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大晦日の夢

 「私には夢があります」・・・この秋に放映されたテレビドラマ「同期のサクラ」、主役の北野サクラが語る言葉です。「故郷の島に橋を架けること」「一生信じ合える仲間をつくること」「その仲間とたくさんの人を幸せにする建物をつくること」。それがサクラの夢なのです。
 主演の高畑充希は個性的な女優として人気があり、視聴率も高かったので、ご覧になった方も多いことと思います。私はサクラの3倍ほども年齢は大きいのですが・・・
 「私にも夢があります」・・・それは、「このブログを1000回続けること」です。

夢

 7年前に書き始めてから、530回の発信を続けてきました。1年平均80回ですので、あと470回発信するにはまだ6年ほどかかります。ブログを書くには、まず現場を訪ね歩き、写真を撮らなければなりません。けっこう山道や河原など険しい道もあります。すなわち体力が必要です。
 体力だけでなく、頭の働きや精神力も大切です。300文字ほどですが文章を考えます。また、案内マップを描くなどパソコンも駆使しなければなりません。それより何より、好奇心が衰えたら取材をする気力が無くなると思います。「体力」「頭脳力」「精神力」「好奇心」を持ち続けること・・・
 それが「私の夢」を叶える道だと思います。
 来年も応援方、よろしくお願いいたします。


季節通信31蕎麦

江ノ島の橋

 かつて学生時代に、江ノ電に乗ったことがある。鎌倉駅から江の島駅を経由して藤沢駅まで。曲がりくねった線路で、民家の軒先をかすめるように走る。鶴岡八幡宮、長谷の大仏や稲村ケ崎といった歴史を感じながらの旅であった。
 その後何度か、鎌倉観光をしたことはある。しかし江の島は、電車かバスの車窓からしか見たことがなく、縁のない名所であった。今回、赤坂離宮や鶴岡八幡宮などを回るバス旅行で、初めて江の島に渡ることができた。

江ノ島マップ

 陸地近くに島があると、両側から波が寄せて砂を運び、干潮時には砂州により結ばれるという地形は各地に見られる。江の島もその典型であるが、現在は立派な橋が2本架かっている。歩行者・自転車専用の「江ノ島弁天橋」と観光バスも渡れる「江ノ島大橋」である。
 江の島に初めて橋が架かったのは明治24年のこと。ただ木造の簡素なものであったので、津波などにより何度も架け替えが必要であった。立派なコンクリートの橋ができたのは昭和24年の「江ノ島弁天橋」である。昭和39年、東京オリンピック前には「江ノ島大橋」が完成した。
 島には「江島大明神」とも呼ばれる「江島神社」があり、参道のお土産屋さんが賑わっていた。

江ノ島G

東京スカイツリーと浅草観音

 赤坂離宮を見た後に、スカイツリーと浅草へ行きました。いずれも、東京で最も人気の高いスポットです。かたや超現代的な名所であり、他方は歴史のある古典的な観光地です。東京は、新旧の見どころに溢れていて、内外から多くの “トゥーリスト” を集めています。
 東京スカイツリーは、墨田区にあります。電波塔(送信所)として平成24年に開業しました。観光・商業施設やオフィスビルが併設されていて「スカイツリータウン」と呼ばれています。高さは634mでタワーとしては世界一、2位は中国・広州市の広州塔で600m、3位はカナダ・トロント市のCNタワーで553mあります。ちなみに東京タワーは333m、名古屋テレビ塔は180mです。

浅草G

 「浅草(あさくさ)観音」の名で親しまれる「浅草寺(せんそうじ)」は、墨田区近くの台東区にあります。創建は推古天皇36年(628)と伝えられています。聖徳太子の時代であり、みやこから遠く離れた江戸の地にまで仏教が広まっていたかと思うと不思議な気がします。
 古くから信仰の地、歓楽の場として人の集まる所でしたが、明治以降も庶民の盛り場、娯楽地と
して発達しました。明治6年に境内が公園に指定され、明治18年に「仲見世」が近代的な建物になりました。浅草のシンボル「雷門」辺りは、いつもながら内外の観光客でゴッタがえしています。

浅草H


東京・迎賓館赤坂離宮

 昨日の中日新聞サンデー版「世界と日本・大図解シリーズ」に、「迎賓館赤坂離宮」が載っていました。今年の秋、期間限定で迎賓館を見学できるというバス旅行があり、この機会にと参加しましたので、その時の写真(絵葉書のように美しい!?)をご紹介します。
 この迎賓館は、明治42年(1909)年に東宮御所として建てられたものです。当時の最高技術が駆使されました。戦後になって迎賓館として改修され、国賓の表敬訪問や首脳会議などに使用されます。10年前に、明治を代表する西洋建築として国宝に指定されています

赤坂G

 白亜の宮殿は、白い花崗岩と緑青の屋根とが美しく調和しています。豊富な水を吹き出す噴水と合わせて眺めると、まるでヨーロッパの宮殿に来たような錯覚に陥ってしまいます。室内もまさに宮殿といった豪華さでしたが、残念ながら撮影禁止ですので、写真を掲載することは出来ません。
 シンメトリーな芝庭の先に、これも白亜の柵と門があります。どこかで似たような雰囲気の門を見た覚えがありました。ロンドン郊外のリージェント・パークです。かつては英国王室の所有する狩猟場でしたが、今は王立公園として公開されています。広大なバラ園がとても綺麗でした。

