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岡崎城下・5つの橋 その4

④ 桜城橋
 令和2年に開通した新しい橋である。全長121m、幅員19m、面積2000㎡という広大なもので「橋の上の公園」といった趣きである。構造はコンクリート造りであるが、表面は地元の木材・ヒノキを使用して落ち着いた雰囲気を演出している。(上空からの写真は岡崎市ホームページからの転載)

桜城橋 空から

 まちの玄関・名鉄東岡崎駅と籠田公園とを結ぶ動線になっていて「街中へのお迎え空間」と謳っている。橋上で、今まさに木造の枠組みを製作中であった。大工さんにお伺いすると、イベントの休憩所とのこと。「桜城橋」の名は、公募で集まった4000件の候補の中から選ばれた。
 桜城橋の北には、緑豊かな中央緑道が連なっている。ここには、徳川四天王と呼ばれる武将の彫像が置かれている。太鼓を敲きながら叫んでいる姿は坂井忠次、4人の中で最も長老である。槍をもつのは本多忠勝、「家康に過ぎたるもの」と称せられた。生涯で57回の合戦に出陣したが、一度も怪我をすることがなかったという。
 彫刻は岡崎名産の伝統的工芸品「岡崎石工品」で作られている。

桜城橋G

季節通信153早春の花





岡崎城下・5つの橋 その3

③殿橋
 この位置は岡崎城にとって重要な場所であり、古くは正保2年(1645)に橋が架けられた。もちろん木橋であり、明治38年(1905)に架け替えられた橋も木造であった。明治・大正の時代には、馬車鉄道や岡崎電気鐵道の電車が橋の上を走ったという。
 現在の橋は、昭和2年に完成した。当時としては最新鋭の技術で建設された鉄筋コンクリート橋である。中央に複線の市電が通り、両側に車道と歩道が設けられた。デザインはどこから見ても美しい。橋脚は規則的に並んでいて、四角い穴を連続して見ることができる。親柱や歩道の手すりにも、凝った意匠が施されている。今は市電は走っていない。

殿橋G

 歩道を歩いて渡ってみた。中央辺りから見るお城の姿がとても美しい。江戸時代には、町の人々はお城を畏敬の念で仰いでいたのであろう。堤防の落葉樹はソメイヨシノ、その背景の常緑樹はマツ、桜の時季が楽しみである。

城景色

季節通信150虎の尾


岡崎城下・5つの橋 その2

②潜水橋
 乙川のこのあたりは、高水敷が公園になっている。大雨以外のときは、芝生や広場で遊ぶことができる。もちろん桜のシーズンには、多くの人々がシートなどを広げてお花見を楽しんでいる。この公園の左岸と右岸を結んでいるのが「潜水橋」である。
  「潜水橋」は、「沈下橋」あるいは「もぐり橋」とも呼ばれる。大雨などによる洪水時に、川の水中に潜ってしまう橋をいう。堤防の上をつなぐ橋に比べて短い距離で橋ができるメリットはあるが、洪水時には使えない。
 橋に物が絡んで水流を阻害するというデメリットもある。「もぐり橋」の中には転落防止の柵がないものもあるがこの橋には手すり柵がある。洪水時にはゴミや草木などが引っかからないように、柵を倒すことにより水流の妨げを避ける構造になっている。

潜水橋G

季節通信151アオキ




岡崎城下・5つの橋

 ♪♪五万石でも岡崎様は アー ヨイコノシャンセ お城下まで舟が着く ションガイナ・・・♪♪
 江戸小唄・端唄に詠われている。江戸時代、岡崎藩は家康誕生の地として別格の扱いを受けて繁栄を誇っていた。人と物の動きも頻繁で、陸路としては東海道がお城の北を走っている。
 矢作川・乙川は外堀の役目もあるが、水運としても重要であったのだろう。三河湾から矢作川を経て、乙川により「お城下」まで船便が往航していた。

◆岡崎城の南を流れる乙川(別名:菅生川)に、面白い橋がいくつかあるのでご紹介しましょう。
◆下流から・・・①名鉄本線菅生川橋梁 ②潜水橋 ③殿橋 ④桜城橋 ⑤明代橋 です。
◆いずれも歩いて廻れる距離にありますので、桜の時季などに見て廻ることをお勧めします。

乙川の橋

① 名鉄本線・菅生川橋梁
 「乙川」は、またの名を「菅生川(すごうがわ)」というので「菅生川橋梁」と呼ぶ。ちなみに道路に架かるものは「橋」といい、鉄道のものは「橋梁」という。
 この橋梁は、名鉄の前身である「愛知電気鐵道株式会社」が大正12年(1923)に建設したものである。この鉄道会社は明治43年(1910)に設立され、愛知県南東部で事業を展開したが、昭和10年(1935)に「名岐鉄道」と合併して「名古屋鉄道(名鉄)」となった。

乙川①G

岡崎市東公園の観月橋

 岡崎城から東へ3kmほどの、平野が終わって山地にかかる辺りに「東公園」がある。面積約27haの総合公園、紅葉や桜の名所であり動物園もある。池は元々農業用のため池で、カモなどが飛来する自然豊かな景観を保っている。橋で渡る浮御堂があり、池側から樹林などを見ることができる。
 池に連続して花菖蒲園がある。6月には100品種・1万株の花を楽しむことができる。桜・動物園・
浮御堂・花菖蒲園と並べてみると、名古屋の鶴舞公園(昭和12年まで動物園があった)に似ていると思う。開園が昭和3年(1928)と古く、この時代の郊外型総合公園の類型なのかもしれない。

