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飛騨川の上麻生堰堤と白川橋

 飛騨川を遡ってみた。国道41号である。狭い谷あいなので、JR高山線も川沿いに走っている。白川口駅近くに「上麻生発電所取水堰堤」がある。大正15年(1926)に完成、右岸に魚道、左岸には流木路(丸太を川に流して運ぶ時代の遺物?)がある。平成30年に土木学会選奨土木遺産に認定された。
 特色は「鋼ドラムのローリング・ゲート」(黄色の矢印)、我が国では数例しかない希少な形式である。しかも、現存するものとしては最古であるという。第一次世界大戦後、電力需要が増大し飛騨川も電源開発が進められた。手掛けたのは「岐阜電力」(後に東邦電力と合併)、七宗発電所と金山発電所の3つを完成させた。

上麻生ダムG

 上麻生のダムの少し上流に「白川橋」がある。現存する吊り橋としては非常に珍しい鋼製である。構造は鋼補剛トラスによる3径間2ヒンジ、主塔も鋼トラスである。完成したのは、ダムと同じ大正15年、ダムの運営に必要な交通路だったのだろうか。
 橋の長さは約116m、幅員は3.6m、開通当初の床は木製であった。昭和35年までは国道41号の路線だったが、500m下流に飛泉橋が完成し、そちらが国道となったので、こちらはそれ以来歩行者・自転車専用となっている。平成18年には土木学会選奨土木遺産に、平成25年からは登録有形文化財に指定されている。 

上麻生ダムマップ

季節通信193ヒガンバナ


佐屋街道・尾頭橋と八熊線・住吉橋

 金山駅の西南、国道19号の交差点に古色を帯びた道標が立っている。「西左:なごや道」「西右:宮海道」「南左:さや海道 つしま道」と刻まれている。江戸時代の重要な道案内である。「海道」とあるのは、「宮」「さや」から、それぞれ舟での旅となるからであろう。
 東海道は「宮宿」(熱田)から「桑名宿」まで海上の舟旅となる。「七里の渡し」という。船旅を避けたい人のために陸路の迂回路があった。「佐屋街道」あるいは「姫街道」という。堀川を「尾頭橋」で、庄内川を「万場」で渡る。佐屋宿から川舟に乗って3里下って「桑名宿」に至る。

佐屋街道G
佐屋街道H

 佐屋街道の南に八熊通りが走っている。現在はこちらの方が発展していて道幅も広い。堀川に架かる橋も堂々としている。「住吉橋」という。江戸時代の七橋には含まれていない。八熊通りは国道29号・名古屋―弥富線の、名古屋市内の名称である。かつて存在した八熊村の名称を引き継いだものであろう。
 交通量が増えて道路拡幅を考えたとき、既存の街道には商店や民家が建て並んでいて移転は難しい。近くにバイパスとして新しい道路を造るのが常套である。八熊通りが堀川と交差するのが「住吉橋」である。型式は名古屋市内では珍しい「ラーメン橋台橋」、3連アーチの美しい外観が特徴である。このデザインは、関東大震災の復興橋梁として都市河川に多く採用されたものという。

佐屋愛道I

桜橋と伝馬橋

 江戸時代、東西の主要道路は広小路か伝馬町であり、菅原町という細い通り(今は桜通り)には橋がなく、中橋か伝馬橋へ迂回するしかなかった。昭和12年に名古屋汎太平洋博覧会が開催されるに当たって、名古屋駅が笹島から北へ移転した。その正面から東へ伸びる道路として整備されたのが桜通りであり、堀川に架かる橋が「桜橋」である。

桜橋G

 「伝馬」とは、宿場をつなぐ馬のことである。飯田街道は泥江が起点で、伝馬町を通って八事へ向い、足助・稲武を経て信州・飯田までつながっている。美濃路は熱田から発し、本町通りを伝馬町筋で西に曲がって泥江から北上する。
 泥江の交差点は7本の道の出入り口で、戦前までは信号のないロータリー(今で言うラウンドアバウト)であった。現在の名古屋駅のあたりに馬車屋があり、馬がたくさん居たという。堀川の船便や鉄道輸送もあり、物流の中心地であった。
 「伝馬橋」も五条橋と同じで、清洲越しで運ばれた。当時は、長さ11間5尺(約22m)の板橋で、高欄には擬宝珠が付いていた。現在のものは大正9年(1920)に架け替えられた。単純RCアーチ橋としては、中部地方では最古期のものである。橋の畔には材木商などが集まっていた。現在は街園になっている。
 
伝馬橋G

五条橋と中橋

 堀川は、慶長15年(1610)に名古屋城築城のために開削された。港から、石材や木材が舟によって運搬された。堀川には、江戸時代に7本の橋が架けられたという。上流から、五条橋・中橋・伝馬橋・納屋橋・日置橋・古渡橋・尾頭橋である。
 「五条橋」は、清州の五条川に因んだ橋である。清洲越しのときに移設したという。五条橋を渡ると円頓寺商店街に至る。橋から2番目の角を曲がると「四間道」である。堀川・土蔵・広い道によって、西からの火災から「お城」を守るための防火帯である。今の橋は、昭和13年竣工である。

