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ガラ紡績の遺構(水車と堰堤)
矢作川の支流・乙川は三河山間部から西に流れて矢作川に合流する。乙川のさらに支流の男川近くに大きな水車があった。残念なことに数年前に老朽化のために撤去されて今はない。直径6.4mもあり、県内最大級であったという。現在も基盤となる石積みや回転のための軸石は残っている。
かつて岡崎は、「ガラ紡績」の盛んなところであった。ガラ紡績とは、明治の初めに我が国で発明された機械による紡績技術である。「つぼ」と呼ばれる円筒形の容器にワタを詰め、「つぼ」を回転させながらワタを細く引き出して糸を作る方式である。手紡ぎに近い素朴な風合いの糸ができる。

機械の回転には水車が利用された。岡崎周辺は、三河木綿の産地なので原料が入手しやすい。また、乙川・男川・青木川など、大型の水車を動かすのに十分な水量をもつ川も立地に好条件であった。川沿いに紡績工場が建ち並んでいたが、明治中ごろをピークに近代的な機械に圧迫され衰退してしまった。
乙川の北を流れる青木川流域にも、ガラ紡績の工場が建ち並んでいた。水車をもつ粗壁の建物が多かったが、今はほとんど見ることができない。ただ、鬼祭りで知られる名刹「滝山寺」の前面に、取水のための三段の堰堤が残されるのみである。機械を回すガラガラという騒音は、昔話になってしまった。

かつて岡崎は、「ガラ紡績」の盛んなところであった。ガラ紡績とは、明治の初めに我が国で発明された機械による紡績技術である。「つぼ」と呼ばれる円筒形の容器にワタを詰め、「つぼ」を回転させながらワタを細く引き出して糸を作る方式である。手紡ぎに近い素朴な風合いの糸ができる。

機械の回転には水車が利用された。岡崎周辺は、三河木綿の産地なので原料が入手しやすい。また、乙川・男川・青木川など、大型の水車を動かすのに十分な水量をもつ川も立地に好条件であった。川沿いに紡績工場が建ち並んでいたが、明治中ごろをピークに近代的な機械に圧迫され衰退してしまった。
乙川の北を流れる青木川流域にも、ガラ紡績の工場が建ち並んでいた。水車をもつ粗壁の建物が多かったが、今はほとんど見ることができない。ただ、鬼祭りで知られる名刹「滝山寺」の前面に、取水のための三段の堰堤が残されるのみである。機械を回すガラガラという騒音は、昔話になってしまった。
