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牧野ヶ池緑地

 日進市との市境に近い名古屋市名東区に、面積150haにもおよぶ広大な緑地がある。牧野ヶ池緑地である。戦争中の昭和15年 (1940) に、名古屋市を取巻くいくつかの防空緑地のひとつとして計画決定されたのが始まりである。戦後の昭和32年に、広域公園として利用されるようになった。
 牧野池の歴史はさらに古い。このあたりは、なだらかな丘陵地帯で水利が悪く、昔から旱魃に悩まされてきた。正保3年(1646)、尾張藩の郡奉行が周囲3kmの土地を掘らせて用水を引き、灌漑用の溜池を造成した。それ以来この地域の農業は栄えたという。

牧野池マップ

 面積16haという市内で最も広大な池には、いろいろな渡り鳥が飛来する。かつて江戸時代には、尾張徳川家の御狩場であったという。現在では、野鳥の観察地としても有名である。
 公園面積の大半は、愛知カンツリー倶楽部のゴルフコースが占めている。東西の道路沿いは一般開放され、芝生広場や遊具広場になっている。私の訪れた日には、日用品のバザールが開催されていた。

牧野池G


季節通信15高山2








西尾城

 西尾城は昔、西条城と呼ばれた。創建は12世紀といわれるが、中世までの規模は定かでなく、城としての形態を整えたのは戦国末期と考えられている。永禄のころ (1560年代) は、今川方が城主であったが、桶狭間の戦いの後、松平方 (後の徳川) の酒井氏が攻め寄せて城を奪取し、「西尾城」 と改名した。
 天正13年 (1585) に酒井氏は、城の大改修を行なった。面積を広げ、深い堀や高い石垣を築き、数か所の櫓や城門を設けた。このときに、二の丸に新しい天守閣を建て、旧天守は本丸の隅櫓として存続させている。

西尾城マップ

 明治6年 (1873) に出された廃城令 (正式には 「全国城郭存廃ノ処分並兵営地撰定方」 という) により、明治5年から10年にかけて、建物の払い下げや塁濠の破壊などが行なわれた。平成になって歴史公園として位置づけられ、本丸の 「丑寅櫓」 (上の写真) や二之丸御殿の正門である 「鍮石門( ちゅうじゃくもん)」 (下の写真) の再建が行なわれた。
 二の丸跡には、京都から 「旧近衛邸」 が移築されている。この建物は、摂家筆頭の近衛家に嫁いだ夫人の縁で、島津家により江戸後期に建てられたものである。書院と茶室からなっており、庭園も美しく整備されていて、お茶会などの催しにも利用できる。また、お茶のまち西尾らしく、いつでもお抹茶のサービスを楽しむことができる。

西尾城G

西尾市の岩瀬文庫 その2

 岩瀬文庫の入口あたりに、青瓦の可愛らしい建物がある。木造板張りの壁を白いペンキで塗った、おとぎ話に出てくるような小さな家である。看板を見ると 「おもちゃ館」 とあり、なるほどと思わせられる。今回は中まで見ることは出来なかったが、子どもの喜ぶようなグッズが展示されているのだろう。
 帰ってから施設案内の冊子を見ると、この建物のもともとは、大正15年に建設された 「岩瀬文庫児童館」 だという。岩瀬弥助は、毎月一定金額を本の購入に当てていた。その中には、子どもたちにも読んでもらいたいとの考えから、児童書も含まれていたものと思われる。この建物も、旧書庫とともに、国の登録文化財に指定された。

岩瀬文庫児童館

 新しいガラス張りのミュージアム全体をカメラに収めようと、芝生広場の外れまで歩いていくと、そこに珍しい木があった。枝全体に直径1センチほどの茶色の実がついている。マメナシ (イヌナシ) という野生の梨で、この東海地方に限って自生する貴重な種類である。
 名古屋にもあるが数少なく、昭和区や守山区の、溜池の畔や湿地に数か所の自生地が確認されているのみである。西尾市でも八ツ面山東の矢作古川の岸辺に自生があるという。岩瀬文庫のマメナシは、今から50年ほど前、開発により伐採されそうになった木を、心ある人たちの手でこの地に移植したものという。

岩瀬文庫マメナシ


季節通信13高山植物

大須文庫 (2014・01・10の再掲)

 岩瀬文庫、蓬左文庫を掲載したならば、「大須(真福寺)文庫」を忘れるわけにはいきません。名古屋・愛知が先人のご努力により、これほど素晴らしい文化を残していただけたということを、我々は再認識しなければいけないと思います。

