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三河大野駅と大野橋
JR飯田線・三河大野駅は不思議な構造をしている。駅舎の改札(無人)を通るとすぐにトンネルがあり、線路の下を潜って階段を登り、1面2線のプラットホームに出る。駅舎は平成8年に改築した比較的新しい建物で、丸太を横積みにしたログハウスのような構造である。
開業したのは大正12年、鳳来寺鉄道の延伸に伴うものである。昭和18年(1943)には国有化し、国鉄飯田線の駅となった。御多分に漏れず、鉄道は家の立ち並ぶ「宿場」を避けて宇連川の対岸に敷設されている。宿場町に行くには橋を渡る必要があり、駅のすぐ前に「大野橋」が架かっている。

駅開設時には、既設の橋爪橋(初代大野橋)という吊り橋があった。別所街道と宿場を結ぶ橋である。鉄道駅の出来た大正13年には、車の通行できる広い幅の吊り橋(2代目)が完成している。現在のものは3代目、昭和32年(1957)に架けられた鉄橋である。
車で走っていると平凡に見えるが、下から見るとトラスに組んだ鉄骨の構造に驚いてしまう。リベットにより複雑に組み合わされていて、厚さは10mを越えるものと思われる。大野橋に併行してもう1本の橋がある。これは「専用橋」といい、日本電信電話公社が昭和48年に架設したものである。

開業したのは大正12年、鳳来寺鉄道の延伸に伴うものである。昭和18年(1943)には国有化し、国鉄飯田線の駅となった。御多分に漏れず、鉄道は家の立ち並ぶ「宿場」を避けて宇連川の対岸に敷設されている。宿場町に行くには橋を渡る必要があり、駅のすぐ前に「大野橋」が架かっている。

駅開設時には、既設の橋爪橋(初代大野橋)という吊り橋があった。別所街道と宿場を結ぶ橋である。鉄道駅の出来た大正13年には、車の通行できる広い幅の吊り橋(2代目)が完成している。現在のものは3代目、昭和32年(1957)に架けられた鉄橋である。
車で走っていると平凡に見えるが、下から見るとトラスに組んだ鉄骨の構造に驚いてしまう。リベットにより複雑に組み合わされていて、厚さは10mを越えるものと思われる。大野橋に併行してもう1本の橋がある。これは「専用橋」といい、日本電信電話公社が昭和48年に架設したものである。

旧大野銀行本店と土蔵
江戸時代、信仰と遊山を兼ねた「講」という団体旅行が流行した。大野は、鳳来寺への「鳳来寺道」と秋葉山参りの「秋葉街道」の交差する宿場町として繁栄した。明治になると、豊橋と別所(今の東栄町)を結ぶ「別所街道」が開通し、大正12年には鳳来寺鉄道の「三河大野駅」も開設された。
このように交通の要衝であるとともに、当時は林業・蚕産・製糸業などの隆盛もあり、大野は経済・運輸の中心地になった。「大野銀行」はそうした時代の要請を受けて、地元の素封家たちにより設立された。大正14年(1925)のことである。

その後、東海銀行との合併や信用金庫への改変などの歴史を経て、平成18年(2006)に銀行としての役目を終える。現在は「美術珈琲(カフェ)・鳳来館」として親しまれている。銀行時代の内装を巧みに利用しながら、竹久夢二の作品などレトロな美術品の展示を行っている。
北隣には古風な土蔵が別館ギャラリーとして利用されている。元々は、商家のお蔵として明治中ごろに建てられたが、隣接して大野銀行ができてからは銀行の書類倉庫として使用された。東隣に接して、緑色の瓦屋根を持つ個性的な建物がある。銀行との関係は不明であるが、現在は「和風仕出し・若松屋」として営業している。

このように交通の要衝であるとともに、当時は林業・蚕産・製糸業などの隆盛もあり、大野は経済・運輸の中心地になった。「大野銀行」はそうした時代の要請を受けて、地元の素封家たちにより設立された。大正14年(1925)のことである。

その後、東海銀行との合併や信用金庫への改変などの歴史を経て、平成18年(2006)に銀行としての役目を終える。現在は「美術珈琲(カフェ)・鳳来館」として親しまれている。銀行時代の内装を巧みに利用しながら、竹久夢二の作品などレトロな美術品の展示を行っている。
北隣には古風な土蔵が別館ギャラリーとして利用されている。元々は、商家のお蔵として明治中ごろに建てられたが、隣接して大野銀行ができてからは銀行の書類倉庫として使用された。東隣に接して、緑色の瓦屋根を持つ個性的な建物がある。銀行との関係は不明であるが、現在は「和風仕出し・若松屋」として営業している。

