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庄内緑地

 庄内緑地は、小田井遊水地を兼ねている。庄内川が大洪水となり、水が溢れそうになると、越流堤を越えて水が緑地の中に蓄えられる仕組みになっている。約40ヘクタール、100万トンもの水を調整し、下流域の災害を防止する。
 庄内緑地は、名古屋市では珍しく広さを実感できる公園である。調整池であるために施設づくりが制限されているためでもある。中央あたりに広大な芝生広場がある。シンボリックな時計塔と巨大なケヤキが景色を作っている。シートを広げて、のんびりと寝転んでいる人が多い。

庄内緑地G

 彫刻も噴水も遊び道具を兼ねている。巨大な石の彫刻に子供たちはよじ登り、夏の暑い日は、霧を吹き出す噴水が水遊び場に早変わりする。公園の西の端に「ドッグラン」がある。この公園では犬までが伸び伸びと走り回ることができる。
 早春には菜の花畑が広がっていた。かつて小田井の人々が、菜種油を栽培していた風景を思い起こす。地下鉄庄内緑地駅を起点に庄内緑地の園路を通り、囲繞堤(いにょうてい)を越えると中小田井の町に至る。KIZZRIの人たちは、このルートを新しい散策コースにしたいと考えている。

季節通信124マツバラン

中小田井の岩倉街道

 旧岩倉街道は、犬山・江南・一宮・岩倉から枇杷島・清須に至る道である。岩倉方面の野菜類が枇杷島の青物市場に運ばれ、名古屋城下の人々に供給された。中小田井は、小田井遊水地(庄内緑地)の北に広がる町で、荷車や人の往来が盛んであった。
 野菜を満載した車が庄内川の堤防へと登る、急な坂道に差し掛かる手前の町である。空の荷車を曳いて帰る人たちに向けて、味噌や油など生活用品を商う店が立ち並んでいた。このあたりでは、菜種油の栽培が盛んで、かぐわしい油の匂いが通りに香っていたという。

中小田井G

 古い町屋の米屋があって、屋号を「わたしん」という。これは、かつて綿を商っていた名残りだという。古い「米のはかり」が置いてあって、今も現役で使われている。白い壁と黒い板の塀に、2連の土蔵が続いている。昭和62年(1987)に、名古屋市の「町並み保存地区」に指定された。
 町の歴史と現状を学び、新しい発見をして情報発信しようとするグループが活動している。KIZZURI(きずり)といい、洒落た手作りのパンフレット(マップ)を配布している。古い建造物の保存や活用が中心だが、通りに彩りを添える花や緑にも関心をもって取り組んでいる。

季節通信122オニハス

ダブリンの道路事情

 ダブリン市の面積は318平方キロ、名古屋市(326)とほぼ同じである。しかし、市周辺部は田園や森林が広がっているので、市街地の面積はそれほど広くない。そこに、市民約120万人と首都としての人々の往来があるので、都心部は活気に満ちている。
 二階建て遊覧バスで中心部を一周した。運転手は、名古屋ほど幅広くない道路を器用にすり抜けていく。道路は狭いながらもいろいろな工夫が施されていて、駐車スペース・自転車レーン・バスレーンなどがバランスよく配置されている。その中にも広い歩道空間と緑化スペースが確保されていた。

ダブリンの道G

 街の中心にLiffey川が流れている。西の丘陵地から流れ出て、イギリスとの間のアイリッシュ海に注ぐ川である。その両側にデッキが張り出されていて、歩行者空間になっている。ところどころ幅の広い所にはオープンカフェやベンチがあって、人々はコーヒーやアイスクリームを楽しんでいる。
 街に緑は多いが、それに加えて花やアートが溢れている。メインストリートの歩道には2匹のウサギの彫刻が置いてある。これはウェールズ出身の彫刻家バリー・フラナガンの作品である。この作家の「野兎」は、白川公園に野外展示されている。アーティストたちの活動も盛んで、楽器演奏や曲芸、チョークで舗装に絵を描くパフォーマンスなどが行われていた。