赤坂H


季節通信30西洋ヒイラギ

木曽川の太田橋と化石林

 岐阜県太田宿近く、木曽川を渡る「太田の渡し」は、中山道の難所のひとつに数えられていました。太田橋が完成し、渡し船が役割を終えたのは昭和2年のことです。太田橋とその下流の今渡ダムについては、2017年10月20日にこのブログでご紹介しましたのでご覧ください。
 今回は、河原まで下りて写真を撮りましたので、違うアングルでの橋の姿になりました。加えて新しい発見がありました。太田橋下流一体に広がる「化石林」を見ることができたのです。化石林とは、太古の時代に森林の樹木が土砂などに埋まり、化石(珪化木)となったものです。

化石林マップ

 平成6年夏、異常渇水のため木曽川の水位が下がった時に、立ったままの化石木が両岸で425本も見つかりました。これだけ大規模な化石林は全国でも初めてで、大変貴重な発見となりました。化石林のある地層は瑞浪層群といい、約1900万年前のものといわれています。
 化石になった樹木の主な種類は、暖地に自生するアオギリの仲間で、今の日本では見ることができません。川岸の水面近くに、根株部分の化石を見ることができました。下の写真では、白っぽい色をした岩のように見えています。化石をよくよく観察すると、年輪のような模様を見ることができます。

化石林G

中小田井の五所社

 小田井遊水地(庄内緑地)を囲う堤防の下に「五所社」がある。堤防に上って両側を見ると、遊水地側の地盤より、社側の地面の方が低く見える。庄内川や小田井遊水地の堤防が如何に大切であり、これが決壊したら大変なことになると理解できる。
 五所社の由来書を見ると主神は八幡社で、ほかにも神明社・天神社・愛宕社・熊野社、5社を祀っている。天保12年(1841)の「尾張名所図解」に載っているが、創建は詳らかでないという。小田井城主織田氏が天文14年(1545)に修復したときの棟札が残っているので、これより古いものと思われている。

五所社G

 本殿は、かなり高い玉石積みの上に建てられている。これも大水の時の備えかもしれない。本殿以外にも、小さな祠がいくつか点在している。5社のほかに、津島社・秋葉社・国府宮社・金毘羅社などである。
 社群の前面に広場があり、その片隅に公民館や昭和39年に建立された殉国碑が建っている。その南には高い堤防の土手があり、ここにはクスノキやイチョウの大木が生い茂っていて、神社の古さを物語っている。

五所社H


中小田井の願王寺

 中小田井の町並みの中ほどに、大きなお寺がある。善光寺の別院で「願王寺」という。街道からの入り口に神社の象徴「鳥居」が建っている。これは神仏混淆(神仏習合)の名残であろうか。石畳の参道を歩くと「善光寺」と書かれた扁額のある山門に至る。
 山門の左右には、まだ木肌も新しい仁王様が屹立しており、柱には巨大な草鞋が掛けられている。あちらこちらのお寺の山門で仁王像を見ることがあるが、鳩除け?のためか金網が張ってある所がほとんどである。ここは網がないので、綺麗な写真を撮ることができた。

中小田井の寺G

 願王寺の創建は天長6年(829)と伝えられている。元々は天台宗、本山は比叡山延暦寺であるが、明治以降は信州善光寺の別院となった。宗派を問わないので、小田井だけでなく名古屋の西部からも多くの信者を集めたという。
 本堂は、昭和の初めに建立された建物を昭和50年に屋根を取り去り、柱などを残しながら新しい大屋根を架けたものである。ファサードは全面ガラス張りというユニークなデザインで、昭和52年の日本建築学会賞を受賞している。

中小田井の寺H

岩倉街道の中小田井

 小田井の名は「田水を司る」の意からと言われている。庄内川右岸にある小田井の村々は、かつて河川の氾濫によって大水害にあい、その歴史は水との戦いであった。尾張藩は、名古屋城下の町を守るために、左岸側の堤防を特に堅固にしたからである。
 岩倉街道は、寛文7年(1667)に開通した。枇杷島から小田井、岩倉を経て犬山に至る道である。当時、このあたりで庄内川を渡る橋は枇杷島にしかなく、岩倉方面から野菜類を枇杷島の青物市場(慶長19年(1614)ごろ開設)へ運ぶためには必ず通る街道であった。

中小田井マップ

 重い野菜を積んだ荷車を曳いて、新川や庄内川の堤防を上る坂道は大変であったらしく、中小田井で休憩したりお茶を飲んだという。また、味噌や油など生活用品を買い求めたりしたので、中小田井の街道沿いは賑わいを見せ、商家の立ち並ぶ街が形成された。
 今も、何軒かの古い町屋が残っている。黒い板張りの家や土蔵、中二階(厨子二階)のある格子張りの家などである。お米屋さんの店先を覗くと、何とも懐かしい秤(はかり)があり、今も使われているようである。昭和62年に、名古屋市の町並み保存地区に指定された。

中小田井G
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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