 名古屋城と熱田神宮の中間地点に大須の町がある。江戸時代から大須観音の門前町として栄えた歓楽街で、今もユニークな商店街として賑わっている。

大須観音1

 この大須観音 (真福寺) に日本で最も重要なお文庫 「大須文庫」 があることを知る人は意外に少ない。本堂の左翼 (東側) に木の看板が掲げられているが、本堂の賑わいとは裏腹にひっそりとしている。しかし、ここには、国宝 「古事記」 (真福寺本=現存する最古の写本) や40点以上の重要文化財を含む約15000点もの古典籍が収蔵されているのだ。
 この寺院は、もともとは木曽川中州の岐阜県羽島にあった。しかし、この地は地盤が低く、たびたび水害に襲われていた。徳川家康はこの貴重な蔵書を水難から守るため、慶長17年 (1612) に新しい城下町・名古屋にお寺ごと移転したのである。

大須観音2

 古事記は、かつて東京国立博物館に収蔵されていた。これは、大須観音では充分安全な保存が困難であるとの配慮であったが、名古屋市博物館の完成と名古屋市民の熱意が実を結んで、今は名古屋に帰されている。一昨年(2012年)、名古屋市博物館で 「古事記1300年・大須観音展」 が開催された。これは大須観音の移転400年を記念するものであった。

大須観音マップ


季節通信14ハス



蓬左文庫の旧書庫 (2014・5・11の再掲)

 岩瀬文庫は、2003年に再整備されましたが、その翌年の2004年には、名古屋の蓬左文庫(徳川園)もリニューアルオープンしています。両者とも我が地方の誇りとなる文化施設ですので、ここに並べて見ていただくために再掲します。 

 名古屋市東区の徳川園には、徳川美術館とともに 「蓬左文庫」 がある。この文庫には、尾張徳川家の旧蔵書を中心に、日本、中国、朝鮮の古典籍約10万点が所蔵されている。中でも有名なのは 「源氏物語 (河内本) 」、最古の写本として重要文化財にも指定されている。
 大御所家康が駿府で亡くなった後、約3000冊の蔵書が初代尾張藩主・義直に相続された。「駿河御譲本」 と呼ぶ。義直は学問を好み、その後も書物を集め続けたが、それらが「 蓬左文庫」 の元になっている。戦後( 昭和25年)、徳川黎明会は文庫を手放すこととなったが、名古屋市にまとめて移管されたので散逸することなく、この地で博物館として公開されている。
蓬左文庫 アルバム

 「旧書庫」 は、尾張徳川家大曽根邸創建時 (明治20年代) に建てられた土蔵2棟を、昭和10年に合体したものである。平成13年の徳川園再整備で曳家移転するまでは、収蔵庫として使用されていた。現在は、美術館と連結した蓬左文庫側のエントランスとして利用されている。今年3月に、園内の黒門や蘇山荘などとともに、国の登録文化財に指定された。
 徳川園の日本庭園は、「春の牡丹」 や 「秋の紅葉」 の名所となっている。

蓬左文庫マップ

西尾市の岩瀬文庫

 西尾市の北西地域、歴史公園や城跡と、矢作川との中間地点に古典籍の博物館 「岩瀬文庫」 がある。岩瀬文庫は、地元の実業家・岩瀬弥助が独力で蒐集した古い時代の書物を公開し、私立の図書館として明治41年 (1908) に誕生したものである。
 慶応3年 (1867) に西尾城下で生まれた弥助は、肥料商を営んだが、商才があったため一代で莫大な財を築き上げた。自身は質素な暮らしをする一方で、学校に土地を寄付したり、鉄道など社会事業にも力を尽した。文庫は、書物を通じて地域貢献をしたいとの思いで設立・公開したものである。

岩瀬文庫G

 開設時の蔵書は約3万冊であったが、現在は8万冊にもおよんでいる。その内容は多岐にわたり、朝廷や公家の資料、本草学者の蔵書、三河地域の史料など古典籍から近代の実用書まで集められている。後奈良天皇自ら写経した般若心経など、国の重要文化財に指定されるものも含まれている。
 文庫の本館は昭和20年の三河地震で倒壊してしまったが、蔵書は赤煉瓦造りの書庫に保管されていたために難を逃れることができた。上の写真右側は、平成15年に 「古書ミュージアム」 としてリニューアルオープンした建物である。正面奥は新しい収蔵庫、手前の煉瓦造りが旧書庫 (国の登録文化財) である。旧書庫正面玄関の脇に、創設者・岩瀬弥助の胸像が立っている。

岩瀬文庫マップ

蟹江の「御葭橋(みよしばし)」

 また 「尾張名所図絵」 ですが、蟹江川のほとりに建つ 「冨吉建速神社・八剱社」 の説明看板に掲げられていました。この図は 「須成祭」 の様子で、大きな木造船に櫓が組まれ、そこに提灯をドーム状に取り付けた 「巻藁舟(まきわらぶね)」 の姿が描かれています。沿岸にも多くの観覧者がいて、たくさんの小舟からも祭りを楽しむ人たちを見ることができます。
 この神社は、奈良時代に建立されたと伝承され、平安末期には木曽義仲に縁があったとして有名でした。しかし、天正12年 (1584) の蟹江城の戦いにより消失してしまい、その後再建されたといいます。「須成祭」 の歴史も古く、「寛文村々覚書」 (1660年代) にも、舟が出ていたことが記録されています。