ダブリンの道H

季節通信121オオオニハス

ダブリンの植物園

 アイルランドの首都ダブリンは人口120万人、アイルランド国民の約4分の1が集まっている。街には緑が多く、メイン通りには花や彫刻も飾られて活気に満ちている。都心近くに国立の植物園があるというので訪ねてみた。「グレスナビン植物園」と呼ぶ。
 1795年に、資源植物や農業の研究のために設立された。面積は約20ha、栽培植物は2万種にも及ぶという。入り口近くの温室は、キューガーデンを手掛けた建築家が設計した。外観も瀟洒であるが、中に入って眺めるとさらに美しい。何よりも主役の植物との調和が意図されている。

ダブリンの植物園

 花壇は様々なパターンを持っている。宿根草を駆使したボーダー花壇は、園路側は低く奥に行くほど背の高い植物を植えている。日本の山地に生えるタケニグサも使ってあった。平面花壇やハンギングバスケットを使った立体花壇も美しい。若い女性のガーデナーが花の手入れをしていた。
 奥へ進むと自然を活かした深い森があり、野生のリスが走り回っていた。水生植物を集めた池には、モネの庭を連想させるような橋が架かっている。管理事務所で名古屋の植物園の元職員であると告げると、植物目録を進呈してくれた。正門の前で記念撮影。

季節通信120タケニグサ

アイルランドの石灰岩台地

 アイルランドの西海岸は、石灰岩の固まりで出来ている。氷河が削ったため岩盤が剥き出しで、植物を育む土壌がない。岩の割れ目に溜まったわずかな土だけが、植物のよりどころである。荒涼とした岩の台地を4時間も歩いた。ケルンの向うに、草臥れた姿で歩いている私が写っている。
 ここでも人々は暮らしている。貴重な土壌が風で吹き飛ばされないように、人の手で持ち上がる大きさの石を積んで風よけを造る。海から運んだ海藻を砂の上に敷いて、吹き飛ばされるのを守ったという。海藻は腐って腐葉土となる。そうしたわずかな土に牧草を植えて家畜を飼う。

アイルランド工事G

 観光も大きな収入源になる。遊覧船を降りてしばらく行くと、大掛かりな工事現場に出会った。観光客用の案内所か休憩所のようである。工法を見ると、岩をくり抜いてその中に建物を建てようとしている。完成後は埋め戻して、人工物をなるべく見せないようにする環境対策である。
 重機が動いたり、建築資材の置かれている場所に看板が立っていた。WARNING(警告・注意)と題して“重機の周りには近寄らないように”など安全対策が書かれている。しかし、日本では必ず見られるような「厳重な柵」は設置されていなかった。

アイルランド修正

季節通信123ほおずき


アイルランド西海岸

 アイルランドの西海岸は、まだ地球が丸いと知られていなかった時代には地の果てと思われていた。陸地は、高さ200mもの断崖絶壁で終焉し、その先は荒海である。岸壁を周遊する遊覧船に乗った。今から15年ほど前のアイルランド旅行のときの経験である。
 運がいいとイルカの群れを見ることができるというので、期待して舳先でスタンバイしていたが、残念ながらこの日は運悪く、泳ぐ姿を見ることはできなかった。イルカは、知多などの水族館で、調教された姿しか見たことがないので、野生の生態を見たかったのである。

アイルランド西海岸

 遊覧船が中ほどまで進むと、岸壁から少し離れたところに「烏帽子島」ともいうような縦長の岩が立っていた。荒波に洗われて削られた中で、この硬い岩だけが残ったのであろう。岩の節理は水平な層になっており、柔らかく窪んだところにカモメが規則正しく並んで止まっていた。遠くて見分けがつかなかったが、ウミネコかもしれないと思った。
 途中、アラン諸島を往復する船とすれちがった。縄網みの「アラン模様セーター」は、妻や恋人のオリジナルな手編みである。荒海に漕ぎ出した夫が遭難したときに、セーターの模様で見分けるという悲しい物語が語られる。遊覧船が到着する港近くの集落には、カラフルな建物が建っていた。

