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文化のみち「主税町教会」

 市政資料館(旧高等裁判所)から「文化のみち」を東に進み、国道41号を渡るとすぐに古風な教会が見える。「カトリック主税町教会」である。この地に初めてカトリック教会が置かれたもので、明治20年(1887)のことという。
 フランス人宣教師らが武家屋敷を購入し、長屋を改造して教会とした。その後明治37年に、現在の原型となる聖堂(礼拝堂)が建てられた。正面に急こう配の屋根があり、その上に十字架が立っている。屋根全体を見ると普通の切妻瓦葺である。わずかな造作で雰囲気が出ているので感心する。

高岳駅 修正

 礼拝堂の斜め前に「鐘楼」が建っている。当初は明治23年頃に建てられたが、昭和40年の道路拡幅のため取り壊されてしまった。写真は、平成2年に位置を移して復元されたものである。鐘楼の鐘は、明治23年にフランス・マルセイユで造られたものという。
 芝生の庭の端に「ルルドのマリア様」が設置されている。フランスのルルドの地で、1858年に起きた“聖母マリアの出現”の模様を再現したものである。礼拝堂の横にケヤキの大木が茂っている。直径1mを超す古木で、教会ができる前の武家屋敷の時代からあったものと思われる。

文化のみち教会G

尾張大橋と立田のハス

 国道1号(東海道)が木曽川を渡る橋を、「尾張大橋」という。すぐ上流を近鉄名古屋線とJR関西本線が走っていて、2本の鉄橋も合わせて見ることができる。昭和5年に着工し昭和8年(1933)に完成した。
 長さ約880m、幅は7.5m。2車線の道路であるが、今では広いとは言えない。型式は13連の「下部ランガートラス」である。トラスを上弦のアーチで吊り下げる構造で、当時としては最高の技術を駆使しているという。塗装の色はグレーで、形ともども落ち着いた雰囲気を見せている。

尾張大橋G

 尾張大橋から5kmほど北、県道125号・佐屋多度線に道の駅がある。その隣に「森川花はす田」があり、今を盛りとハスの花が咲いていた。「立田の蓮根(れんこん)」と言われるように、この辺りは日本有数のレンコン産地であるのだ。
 弥富市からここまで(愛西市)の間にも、点々とハス栽培の田があった。「森川」は観光用でもあるので、多品種のハスを栽培していて花色も豊富である。今年はコロナの影響かもしれないが、10年前に訪れた時には、背丈より高いハスの花を見るために、階段を登る木製デッキが出来ていた。

立田の蓮根


季節通信14ハス


立田輪中悪水樋門

 木曽・長良・揖斐三川の最下流部は、流路が安定せず絶えず河道が変化していました。上流から流れてきた土砂が堆積しているところは自然堤防といい、人々はそこで耕作を始めました。古くは平安時代(今から1200年前ごろ)から始まったといいます。
 しかし絶えず水害に見舞われるため、集落を堤防で囲む「輪中」を造りました。輪中の内部にたまる生活排水のことを「悪水」と呼びます。輪中の上流部には、水を取り入れる「用水杁」を、下流部には悪水を排出するための「排水杁」が設けられました。「杁」とは、水門のことです。

立田水門G

 「立田輪中悪水樋門」は、そうした排水のために明治34年(1901)に完成しました。干潮時に水位が下がるのを利用して鍋田川に排水する仕組みでしたが、入る水の方が多くて当初の役割を果たしませんでした。そこで、全国的にも珍しい取水のための、「逆潮用水樋門」として使われるようになりました。
 その後、鍋田川の川底が上がり、水中塩分が多くなったことから取水もできなくなってしまいました。今は、産業遺産として公園内に保存されています。上流側(上の写真)には水門があり、上部に「明治三十四年竣工」の文字が、下流側(下の写真)には「立田輪中悪水樋門」の文字が刻まれています。

大鹿村「電子基準点」

 「中央構造線博物館」の裏手にステンレス製の柱が立っている。最初見たとき、場所柄といいゴミ焼却炉の煙突かと思った(失礼!)近寄ってみると説明版があり、国土交通省国土地理院が設置した「電子基準点」であることが分かった。
 柱の頭部に、GNSS(全世界的衛星測位システム)衛星からの電波信号を受信するアンテナが取り付けられている。柱の中には受信機本体と受信データを転送するための装置が入っていて、常時連続観測を行っているという。非常に重要な施設なのに柵もなく、敷地の隅にひっそりと立っていた。

GPSアンテナG

 GPS(Global Positioning System)は、米国で開発された位置を求めるシステムで、上空約2万kmを飛行している人工衛星から送られる電波信号を受信し、衛星と電子基準点との距離を測定することにより基準点の位置を求めるものである。
 電子基準点は、おおむね20km間隔で全国に1300か所ほど設置してある。右下の図は、大鹿の基準点を中心に、各地の基準点が1年間に移動したベクトルを示している。これによると、日本列島は東西に縮んでいることが分かるという。左上は長野県の立体地図、地球を上から眺めるのは楽しい!!

