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閑話「古墳」その2

 日本列島に人が住むようになったのは、今から数万年前の旧石器時代である。そのころは大陸と地続きで、ゾウやワニ(10月4日の足跡化石参照)その他の動物と一緒に渡って来たのであろう。ほかにも、南方から丸木舟や筏で島伝いにやってきた人たちもいるという。(柳田国男「海上の道」)
 人々は主として狩猟・採集・漁撈によって生計を立てていた。ただ時代が進むにつれ、サトイモやコンニャクのような根菜やソバ・アワといった雑穀類も栽培していたらしい(照葉樹林文化論)。照葉樹林やブナ林の山中、川辺が生活空間だった。このころの土器は縄目模様が特徴なので「縄文時代」という。

古墳I

 紀元前3世紀ごろになると、稲作を生業とする人々が揚子江流域からたくさん渡ってきた。当時の大陸は大きな国々が対立し、ついには秦の始皇帝が全土を統一する時代である。北方の騎馬民族や中原の漢民族に押されて、揚子江の稲作農民は西の山へ登るか舟で揚子江を下るしかなかったのであろう。
 日本海に船出し、日本列島(まずは九州)に渡り着いた人々は、そこが温暖な気候で、河口の三角州は稲作に適しているのでホッとしたことだろう。しかも先住の民は、自分たちと同じような顔をした縄文人で、住む場所も山と平野に住み分けるので、それほどの争いもなく受け入れてくれたのだと思う。

古墳J

 稲作の民は九州から瀬戸内沿岸(出雲も)、畿内から濃尾平野まで広がっていった(後には三河から関東まで)。紀元前3世紀から紀元3世紀のこの時代を「弥生時代」という。水路や田をつくり、家族や同族の仲間で集落をつくって平和に暮らしていた。次第に、小国家ほどの組織には発展したのだろう。
 ところが、3世紀から4世紀は激動の時代である。大陸では漢が滅び「三国志」の時代になる。群雄が盛衰を繰り返し、魏・呉・蜀の3国が鼎立してせめぎあった。これに呼応するように日本列島にも大きな変革が起こる。「古墳時代」に突入するのである。
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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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