飾橋G

 神社の少し下流に、朱色に塗られたユニークな橋が架かっています。三角形のトラス型の柱は、橋を巻き上げるための装置です。須成祭の巻藁舟や車楽船が通るときだけに橋を上に揚げます。昭和58年に完成しました。
 「須成」 の地名は、川が運んだ砂が積もってできあがった洲 (沙) という意味で、洲成、沙成、砂成となり、今の須成になったといわれています。「須成祭」 は平成24年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに平成28年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

蟹江 みよしばし

鐘楼の玉石積

 信長街道に面して、善敬寺 (ぜんきょうじ) というお寺がある。山門を入ってすぐ左に立派な鐘楼があるのだが、その台座となる石積みが素晴らしい。大振りな玉石を、楕円形の4面を削って (はつって)、頑丈に組み合わせている。
 多くは花崗岩だと思われるが、中には極端に白っぽいものや、鉄錆のような色をした石も混ざっている。中央の一番目立つところに、五弁の花を模ったようなシンボリックな石がはめ込まれている。住職の指示によるものか、石工のこだわりなのか分からないが、石垣作りの心意気が伝わってくる。

鐘楼G

 玉石は川を流された割れ石が、長年に亘る水の力で角が取れ、丸くなったものと認識している。小さな砂利やソフトボール大の玉石なら有りうると思うのだが、これほど大きな石が最下流部のこの地まで到達するのだろうか? それとも上流部の玉石を舟などで運んで来たのであろうか?
 堂卯を巡る細い通路に板石が貼ってある。途中、緩やかに方向を変えるように曲げて造られている。茶庭などの庭造りに使われる手法で、眺めの気分の変化を狙っており、設計者の美意識を感ずることができる。境内に夏の到来を告げるノウゼンカズラが、橙色の花を咲かせていた。

鐘楼マップ

蟹江宝蓮寺「イブキの大木」

 蟹江川に沿って、「信長街道」 と呼ばれる細い道がある。若かりし織田信長 (19歳のころ) が、清洲攻めのときに通っていった道だと伝えられている。この昔ながらの道沿いには、お寺や神社、小さな祠や古木・大木がたくさんある。
 JR関西線の南側、蟹江川の右岸に 「宝蓮寺」 という浄土真宗大谷派の古刹がある。山門に蓋いかぶさるような大木が見えたので、中へ入ってみた。イブキ (ビャクシン) である。幹の直径は1m、高さは10mを越えると思われるほどの大木である。観光案内書には、樹齢200年以上と記されている。

蟹江イブキマップ

 イブキはヒノキ科の針葉樹で、東北地方から南の太平洋岸に自生する植物である。海岸沿いの崖地など厳しい環境では地を這うように伸びるが、条件の良いお寺などでは堂々とした樹形になる。
 この木も、根元を踏まないように保護されており、幹や太枝がうねるように伸びて荒々しい姿を見せている。イブキは昔から庭園樹として用いられたため、多くの園芸品種が作出されている。「カイズカイブキ」 もそのひとつで、枝が旋回して (ひねって) 伸びる性質をもち、住宅の生垣や中央分離帯の街路樹などとして多く使われている。

蟹江イブキG



季節通信10ネムノキ

蟹江の造り酒屋

 蟹江川流域は、木曽川や庄内川の三角州であり、砂などの堆積した沖積層の地層である。そのため、川沿いには豊富な伏流水が湧き出ている。また、この地域は原料となる米の産地であり、名古屋という大消費地にも近い。さらに蟹江川は、原材料や製品の運搬にも便利であった。すなわち酒造りの条件が満たされているのである。
 明治の初めごろには、蟹江町内だけでも10数軒もの造り酒屋があったという。現在でも2社のメーカーが生産・販売を続けている。

蟹江造酒屋マップ

 蟹江川のすぐ西側には、人工的な日光川が流れ、それに絡みつくように、古い佐屋川が蛇行しながら流れている。蟹江川の流れは比較的緩く、川岸の堤防もコンクリートで固められ、運河の様相を呈している。堤防に向かって登る坂道沿いに、明治以来の造り酒屋の土蔵や黒壁の板塀が連なっていた。
 直売もしている酒屋に入っていくと、通路脇に酒樽ならぬ酒造タンクが並んでいた。そのひとつに11、698リットルとの文字が書かれている。一升瓶 (1.8リットル) に換算すると約650本にもなる。大正時代の記録には、年間約360キロリットルもの製造をしていたという。

蟹江造酒屋G


季節通信12「竹」
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:「園長さんのガーデンライフ」
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