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木曽川の橋3本

 木曽川の流れは、三派川地区を過ぎると急に川幅が狭くなる。ここには道路や鉄道の橋が集中している。県道14号(岐阜街道)の「木曽川橋」、名鉄本線、JR東海道本線にそれぞれ架かる「木曽川橋梁」である。また、新しい国道22号(名岐バイパス)の橋も架かっている。
 「木曽川橋」(上の写真)は昭和12年に開通、“下路ブレースドリブタイドアーチ橋”で橋長462m、幅員9mである。昭和39年(1964)に歩道が添架された。歴史的に見ると、渡し船(宝江の渡し)に代って「舟橋」が出来たのが明治11年、明治43年には「木鉄混合」の“下路ポニーダブルワーレントラス橋”が架けられた。

木曽川3本の橋G

 名鉄名古屋本線の「木曽川橋梁」(中)は、鉄錆色に塗られているためか古めかしく見える。“下路曲弦ワーレントラス橋”で長さ485m、複線式である。名古屋鉄道が昭和9年に合併した美濃電気軌道から引き継いだため、橋梁の前後が曲線になっており名古屋本線高速化のネックになっているという。
 JR東海道本線の「木曽川橋梁」(下の写真)は、名鉄と違って上り線と下り線が分かれて2本の橋梁になっている。当初に架けられたのは明治20年。単線であったが明治42年に、下流にもう1本下り線が追加された。その後老朽化のための架け替えが行われ、現在のものは上り線が昭和46年、下り線は昭和33年に架けられたものである。いずれも長さ約620m、9連のトラス橋である。

季節通信166ユズリハ



138タワーパークと渡橋

 国営木曽三川公園は、計画面積6100haという日本一広い公園である。木曽川・長良川・揖斐川が有する広大なオープンスペースと自然景観、歴史・文化を活用する公園である。展望塔や輪中の家、チューリップで名高い「中央水郷地区」、七里の渡しのある「河口地区」、そして138タワーのある「三派川地区」の3地区に分かれている。
 木曽川が、本流・南派川・北派川の3本に分かれる三派川地区には、岐阜県側には淡水魚水族館「アクア・トトぎふ」があり、愛知県側・一宮には「ツインアーチ138」がある。放物線2本を組み合わせた展望塔は、一宮(いちのみや)の語呂に合わせて138mの高さがある。

138タワーG

 地上100mの位置にある展望台からの眺めは素晴らしい。遮るもののない360度の視界は、真下の川島町や木曽川の上流・下流の様子が一目で分かる。南北には、名古屋方面の尾張平野や岐阜方面の美濃平野が手に取るように見える。公園は芝生広場やバラ園、遊具、レストランなどで構成されていて、大人から子供まで楽しむことができる。
 眼下に県道150号が走っていて、南派川に「渡橋」が架かっている。このブログでは、これまでに約100か所の橋をご紹介してきたが、この角度から見た写真は初めてである。長さ256m、幅員6m、昭和39年(1964)に完成したトラス橋である。側道橋は幅3mの歩道、平成18年(2006)に完成した。

季節通信169チューリップ

河田橋(こうだばし)

 愛知県一宮市の浅井町河田と岐阜県各務原市川島河田町は、安土桃山時代の大洪水により木曽川の流れが変わるまでは同じ一つの村であった。今は、南派川を挟んで左岸と右岸に分かれている。これを繋ぐのが「河田橋」である。“こうだばし”と読む。(前回のマップ参照)
 車道と歩道の2本が並んでいる。長さはどちらも約260m。車道の幅員は6m、昭和33年(1958)に開通した。歩道は幅員2.25m、少し遅れて昭和49年(1974)に追加された。鮮やかな青色に塗装され、遠景の「138タワー」や「伊吹山」「養老山系」とともに美しい景観をつくっている。

河田橋G

 元々この地点には、「河田渡船」という渡し船が連絡していた。しかし、洪水などにより度々欠航となるので、大正11年になって初代の河田橋(木製、長さ約140m、幅3.6m)が架けられた。昭和になり交通量も増えたため2代目(木製、長さ200m、幅3m)に架け替えられたが、洪水のため破損や流失が起こったので、鋼鉄製の現在の橋に架け替えられたのである。
 型式は「ワーレントラス」、橋の側面に建設などの履歴を記したプレートが取り付けられていて車道、歩道それぞれの完成年月日を知ることができる。また、塗装に関する「仕様」も明記してあった。

季節通信187イタドリ


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宮田導水路

 宮田用水は、「宮田導水路」とも呼ぶ。木曽川からの取水口をもち、他の用水に水を導く役目をもっているからである。大江用水は「大江川」とも言う。この用水の歴史はさらに古く、平安時代(794~1185)に遡ることができる。
 長保3年(1001)尾張の国司大江氏(百人一首でも名高い「赤染衛門」の夫)が江南の宮田から水を引き込み、一宮・稲沢を南下したのち蟹江川となって伊勢湾に注ぐ、長大な用水路を造ったという。江戸時代には普通の川と思われ、「大江川」と呼んでいたのであろう。

