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小冊子『なごやの緑』

 昭和40年代になると、「大気汚染」や「コンクリート・ジャングル」のアンチテーゼとして、「都市の緑化」が叫ばれるようになった。名古屋市では、市民局に「緑化対策課」を設置して、積極的にこの施策に対応することとなる。後に土木局の緑地課と統合されて「緑政局」へと発展する部局である。
 昭和48年(1973)に小冊子『なごやの緑』が発刊される。中日新聞の名古屋市民版に連載されていた「緑」と「名木」をまとめたもので、「緑のガイドブック」とも言える資料である。50年も経過して、保存している人も少ないものと考えられるので、ここにその一部をご紹介する。

なごやの緑G

表紙及び本山市長の巻頭言、そして「名木」の中から「椙山女学園のカシワ」(筆者の執筆)である。

なごやの緑H




弥富の六門樋門

 木曽三川の氾濫に対してこの地域の人たちは、堤防で住居や田畑を囲う「輪中」という方法で防衛してきた。そのために、水を引き入れる「用水杁」と、流し出す「排水杁」という水門を造る必要があった。このことは、2020年8月21日の「立田輪中悪水樋門」のところで説明した。
 その近くに、筏川を堰き止める「六門樋門」があるのを知り取材した。「筏川」とは、江戸時代に木曽桧を筏に組んで流していたところからの命名である。明治35年(1902)に立田輪中の悪水を鍋田川に排出する目的で「悪水樋門」を築造したが、ほとんど排水出来ないことが判明した。

弥富G

 そこで、廃川となっていた筏川に悪水を排出することとなり、明治39年に筏川に接するところに「六門樋門」が築造された。かつては階段を降りたところに狭い橋(足場)があり、堰き止める板を人力で運んだのであろう。現在は樋門の上が、弥富市総合体育館へ渡る「六門橋」として利用されている。
 木曽川から入り組んだところにプレジャーボートの繋留場があり、現代版のゲートがある。船溜まりに流れ込む水路には、古くてすでに廃止となっている水門が残っている。水を制御しなければ安全を保てない土地柄である。近くに「水郷公園」があり、丘の上に伊勢湾台風の記念碑が築かれていた。

弥富マップ

季節通信192「龍舌蘭の花」

 天白区・鴻の巣(植田駅の北 牧野が池緑地の西)に「カトニー(C0TT0NY)」というカフェ・レストランがある。その庭園に、珍しいリュウゼツラン(龍舌蘭=アガベ)の花が咲いたという。テレビのニュースで流していた。
 早速、ランチがてら訪れてみる。カメラ(望遠レンズも)を持って。大正ロマン?といった風情の建物の前に10数台可能な駐車場があり、入り口ゲートをくぐる辺りに高々と聳える花茎があった。道路からもよく見えるので、テレビを見た人か?、スピードを緩めて眺めていく。

 店内の窓際の席は、二階までの吹き抜けになっていて、大きな一枚ガラスの窓が嵌っている。その窓枠が「額縁」になって、まるで絵画を観るようにアガベの全体像が見える。お店全体が「お洒落」な造りになっているが、建築家・造園家はここまで配慮したのだろうか?
 リュウゼツランは、メキシコなどに自生する多肉植物。大きな舌状の葉の縁にトゲがあって、まるで龍の舌のようなので龍舌蘭と呼ぶ。30~50年に1回花を咲かせ、株は枯れてしまう。この店では20年ほど前に植えたという。2階や3階の窓からも撮影させてくれたので、花の写真もゲットできた。

龍舌蘭

蟹江の佐屋川創郷公園

 日光川は、江南に端を発して伊勢湾に注ぐ二級河川である。全長41km、流域面積は約300km2にもおよぶ。もともと、木曽川の運んだ土砂が堆積してできた沖積平野である。海抜は低く、伊勢湾台風で大きな浸水被害の起きた地域である。
 蟹江駅の近くに、日光川に絡みつくように蛇行する佐屋川が流れている。西側の部分は大膳川、川とは呼ぶが半月形の池である。ここはウォーターパークという公園で野球場が3面整備されている。東側の「佐屋川創郷公園」とは「サンサンブリッジ」で連結されている。