季節通信ツバメ
下線文

熱田湊の「東浜御殿」

 東海道唯一の海路「七里の渡し」は、宮宿(熱田湊)と桑名宿を結んでいる。熱田湊には、熱田神宮の一の鳥居が、桑名湊には伊勢神宮の一の鳥居が立っていた。京からの旅人は、鳥居をくぐって熱田神宮を参詣し、江戸からの伊勢詣客は、桑名から伊勢へと向かったのであろう。
 熱田湊の辺りは、今は「歴史公園・宮の渡し公園」になっている。ここには、昔ながらの「常夜灯」が残っており、新たに「時の鐘」も整備されている。しかし、この地に尾張藩の「東浜御殿」があったことを示す遺跡は残っていない。ところが最近、御殿の石垣の巨石が白鳥小学校にあるとの報道があった。(7月27日中日新聞朝刊)

東浜御殿修正

 東浜御殿は、寛永元年(1624)に尾張初代藩主・義直が造営したものという。東海道を往来する公家や大名を供応するためともいうが、京へ上る将軍の宿泊のためであり、江戸時代を通じて泊まったのは三代将軍・家光ただ一人ともいわれている。あの壮大な本丸御殿が、将軍だけの宿泊所だったことを考え合わせれば、さもありなんと思ってしまう。
 その位置は、現在の公園に接する新堀川の水中であると考えられる。そのよすがは、古い絵図や浮世絵に残っている。上の図は、「名古屋并熱田図(なごやならびにあつたず)」(徳川美術館蔵)の部分である。下の絵は、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の「宮」、手前に御殿の様子が描かれている。

浜御殿G


季節通信118カモメ

東京オリンピックの聖火台

◆◆東京オリンピック2020の開会式が終わって1週間が経つけれど、新聞やテレビのどこからも声が上がらないので私が書くこととします。このブログは、あまり意見や批判を書かないのですが、この件はどうしても指摘しておきたいのです。聖火台の点火についてです。◆◆

 開会式の各国選手団の行進やダンスなどの演技を見ていて、背景に気になる物体(富士山型のモニュメント)を見つけた。しかし、まさかそんなことはあるまいと悪い予感を打ち消していた。しかし、クライマックスの聖火の点火で、心配が現実のものとなった。やはり「富士山」は点火台であり、その頂上に聖火が点火されたのである。
 このシーンを、富士山の火山噴火と見たのは私だけであろうか? あるいは誰もが、日本の象徴である富士山をモチーフにして世界の人たちにアピールするこのアイデアに、何も問題を感じなかったのだろうか? 私としては「富士山の噴火」は火砕流や降灰をもたらす大災害であり、いくらイベントとはいえ面白・可笑しく扱ってもらっては困るのである。

富士山G

 東京の人たち(神奈川・千葉・埼玉を含む)は、富士山噴火とそれがもたらす大惨事について日頃から警戒心を持っていないのだろうか。関東大震災のような直下型の地震や海溝型(トラフ)による津波と同じように、大被害を生ずるとは考えていないのだろうか。そんな来るかどうかも分からない先の心配などしていられないと言うのだろうか。
 300年前の大噴火(1707年の宝永火山の噴火)では、0.7立方キロの火山灰が放出されたという。これが関東平野に降り注ぐと、厚い薄いはあるけれど平均すると10000平方キロの面積(東京都2200平方キロの約5倍)に7cm堆積することとなる。首都圏の機能がパンクしてしまう大惨事である。だから設計者は逆説的に・・・“そのための警鐘を国民に与えた”とでも言いたいのだろうか。

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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