五条橋マップ

 次の橋は、五条橋と伝馬橋の間にあるので「中橋」と名付けられた。現在の橋は、大正6年(1917)に架けられたものである。日本に現存する道路用鋼桁橋としては、4番目に古い橋である。石造りの親柱に「なかはし」「大正六年九月」と刻まれている。
 石積みの橋台、鋼製の橋脚ともに大正期のオリジナルである。橋脚は、たいへん華奢な構造である。溝型鋼が小鉄板とリベットで縫い合わされたもので、鉄道の橋梁などには見られるが、川の橋としてはとても珍しいという。

中橋H

瀬戸電(お堀電車)

 外堀の最も西南、堀川・景雲橋の近くに土塁の断面がはっきり見える場所がある。御園橋から100mほど歩いたところである。ここに、かつて瀬戸電の終点「堀川駅」があった。現在は、名城公園の一部であり、綺麗に草刈りがしてある。
 瀬戸電(現在は名鉄瀬戸線)は、明治38年(1905)に瀬戸駅から矢田駅までの区間が開通した。瀬戸で作られた焼き物の輸送をするためである。翌年大曽根駅まで延伸され、さらに明治44年に堀川の水運を利用するために、この地まで整備されたのである。

瀬戸電マップ

 土塁の脇に説明看板があり、平面図と2枚の古い写真が掲載されている。1枚は堀川駅の駅舎と電車が写っており、もう1枚は瀬戸物を船に積み込む様子が見てとれる。当時焼き物は、輸出品の花形であり、ここから堀川を下って名古屋港まで運ばれたのである。
 時代が変わって、水運からトラック輸送が主流となった昭和53年、瀬戸線はコースを変えて栄町駅に乗り入れることとなった。東大手駅からは地下トンネルとなり、堀川駅までは廃止となった。全国的にも珍しいお堀の中を走る電車「お堀電車」は、見られなくなってしまった。

瀬戸電G

外堀の御園橋と県立図書館

 かつて栄に「県立図書館」があった。現在の「オアシス21」の場所である。高校生や受験生の「勉強室」があり、多くの若者が足繁く利用していた。私はあまり使ったことはないが、玄関を入った直ぐのホールに「防人(さきもり)」の木彫があったことを覚えている。今どこにあるのだろう?
 平成4年(1992)、隣の「旧栄公園」内に「愛知県芸術文化センター」が整備された。それに伴い、「愛知県文化会館」はその役目を終える。「美術館」と「ホール」は、拡張されて芸文センター内に整備されたが、「図書館」は名古屋城内に移転された。三の丸の西北角である。(前回のマップ参照)

御園橋G - コピー

 外堀を渡るのは「御園橋」である。県立図書館は、かつて「御園門」のあった所にある。一階は広いロビーになっていて、喫茶コーナーで買ったコーヒーを飲みながら閲覧することもできる。大きなガラス窓から、間近に迫る土塁の巨木が目に入ってくる。栄のときとは一味違う読書室である。
 御園橋は、明治44年(1911)に完成したが、今のような欄干に修景されたのは平成2年のことである。市内唯一の明治期の鋼橋(単純鈑桁)で、リベット仕上げの橋としては我が国でも最古級といえる。かつては橋の下を瀬戸電が走っていた。
 石垣の角に文化財の説明版が立っている。この地が「大原幽学」の生誕地であるという。幽学は江戸時代後期の農政学者、農民指導者。下総国香取郡長部村(現在の千葉県旭市)を拠点に、天保9年(1838年)に「先祖株組合」という農業協同組合を創設した。世界で初の試みという。

御園橋H - コピー

外堀の本町橋

 現在の名古屋都心・南北のメイン・ストリートは大津通りだが、江戸時代は「本町筋」だった。本丸の正門を出て、侍町である三の丸を南へ進むと「本町門」に至る。門を出て外堀に架かる橋が「本町橋」である。そこから南に下る、大須を経て熱田へ向かう中央道であった。
 大津橋のところの石垣を見ると、道路拡幅のために石垣の改造が行われている。しかし、本町橋のたもとの石垣は隅石もあって昔のとおりに残されている。幅員は4間、碁盤割りの道路幅3間より広くなっていた。現在は、護国神社近くの交通量の少ない道である。

御園橋マップ

 江戸時代は木製の土橋であったと思われるが、今は鉄筋コンクリート製、下部は煉瓦アーチである。明治44年(1911)に架け替えられた。親柱に「本町橋」「明治四十四年七月」と刻まれている。土塁の大木や外堀通りの街路樹が繁っていて、夏の取材だったけれど暑さを感じなかった。
 北東側の樹林の中に踏み分け道があって、辿っていくと石碑が立っている。御影石のレリーフに、馬と犬と鳩の絵が描かれている。「軍馬」「軍犬」「軍鳩」(伝書鳩?)の文字も記されていて、戦争で命を落とした動物の慰霊碑であることが分かる。

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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