岐阜・柳ケ瀬商店街
岐阜駅の北、岐阜公園の西あたりに「柳ケ瀬」と呼ばれる商店街がある。この一帯は明治30年ころから盛り場として出発した。大正期には博覧会ブームの時流に乗って、商業の街としての発展を遂げた。昭和の全盛期には「柳ぶら族」も誕生、美川憲一の「柳ケ瀬ブルース」も大ヒット曲となった。
ところが平成の時代に入り、大きな郊外型のショッピングモールが出来ると、客足の途絶えた柳ケ瀬の大型店舗は次々に徹底してしまった。しかもその跡地は長年放置されるという状態が続いてきた。個人店舗も閉鎖して、「シャッター街」と呼ばれるまでになってしまった。

先日「大ナゴヤ大学」のイベントで、「柳ケ瀬のまち歩き」に参加した。なんと商店街が以前のように賑わいを見せているではないか。「柳ケ瀬日常ニナーレ」という活動が行われているのである。10年ほど前から、ここに移り住んだ建築家などが始めた「リノベーションまちづくり」の一環である。
柳ケ瀬地区とは300m四方のエリアを指し、12の商店通りで構成されている。再生気運の中で、約150店もの新規出店があったという。大店舗も復活している。ちょうどこの日は、月2回の「SAUDAY BUILDING MARKET」の日で、通路に露店が立ち並んでいた。音楽などのストリート・パフォーマンスも行われていた。
ところが平成の時代に入り、大きな郊外型のショッピングモールが出来ると、客足の途絶えた柳ケ瀬の大型店舗は次々に徹底してしまった。しかもその跡地は長年放置されるという状態が続いてきた。個人店舗も閉鎖して、「シャッター街」と呼ばれるまでになってしまった。

先日「大ナゴヤ大学」のイベントで、「柳ケ瀬のまち歩き」に参加した。なんと商店街が以前のように賑わいを見せているではないか。「柳ケ瀬日常ニナーレ」という活動が行われているのである。10年ほど前から、ここに移り住んだ建築家などが始めた「リノベーションまちづくり」の一環である。
柳ケ瀬地区とは300m四方のエリアを指し、12の商店通りで構成されている。再生気運の中で、約150店もの新規出店があったという。大店舗も復活している。ちょうどこの日は、月2回の「SAUDAY BUILDING MARKET」の日で、通路に露店が立ち並んでいた。音楽などのストリート・パフォーマンスも行われていた。
峰之澤橋と「渡らずの鉄橋」
秋葉ダムが堰き止める水面は約190ha、「秋葉湖」と呼ぶ。水が綺麗なのでアユ漁が盛ん。友釣りを楽しむ人も多い。国道152号沿いにソメイヨシノが植えられていて(10kmに1000本)、開花時には「千本桜祭り」とともに「秋葉ダムさくらマラソン」も開催される。
秋葉湖の両岸を航空写真で見ると、ほとんど山林で町はない。しかし、所々に「ポツンと一軒家」ではないが、小さな集落が散在している。秋葉湖の中ほどに、人の歩ける吊り橋がある。「峰之澤橋」という。長さ157m、昭和32年(1957)に完成した。集落と国道とをむすんでいるのだろう。

飯田線は不思議なルートを通る。愛知県では、天竜川支流の「相川」を斜めに北上するが、中部天竜駅辺りからトンネルを潜って、中央構造線の静岡県「水窪川(みさくぼがわ)」沿いに走る。水窪駅を過ぎると、再びトンネルを通って伊那谷・長野県「天竜川」に戻る。
水窪駅の手前に面白い鉄橋がある。「渡らずの鉄橋」と呼ぶ。飯田線のレールは、集落の茶畑を通過すると水窪川に突入するが、対岸に渡ることなく河川敷の途中から元の左岸(写真では右側)に戻るのである。川の中や河川敷に林立するコンクリートの橋脚が、奇妙な光景をつくっている。

秋葉湖の両岸を航空写真で見ると、ほとんど山林で町はない。しかし、所々に「ポツンと一軒家」ではないが、小さな集落が散在している。秋葉湖の中ほどに、人の歩ける吊り橋がある。「峰之澤橋」という。長さ157m、昭和32年(1957)に完成した。集落と国道とをむすんでいるのだろう。

飯田線は不思議なルートを通る。愛知県では、天竜川支流の「相川」を斜めに北上するが、中部天竜駅辺りからトンネルを潜って、中央構造線の静岡県「水窪川(みさくぼがわ)」沿いに走る。水窪駅を過ぎると、再びトンネルを通って伊那谷・長野県「天竜川」に戻る。
水窪駅の手前に面白い鉄橋がある。「渡らずの鉄橋」と呼ぶ。飯田線のレールは、集落の茶畑を通過すると水窪川に突入するが、対岸に渡ることなく河川敷の途中から元の左岸(写真では右側)に戻るのである。川の中や河川敷に林立するコンクリートの橋脚が、奇妙な光景をつくっている。

