不足が叫ばれるようになり、昭和26年に再着工されることとなった。完成は昭和31年である。この時には、発電だけでなく洪水調整の目的も加えられ、多目的ダムとして生まれ変わったのである。
 丸山ダムは、ダム完成の2年前、昭和29年から稼動を始めている。発電量は12万5千KWであるが、昭和46年に新発電所が加わって18万8千KWに増強されている。

丸山ダムH

八百津大橋

 国道21号から御嵩町井尻で枝別れし、加茂郡八百津町へ向かう道を 「井尻八百津線」 と呼ぶ。県道358号である。途中、丸山ダムとその下流一帯の 「蘇水峡」 の近くを通る。蘇水峡は岩壁により川幅が狭められる景勝の地で、春の桜や秋の紅葉の名所であり、木曽三川の三十六景に撰ばれている。
 この道路が木曽川と交差する地点に 「八百津大橋」 が架かっている。昭和50年に開通した。橋長356m、幅員は意外に狭く6mである。左右1車線であるが、中央のラインは引かれていない。形式は 「上部平行弦ワーレントラス」 という。

八百津大橋G

 毎年4月に行なわれる 「八百津まつり」 は、3つの巨大な山車が練り歩く 「けんか祭り」 で有名である。3台の山車を合わせると一艘の船の形になるのが特色である。元々舟運で栄えたこの地域の特徴を色濃く残したものと言われている。山車がこの橋を渡るときに、横から見える姿がまさに舟の形をしているという。
 大橋の下流に、1本のコンクリートの柱が見えている。これは、かつて架かっていた吊り橋の名残である。「錦織橋」 と呼ばれた吊り橋で、長さ148m、幅1.5であった。昭和58年9月29日にこの地を襲った豪雨により流されてしまい、この主塔だけが残ったのだという。

八百津大橋H
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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