東公園修正

 瓢箪池の窪んだところに木製の太鼓橋「観月橋」が架かっているのも鶴舞(胡蝶池の鈴菜橋=今はコンクリート製)と共通である。池岸にはたくさんのカエデが植えられていて、太鼓橋から見る秋の紅葉は見事である。名の通りこの橋からは綺麗な月が見られるのだろう。池に映るのかも知れない。
 橋脚まで木製の橋を管理するのは大変である。何年かごとに大補修あるいは架け替えをする必要があろう。しかし、和風の庭園景観の中では、橋そのものが添景物としての役割をもっている。観光の名所でも、木製の橋が大きな意味をもつところがある。例えば伊勢神宮の「宇治橋」(2016・5・26参照)や京都の「三条大橋」(2018・6・20参照)などが有名である。

季節通信149冬の渡り鳥

滝山寺(たきさんじ)

 青木川のほとりに、「火祭り」で有名な滝山寺がある。創建は奈良時代という。荒廃し廃寺となったこともあるが、熱田神宮・鎌倉幕府・足利氏・徳川家などの庇護を受けて興隆し、今日に至っている。本堂と山門との間に距離があるが、かつてはこの間も寺領に含まれていたのであろうか。
 階段(写真)を登ると本坊があり、庭園を挟んでその上に宝物殿がある。ここに「聖観音菩薩」(写真)および「脇侍(梵天・帝釈天)」が保存・展示されている。この3体は正治3年(1201)に作られたが、様式的に見て運慶一派の作と認められている。

滝山寺G

 本堂から青木川を7~800m下ったところに朱色に塗られた三門がある。三間一戸の入母屋造りで、こけら葺きの楼門である。左右に金剛力士像(仁王)が安置されている。この三門と本堂、宝物殿の仏像三体は国の重要文化財に指定されている。
 「滝山寺鬼祭り」は、巨大な松明30数本を本堂に持ち込むことから「火祭り」とも呼ばれる。毎年旧正月7日近くの土曜日(今年は2月12日?)に開催される。大松明を持った十二人衆が三門から出立し本堂に向かう。行列には住職や冠面者なども加わり唄が歌われ、法螺貝も鳴らされるという。

季節通信150虎の尾

ガラ紡績の遺構(水車と堰堤)

 矢作川の支流・乙川は三河山間部から西に流れて矢作川に合流する。乙川のさらに支流の男川近くに大きな水車があった。残念なことに数年前に老朽化のために撤去されて今はない。直径6.4mもあり、県内最大級であったという。現在も基盤となる石積みや回転のための軸石は残っている。
 かつて岡崎は、「ガラ紡績」の盛んなところであった。ガラ紡績とは、明治の初めに我が国で発明された機械による紡績技術である。「つぼ」と呼ばれる円筒形の容器にワタを詰め、「つぼ」を回転させながらワタを細く引き出して糸を作る方式である。手紡ぎに近い素朴な風合いの糸ができる。

ガラ紡績マップ

 機械の回転には水車が利用された。岡崎周辺は、三河木綿の産地なので原料が入手しやすい。また、乙川・男川・青木川など、大型の水車を動かすのに十分な水量をもつ川も立地に好条件であった。川沿いに紡績工場が建ち並んでいたが、明治中ごろをピークに近代的な機械に圧迫され衰退してしまった。
 乙川の北を流れる青木川流域にも、ガラ紡績の工場が建ち並んでいた。水車をもつ粗壁の建物が多かったが、今はほとんど見ることができない。ただ、鬼祭りで知られる名刹「滝山寺」の前面に、取水のための三段の堰堤が残されるのみである。機械を回すガラガラという騒音は、昔話になってしまった。

季節通信 ワタ


東山植物園の温室

 東山植物園の温室は、昭和12年(1937)の植物園開園当初から公開されてきました。建設から80年近く経って、鉄骨の腐食など老朽化が目立ってきましたので、平成26年(2014)から解体工事を始め、昨年の春(2021)復元工事を完成しました。この間、7年かかりました。
 この温室は、国内の温室としては最も古く、全熔接による鉄骨造りの貴重な建物として、2006年に国の重要文化財に指定されました。今回、温室の前庭も以前と同じデザインで整備されました。さらに、池が水鏡のように改良されましたので「逆さ温室」も見ることができます。

温室G

 これまでの84年間は、けっして平穏だったわけではありません。戦争時の爆撃では、ガラスが吹き飛んだと言いますし、伊勢湾台風のときにも大きな被害を受けました。昭和40年代の温室建設ブームで各地に大規模な温室が建設される中、もっと大きな温室に建替えるべきという声もありました。その度に、この温室を愛する植物園関係者は肝を冷やしました。しかし、重要文化財になった今は、もうその心配はありません。
 この温室の美しいシンメトリーなデザインは、独自のものではなく、欧米にそのルーツがあります。そのいくつかをご紹介しましょう。
◆世界一古く、コレクションも多いロンドン「キューガーデン」の「パームハウス」(左下)。
◆ニューヨークの「ブルックリン植物園」(右上)は、池の形まで似ているのでビックリしました。
◆アイルランドの「ダブリン植物園」(右下)にも、繊細で美しい温室がありました。

温室H

 令和4年(2022)最初のブログ発信です。ガラス張りで明るく、太陽の光を受けて温かい「東山植物園の温室」から始めました。今年こそコロナを克服して、希望溢れる年にしたいものです。
 

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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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