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さようなら中日ビル

 名古屋市中心の栄にあり、広く市民に親しまれてきた 「中日ビル」 (正式には中部日本ビルディング) が、来年3月末で閉館する。昭和41年 (1966年) に開館しているので、既に50年以上を経過したことになる。老朽化に加えて、耐震性にも問題があるための立替えである。
 新しいビルは31階建・高さ170mの超高層ビル、床面積は11万㎡と現在の1.3倍となる。商業施設・事務所・多目的ホールに加え、これまでは無かったホテルも入るという。2024年の完成を目指している。

中日ビルG

 中日ビルには、数々の想い出をもつ人も多い。中日劇場で演劇を鑑賞、中日文化センターで色々な習い事、全国物産観光センターで地方の情報を得たりした。地下のレストランや居酒屋、屋上のビアガーデンも懐かしい。平成になってからは使われていないが、回転レストランもあった。
 何といっても、一階ロビーに思い入れが深い人も多いことと思われる。「名駅新幹線壁画前」 「栄クリスタル広場」 そして 「中日ビルロビー」 が名古屋の三大待合わせ場所だったように思う。吹き抜けエスカレーターの天井にあるモザイク画が目印だった。この矢橋六郎氏作になる天井画 「夜空の饗宴」 は、新ビルに移転する方針が決まっている。

中日ビルマップ

 ◆今日は12月31日大晦日、平成30年最後の日です。このブログも今年最後、これまで6年間に450回の発信をしてきました。来年はいよいよ新しい年号が始まります。これからも身を引き締めて「土木文化」を訪ね歩き、情報発信してまいりますので応援方よろしくお願い致します。

季節通信31蕎麦




岩津発電所堰堤

 岩津発電所の約1.4km上流に、発電所へ水を送るための堰堤 (ダム) がある。その中間に、「二畳ヶ滝」 という水量豊富で落差の大きい滝がある。この滝の発見が発電所建設のきっかけとなった。
 それまでに何度も失敗も重ねていた一人の電気技師が、電気事業の将来性に関心を寄せていた地元有力者と出会い、開発の敵地を探していた。彼は、矢作川水系巴川支流郡界川に大きな滝があると聞いて調査した結果、水量・落差とも充分であると判断して発電所建設に乗り出したのである。

岩津ダムマップ

 堰堤は、高さ4.55m、長さ27.95mで、粗石張玉石コンクリートでできている。当時は高価だったコンクリートを節約するために玉石が混入されている。コンクリートの手練り作業には、近郊の若者がたくさん駆り出されたという。
 川から取水された水は、延々1.4km下流の発電所まで水路で運ばれていく。このあたりは田畑や点在する農家など長閑な里山風景である。発電所の機械や建物は時代とともに変わったが、この堰堤は創建当時の姿を留めており、「現存する重要な土木構造物2800選」 として土木学会に選定されている。

岩津ダムG

岡崎の岩津発電所

 矢作川の支流 「巴川」、そのまた支流の 「郡界川」 の上流に小さなダムと発電所がある。「岩津発電所」 といい、中部電力管内 (愛知・岐阜・三重・静岡・長野) では現役最古かつ最小の電気事業用発電所である。
 巴川は、足助・香嵐渓方面から流れる自然ゆたかな清流である。岡崎からは川沿いに、県道35号が走っている。郡界川は、岡崎市と豊田市の境界に流れており、まさに 「郡界」 を流れる川である。「加茂川志賀線」と いう細道で遡ることができる。

岩津発電所マップ

 この発電所は、明治29年に設立された岡崎電燈 (中部電力の前身のひとつ) が、明治30年に初めて事業として成功した水力発電所である。当初は、わずか50kwという小規模であったが、地方の中小電燈会社による長距離送電事業の先駆けとして、全国に大きな影響を与えた。
 明治のころは、電燈くらいにしか使用されなかったので、約1300軒の電気を賄えた。その後、増設や改良を重ねて、今では140kwの発電を行なっている。下左の写真は山の上から水を落とす水管、右は郡界川を渡る管理用の吊り橋である。

岩津発電所G


季節通信30西洋ヒイラギ

玉野古道と玉野用水・堰堤

 かつて土岐や多治見の人たちは、陶器を名古屋へ運ぶための平坦な道を求めていたが、尾張藩には認められなかったという。ようやく街道が開通したのは明治28年 (1895) になってからである。しかし翌年には国鉄中央線工事のため寸断され、たった1年だけの “幻の街道” になってしまった。
 愛岐トンネルが有名になり、多くの行楽客が訪れるようになった現在、この古道は散策路として再び陽の目を見るようになった。川沿いの細道からは、線路沿いに植えられたカエデの紅葉や古い鉄橋を見上げることができる。

玉野古道G

 この川は、美濃を流れる間は土岐川と呼ばれるが、尾張に入ると庄内川と名付けられた。ただし、この山間の風光明媚な区間は、「玉野渓谷」 と呼ばれている。左岸の山中に尾張初代藩主・義直公の廟もあって、定光寺駅近辺には料亭や土産店などが軒を並べていたという。
 玉野渓谷の右岸に玉野用水が流れている。この水路は、享保14年 (1729) に、玉野村の住人が長年の水不足を解消するために開削し、20町歩 (約20ha) の水田に灌漑したのが始まりである。その後大正2年に改修され、さらに大正10年には、堰堤に水力発電のための取り入れ口としての改修も行なわれて現在に至っている。それは、尾張地方唯一の水力発電所である。