宮田導水路マップ

 宮田の辺りは木曽川が膨らんで、まるで蛇が獲物を飲み込んだような形をしている。木曽川本流と南派川の間に広大な中洲があり、川島町と呼ばれている。この複雑な地形が尾張平野西部の農耕地にとって重要な水源であり続けているのである。
 宮田西閘門と南派川との間に宮田導水路の開渠があり、4門の水門(ゲート)があった。ここから大江用水へと導かれていく(暗渠)。導水路に沿って進むと、堤防のところにもうひとつ水門があった。これは取水でなく、余剰水を河川側に排水する施設である。常時は開いていて、洪水時に閉鎖される。

宮田導水路G

季節通信188ひまわり

宮田用水と宮田西閘門

 木曽川の御囲堤については、先回の「入鹿池」の項で少し触れた。御囲堤の整備は、洪水を防ぐだけでなく、家康にとっては大坂方からの防御や木曽山からの木材運搬のためでもあったらしい。堤防が出来たため、大雨時などの氾濫は防げるようになったが、田畑への灌漑はできなくなってしまった。
 そのため、従来の支流に代る「用水」を整備する必要があった。まず東西に走る「宮田用水」ができ、そこから南へ流れる「大江用水」や「般若用水」、「奥村用水」が開削された。
 木曽三川や用水、輪中の様子を一枚にまとめてみた。これは独立行政法人「水資源機構」のホームページに掲載されている3枚の地図を重ね合わせたものである。(なかなかの労作!?)

水路網G 修正

 用水への「取水口(杁)」は、洪水などにより土砂が堆積すると使用できなくなる。宮田用水への取水口は当初、一宮市の「大野杁」(現在は極楽寺公園あたり)であったが、江南市の「宮田西元杁」、「宮田東元杁」に移り、さらに上流の「鹿ノ島杁」へと移った。最終的には、犬山市の「犬山頭首工」が昭和37年(1962)に完成して今に至っている。(2021・11・17「犬山頭首工」参照)
 「宮田杁」の近く、「宮田用水」から「大江用水」へと注ぐ所に「宮田西閘門」がある。船を上下させて進ませる装置である(2013・3・13の「松重黄門」参照)。今は、用水が暗渠化されたため水面はなく、閘門を構成していた石積みと橋だけが残っている。石積みは「長七たたき(人造石工法)」で出来ている。橋の親柱に「宮田西閘門」「明治三十四年改築」の文字が刻んであった。

宮田杁G

季節通信186桜の花びら


犬山浄水場と小野洞砂防公園

 名鉄・犬山遊園駅から東へ2kmほど行った山中に「犬山浄水場」がある。岩屋ダムを水源とし、木曽川の表流水を直接取水する。昭和49年から操業を始めた後、順次拡張をして現在では時間当たり約35万トンの給水を行っている。これは県営浄水場としては最大の量である。
 浄水場の隣にユニークな公園があった。「小野洞(おのぼら)砂防公園」という県営公園である。中央に水の流れがあり、洪水を防ぐための砂防堰堤や法面保護などの施設を展示して、砂防への理解を深めてもらおうとの公園である。管理は河川担当者が行っている。

犬山砂防公園G

 県営公園の隣に犬山市の運営する「ひばりヶ丘公園」がある。このあたり一帯には多くの小鳥が生息していて「野鳥観察スポット」になっている。雑木林にはソヨゴやガマズミ、アズキナシといった赤い実のなる木が生育している。メジロの好むウメの花も咲いていた。
 2つの公園は歩道橋で結ばれていた。「木精橋」と呼び、米松の集成材でできたトラス橋であった。しかし、完成から25年を経た昨年、老朽化のため残念ながら撤去されてしまった。現地にはコンクリート製の橋台と、山のように積まれた残材が残っていた。

入鹿水路橋(愛知用水)

 愛知用水は、岐阜県加茂郡の木曽川から取水して知多半島南端に至る、全長112kmの用水路である。尾張東部から知多半島の丘陵地を流れて、溜池しか頼れなかった広大な農地を潤している。その中間地点の東郷町に、調整池としての「あいち池」があることは平成26年(2014)2月21日にご紹介した。
 取水地から20km地点に「いるか池」がある。入鹿池の堤防近くに「水路橋」があるというので訪ねてみた。初めは、入鹿池に愛知用水が注いでいるのか?とか、水路橋は入鹿池からの水か?とか思ったけれど、愛知用水と入鹿池は全く無縁であった。愛知用水が入鹿池近くを通過するのみであることが分かった。

入鹿水路橋G

 この水路橋も、愛知用水完成の昭和36年(1961)年に完成しているので、昨年「通水60周年」を迎えている。当初の構造は鉄筋コンクリートのアーチ橋と思われるが、現在は鋼板で補強されている。これは、愛知用水第二期工事により水量が増えたため、あるいは耐震性を高めるための改築であろう。

季節通信182サンシュユ

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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