蟹江マップ

 「創郷公園」は「総合公園」も意識しているのだろうか。蟹江の中心的施設が集まっている。子どもの森や花菖蒲園、水郷地帯の水車をイメージしたモニュメントもある。河川や田園を見渡せる展望台や、広い駐車場をもつ「蟹江図書館」もある。
 この辺りは、交通の要衝にもなっている。北から名神高速道路、JR関西線、近鉄本線、国道1号線が集まっている。サンサンブリッジを渡っていると、その下を船がくぐっていった。浚渫した土砂を運搬する船のように見えた。

蟹江G

季節通信184シダ


中川橋と日光川水閘門

 中川橋は、2018年5月9日にご報告した。この時はまだ建設途中であったが、現在は完成しているので再度取材した。この橋は、国道23号が分岐して金城ふ頭へ向かう道路が中川運河を渡る橋である。長さ48mのアーチ橋である。
 昭和5年(1930)に完成しており、名古屋市内では最も古い「鋼鉄製アーチ橋」である。90年近く経過して老朽化が著しかったので、架替えが検討されたが、「景観的にも歴史的にも貴重である」として車線を増やして再利用することとなった。いろいろな角度から写した橋の姿を見ていただきたい。

日光川マップ

 日光川水閘門も、平成30年(2018)年に移転再整備が完成した。この地域は全国でも最大の「海抜ゼロメートル」地域であり、この水門は防災の要になっている。「水閘門」という意味が分からなかったが、現地を見て「水門」と「閘門」であることが分かった。閘門は船が通過するゲートである。
 旧水閘門の運用開始は昭和37年(1962)である。伊勢湾台風による災害の3年後に完成した。運用から60年近く経って老朽化したことと、巨大地震による津波が懸念されることから改築が進められたのである。少し上流で、古い水閘門の撤去工事が行われていた。(下右の写真)

日光川G

季節通信191ヤマユリ

亀類繁殖研究施設

 ポートブリッジを渡って右に曲がると水族館へ行くが、左側(海側)は注目したことがなかった。ふと見ると、こじんまりした建物がある。近寄って表札を見ると「亀類繁殖研究施設」とある。“ヘェーこんな施設があるんだ”と思いながら中に入ってみる。自由に入れて、誰もいない。
 室内には、丸や四角の水槽が並んでいる。「人工ふ化場」「子ガメ飼育水槽」には、産まれたばかりの子亀がたくさん群れている。アオウミガメやアカウミガメと表示のある水槽には、比較的大きな亀が泳いでいた。ろ過槽室や機械室などもある。

ウミガメG

 カメの仲間は、世界で257種ほどが知られている。その中で海ガメ類は、わずかに8種類しかいないという。しかも、ほとんどの種が次第に生息数を減らしている。その原因は、食用にされたり、繁殖場の海浜の環境が悪くなるなど人為によるものである。
 この研究施設は、海ガメを中心とした種の保存研究を行う、日本初のユニークな施設である。世界の国々からの研究者も受け入れ、様々な研究が行われている。一般の人の理解を喚起するためにも、もう少し存在をアピール(案内看板など)したら良いのにと感じた。

ウミガメH

季節通信181チカラシバ





名古屋港ポートビルとポートブリッジ

 名古屋港の中心・ガーデンふ頭に、ひときわ異彩を放つビルがある。まるで海に浮かぶ白い帆船のような形をしている。「名古屋港ポートビル」と呼ぶ。名古屋港の陸からも海からも眺めることができ、ランドマークの役割を果たしている。
 昭和59年(1984)年に開館した高さ63mの高層ビルである。内部には管理事務所・会議室やレストランがある。3階と4階は「海洋博物館」、最上階の7階は展望室になっている。このユニークな建築デザインは、「都市景観賞」や「中部建築賞」を受賞している。

ポートビル マップ

 水面を挟んだ西側に「名古屋港水族館」がある。東側の「ポートビル」と結ぶ歩道橋を「ポートブリッジ」という。全長180m、ホップ・ステップ・ジャンプをするように5つのアーチが橋を跨いでいる。水族館への期待感が躍動するような演出である。
 橋の両側にも、港ならではの景色を見ることができる。南側にはボートの船着き場があり、名古屋港周遊の船やブルーボネット行きの水上バスの発着所となっている。北側には、現役を引退した「南極観測船ふじ」が係留されている。「南極の博物館」として余生を送っている。