大鹿村「三六災害」の傷跡

 先回の「中央構造線博物館」の写真をもう一度見ていただきたい。後方に写る大西山の山肌が、大きく崩れたまま赤茶けた状態に見て取れる。「三六災害」、昭和36年(1961)6月下旬に信州伊那谷を襲った集中豪雨の傷跡である。60年経った今も、崩落跡には一木一草生えていない。
 降雨量は523mm、各地で山津波崩落を起こし、多くの家屋・田畑・人命に被害を及ぼした。特にこの大鹿村では、大西山(1741m)で前代未聞の大崩落(山体崩壊=トップリングという)が発生し、川沿いの集落を飲み込んでしまった。土砂の勢いは対岸にも及び、合わせて40戸の住宅と42人の命を奪ったのである。

大鹿村崩落地

 20年ほど前、桜の時季に一度訪れたことがある。崩落した土砂がなだらかな丘を形成しており、その上が公園となって一面に桜が咲いていた。堆積土砂の量は、354万㎥と計測されており、取り除くことは不可能であろう。地下深く眠る人々の上に、鎮魂の意味を込めて桜を植えたのである。
 未だ剥き出しになったままの岩肌を背景に、観音像が立っている。平成3年(1991)に、被災30周年を記念して、村民有志が建立したものである。近年、一日500mm、時間100mmといった豪雨が各地で頻発している。このような悲惨な災害が、再び起きないことを祈るばかりである。

季節通信79夏の花

大鹿村「中央構造線博物館」

 中央自動車道・松川インターからまっすぐ(曲がりくねっているが)西に走ると大鹿村に至る。天竜川方面から山脈を見ると、手前の伊那山地に遮られて南アルプスを望むことはできない。冬季、わずかに頭をだした3000m級の山々の、白い雪帽子が見えるだけである。大鹿村はその谷間にある。
 「中央構造線博物館」は名の通り、日本一の大断層を説明する博物館である。駐車場を降りると広場があり、大西山をバックに瀟洒な建物がある。広場にはたくさんの岩石(鉱物)見本が置いてある。園路の中央に直線のブロックが設置され、「中央構造線」と記してある。正にここが断層なのだ。

大鹿村博物館G

 九州から四国、紀伊半島を通って渥美半島、豊橋あたりから北へ曲がって諏訪湖に至る、日本列島の骨格ともいえる地層である。南側・東側を外帯といい、北側・西側を内帯という。このラインの内か外かで、構成する鉱物がまったく異なるという。広場の岩石は、その様子を示している。
 部屋に入ると、さらに詳しく中央構造線が説明されている。日本列島の成り立ち、プレートの動きや火山活動の歴史を、パネルを見ながら学芸員さんが説明してくれる。二階には10畳ほどの大きなジオラマがあり、岩石の縞模様が平面的にも立体的にも分かるようになっている。内容説明は、ぜひ現地で!!

大鹿村博物館マップ


季節通信78タケニグサ

岩倉城址と山内一豊生誕地

 岩倉駅の南東、五条川の畔に「岩倉城址」がある。この城は織田伊勢守の居城で、信長により落城させられる永禄2年(1559)までの80年間、尾張上半国支配の拠点であった。現在は「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の2つの碑が立つのみである。
 岩倉城主の中でも最も活躍した織田信安夫妻の墓が下本町の誓願寺に建てられている。この墓碑は、元は信安の子孫が名古屋市東区の含笑寺に建立したものであるが、戦後の区画整理により平和公園に移されていた。昭和39年になって、夫妻ゆかりのこの地に移設されたものである。

岩倉城址G

 岩倉城址のすぐ北に神明生田神社がある。本殿と拝殿があり、その左隣に背の高い建物が建っている。中には中本町の山車が格納されている。本殿に向かって右側、こんもりと茂った樹林の中に「山内一豊生誕地」の記念碑が立っている。一豊は、この地で生まれ育っている。
 山内一豊は、本人よりもむしろ“その妻”の方が有名である。一豊は信長に仕えたのち秀吉の家臣となり、小牧・長久手の戦いなどに参軍している。関ヶ原合戦では東軍につき、土佐一国20万石の領主となった。一豊の出世のために尽くした妻・千代の逸話は、第二次世界大戦以前の日本において、賢妻のモデルとして高等女学校の教育に採用され、広く人の知るところとなった

岩倉城址H

岩倉市自然生態園

 岩倉市の西端部、東名高速道路近くに自然豊かな公園がある。市が「自然との共生」を目指して、固有のビオトープとして整備した。園内には小川や池、湿地などがあり、この地域に自生する木や草が植栽されている。つい最近まで、どこにでも当たり前に生息していた数多くの生き物を呼び戻そうとするものである。
 入口の近くに「ワークハウス」と呼ぶ建物があって、園の概要を説明するとともに昆虫や植物の標本を展示している。橋やあずま屋(休憩所)、草屋根昆虫館などの施設もあって多様な生態を観察できる。面白いのは「こうもりタワー」(写真の矢印)で、三階ほどの高さに小屋があり、小さな穴から蝙蝠が出入りするという。

岩倉自然生態園

 この生態園は、隣接する津嶋社も一体的に利用できるようになっている。この境内の森はいわゆる照葉樹林で、鬱蒼とした常緑樹に被われている。200年を越えるアラカシもあるという。梅雨時のせいかジメジメと湿気が多い。大木の幹にヤモリが這い登っていた。
 一部はモウソウチクの竹林で、樹林と混交している。その中に珍しい現象を見つけた。朽ちて空洞になったアラカシの幹に、モウソウチクが突き抜けて生育しているのだ。どう見ても途中から入り込んだものではなく、根の中央に穴があって、そこからタケノコが入り込んだものとしか考えられない。
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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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