玉野用水G


暗渠・土留壁と落石防止柵

 愛岐トンネル群・第5号トンネルの手前に、大きくて深い煉瓦造りの穴がある。これは、「暗渠」の上部で、大きな沢の水を線路の下を通して川へ流す装置である。鉄道用語では「暗橋」と呼ばれている。明治33年の建設当時、谷に高さ10mの盛土をするために水を抜く必要があった。
 昭和32年の豪雨では、盛土が砂防ダムの役割を果たしてしまい、谷に流れ込んだ土石流により暗渠が埋まってしまった。そこで暗渠上部の竪穴をコンクリートで嵩上げするとともに、大規模なコンクリート壁(下左の写真)が設けられた。

暗渠G

 鉄道の下、川沿いに続く「玉野古道」からは暗渠下部を見ることができる。さらに、狭い入口を潜ると暗渠内部に入ることもできる。細いアーチ型の水路 (上の写真) は全て煉瓦で造られている。建設からすでに120年近く経過しているのに美しい赤い輝きを留めているのは、ほとんど陽に晒されていないからだという。
 3号と4号のトンネルの間、見学コースとなっている廃線敷きの崖側に、落石防止のための柵が設置されている。これは古いレールを再利用したものである。レールには、1911年の八幡製鉄や1919年のアメリカ・カーネギー社の刻印が確認できる。

暗渠H


季節通信29落葉

旧国鉄中央線廃線「愛岐トンネル群」

 国鉄中央線 (現在はJR) は、明治33年 (1900) に名古屋―多治見間が開通しました。かつての中山道に近いこの路線は、明治の 「殖産興業」 の時代から戦後の 「高度成長」 の時代まで、中部の発展と近代化に多大な貢献をしてきました。
 しかし次第に、高速で大量の輸送には対応できなくなり、複線電化と長大トンネルによる新線が整備されることとなりました。昭和41年 (1966)、高蔵寺―多治見間の8kmの軌道敷きと13のトンネルは廃止されることとなったのです。

愛岐トンネルマップ

 この廃止された線路は、いつしか人々の記憶から忘れ去られ、茂った藪の中に埋もれてしまいました。平成17年 (2005)、勝川駅の高架化改修工事で明治時代の赤煉瓦プラットホームが撤去されました。その時、地元の古老のかすかな記憶を頼りに、トンネルの探索が始まったといいます。
 その後、市民グループが結成されて発掘と調査が始まり、誰もが安全に歩けるまでに整備されました。そして今、春の新緑・秋の紅葉時に一般公開され、18万人もの行楽客が訪れる観光地になっています。現在、ナショナルトラストにより敷地が取得され、経済産業省の「近代化産業遺産」 や文部科学省の 「登録有形文化財」 にも認定されています。

愛岐トンネルG


季節通信28紅葉


由比地すべり対策事業 その2

 富士砂防I

  対策事業のもうひとつは 「抑制工」 で、地下水の水位を下げて地すべりの動きを停止もしくは緩和させる方法である。横ボーリング工・集水井・排水トンネルの3つが行なわれている。
「横ボーリング工」・・・地表より削孔・設置したパイプにより、比較的浅い位置の地下水を排除する。
「集水井」・・・井戸の周りに放射状に設置したパイプにより比較的深い位置の地下水を排除する。
「排水トンネル」・・・地すべり面より下の堅固な地層にトンネルを設け、トンネルから設置したパイプに
より地中深い位置の地下水を排除する。

富士砂防K

 今回は、「排水トンネル」 施工中の現場を見学させていただいた。日本に数台しかない 「自由断面掘削機」 を使用するなど、最先端の技術を知ることができた。

富士砂防L

由比地すべり対策事業 その1

 さった山の急斜面は、地質的に脆弱で地すべりの起る危険性が高い。そこで、国土交通省は 「由比地すべり対策」 の事業を行なっている。先日、私も加入する土木の勉強会グループ 「研友会」 で、その現場を見学させていただいた。
 地すべりは、様々な要因 (地形・地質・地質構造・地下水など) が組み合わさって発生するため、地すべり対策工の種類も多岐に渡っているとのことである。大きく分けると 「抑制工」 と 「抑止工」 に分けられ、この両対策工を組み合わせて、効率的な対策を行なっているとの説明があった。

富士砂防I

 「抑止工」 は、構造物の持つ抵抗力を利用して、地すべりの動きの一部もしくは全部を直接止める方法である。ここでは 「深礎杭」 を採用している。深礎杭とは、地下に大きな杭を造り、杭の抵抗力で地すべりの移動を止めるものである。現在、直径5m、長さ37~88mという巨大な杭61基の整備を実施中である。左は完成、右はコンクリート打ちを行なっている状況の写真である。

富士砂防J
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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