ポートビルG



名古屋港の人造石護岸

 50年前、植物園の日本庭園を設計している時には、トレーシング・ペーパーに鉛筆で図を書いていた。ゼロックスもなく、青色のコピー機の時代である。久しぶりに、図面をトレース(原図の上に薄紙を当てて写すこと)した。引き出しの奥から「オストリッジ・ペーパー」(懐かしい)を探し出して!!
 名古屋港の名港管理組合の入り口に、「人造石」の発掘展示があり、その説明版に古い護岸の断面図が添付されている。写真を撮ってきたのでブログに掲載しようと考えたが、汚れもあってハッキリ見ることができないのである。そこで、昔の腕を揮ってトレース作業に挑んだという次第である。

人造石G

 この人造石の野外展示は、建設工事にともない掘削現場から出土したものの一部である。旧2号地(現ガーデンふ頭)の両側護岸として明治36年(1903)に建設されたという。断片ではあるが、今も石との接着はビクともしていない。
 「人造石」は、石灰と種土(花崗岩の風化した土)に水を加えて練り、叩き固めたものである。碧南の服部長七が考案したことから、「長七たたき」とも呼ばれる。貴重な土木遺産であるので、このブログに何度も登場している。例えば、四日市旧港の「潮吹き防波堤」(2013・7・2)や瑞浪市の「牛牧閘門」(2021・12・23)などである。今も現役で使用されている。

人造石H

季節通信185ホウチャクソウ




平和橋

 昭和12年(1937)、港区で「名古屋汎太平洋平和博覧会」が開催された。「産業の振興」・「文化の発展」・「平和と親善」を目的とするもので、78日間の期間中に480万人の入場者を得たという。平和橋は、この時に建設されたもので、博覧会の主旨「平和」の文字に因んで名付けられた。
 この年は、東洋一と謳われた名古屋駅の駅舎が完成し、また東山動物園・植物園も開園した年である。100万都市名古屋が目覚ましく発展した時期である。博覧会の会場は都心から離れた場所であったので、市電が延伸整備された。平和橋の幅員が非常に広いのは、真ん中を市電が走ったためであろう。

平和橋マップ

 平和橋は、港北運河を跨ぐ橋である。港北運河は、中川運河の支線として開削されたもので、当時は艀(はしけ)による物流が盛んであった。橋のクリアも船舶が通行できる高さだったと思われる。現在は、運河の一部(平和橋の下も含む)は埋め立てられて「港北公園」となっている。
 博覧会会場は、現在「港アクルス」(2019・3・11参照)として再開発されている。住宅ゾーンや商業ゾーンなどがあり、その中心に「ららぽーと」が営業している。ららぽーとの南に「水上バス」の船着き場がある。港北運河・中川運河や名古屋港を運行する船である。

平和橋G

季節通信174ラムズイアー



ちょっと一休み(私ごとですが)

 名古屋市に就職して(東山植物園に勤務)、最初のボーナスで一眼レフのカメラを買いました。憧れのペンタックス。担当が野外植物の管理、日本庭園整備の設計も任されました。趣味と実益を兼ねて、野山を歩いて山野草の写真を撮りました。
 リバーサルフィルムで、一番色が良く、長く傷まない「コダックのエクタクローム」を使いました。大事に「お茶箱」にしまってきましたので、50年経った今も、まだ何とか色が残っています。保存している
800種類の中から自慢の4枚を掲載します。

山草4枚

①ツリフネソウ・・・北アルプス登山の帰り道、徳本峠で初めて見付けました。その奇妙な形と美しさに
 感動しました。
②ツチアケビ(別名:ヤマノカミノシャクジョウ)・・・稲武で出会ったときに、奇妙すぎて何の仲間かも
 分からない。牧野図鑑を1ページ目からめくって調べました。運の悪いことに「ラン科」、889ページ
 目(905ページ中)でした。(徹夜)
③イタチササゲ・・・美しい構図を目指しますが、その植物の特色を写しこむように努めます。この写真
 はベスト。花も実も、複葉の先端のヒゲまで写し込むことができました。
④ママコナ・・・ピンク色で可愛らしい花です。下の花弁に米粒のような2つの模様があるので「ままこ
 菜」と言います。このとき見つけただけで、その後一度も出会っていません。まさに、一期一会です。

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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