秋葉ダムと竜山橋
天竜川は急流かつ水量が豊富なので、水力発電の適地として明治のころから注目されていた。大正になると、電力王の名を馳せた福澤桃介が事業に乗り出して、上流から大久保堰堤・南向堰堤・泰阜ダム・平岡ダムの順に建設した。
戦後になって佐久間ダム・秋葉ダム・船明ダムが造られた。船明ダムについては、先々回ご紹介した。秋葉ダムは、佐久間ダムの放流水を調整して下流の水量を平均化する役割をもつ。高さ89m、長さ273m、総貯水量は3500万㎥である。昭和33年(1958)に完成した。

下流の秋葉第一・第二・第三発電所を回して合計12万8千kwを発電する。また、浜松市などへの上水道、三方原台地への灌漑用水としても重要である。「秋葉湖」のほとりに慰霊碑があり花が供えられていた。建設中の昭和30年にダイナマイトが爆発し、19名の尊い命が失われたという。
龍山橋(たつやまばし)は、ダムの直近に架かるつり橋である。長さ約165m、幅員は1.2mの人道橋である。昭和46年(1971)に完成した。対岸にも自然歩道が続いており、観光用・行楽用に使用される。橋の途中から見るダムの放流は圧巻だという。


戦後になって佐久間ダム・秋葉ダム・船明ダムが造られた。船明ダムについては、先々回ご紹介した。秋葉ダムは、佐久間ダムの放流水を調整して下流の水量を平均化する役割をもつ。高さ89m、長さ273m、総貯水量は3500万㎥である。昭和33年(1958)に完成した。

下流の秋葉第一・第二・第三発電所を回して合計12万8千kwを発電する。また、浜松市などへの上水道、三方原台地への灌漑用水としても重要である。「秋葉湖」のほとりに慰霊碑があり花が供えられていた。建設中の昭和30年にダイナマイトが爆発し、19名の尊い命が失われたという。
龍山橋(たつやまばし)は、ダムの直近に架かるつり橋である。長さ約165m、幅員は1.2mの人道橋である。昭和46年(1971)に完成した。対岸にも自然歩道が続いており、観光用・行楽用に使用される。橋の途中から見るダムの放流は圧巻だという。


秋葉橋と気田川橋
秋葉街道は、信州南部と遠州とを結ぶ「信仰の道」です。「秋葉神社」に詣でる人たちが歩きました。また、遠州からは塩、信州からは山の幸が運ばれる道でもありました。北からは、赤石山脈(南アルプス)と伊那山脈の間の険しい道で、途中、青崩峠・地蔵峠・分杭峠などの難所がありました。
秋葉山の麓に「秋葉山本宮・秋葉神社」が鎮座しています。創建は和銅2年(709)と伝えられ、火防・火伏の神さま「秋葉大権現」と称して国中の信仰を集めています。江戸時代には全国に「秋葉講」が結成されて、「秋葉詣」が行われました。今でも台所などにお札を貼る家があります。(我が家にもあります)

秋葉街道から枝分かれして気田川に沿って進む道があります。天竜川を渡る橋が「秋葉橋」、気田川は「気田川橋」を渡ります。いずれも吊り橋ですが、秋葉橋は板張りの人道橋です。長さ210mは天竜川に架かるつり橋としては一番長いものです。主塔はまるで高圧電線の鉄塔のよう、手すりは華奢なネットです。昭和46年に完成しました。
気田川橋は、トラスで補強された鉄橋で車も走ることができます。昭和32年(1957)竣工、長さ約190mです。秋葉山南麓を流れる「気田川」は清流で知られ、地元の人は「日本一きれいな川」と誇っています。鮎釣りやホタルの名所にもなっています。

秋葉山の麓に「秋葉山本宮・秋葉神社」が鎮座しています。創建は和銅2年(709)と伝えられ、火防・火伏の神さま「秋葉大権現」と称して国中の信仰を集めています。江戸時代には全国に「秋葉講」が結成されて、「秋葉詣」が行われました。今でも台所などにお札を貼る家があります。(我が家にもあります)

秋葉街道から枝分かれして気田川に沿って進む道があります。天竜川を渡る橋が「秋葉橋」、気田川は「気田川橋」を渡ります。いずれも吊り橋ですが、秋葉橋は板張りの人道橋です。長さ210mは天竜川に架かるつり橋としては一番長いものです。主塔はまるで高圧電線の鉄塔のよう、手すりは華奢なネットです。昭和46年に完成しました。
気田川橋は、トラスで補強された鉄橋で車も走ることができます。昭和32年(1957)竣工、長さ約190mです。秋葉山南麓を流れる「気田川」は清流で知られ、地元の人は「日本一きれいな川」と誇っています。鮎釣りやホタルの名所にもなっています。

天竜川の船明ダムと二本杉
天竜川を浜松側から歩いてみた。秋葉街道である。天竜川は諏訪湖に端を発して伊那谷を南下するが、佐久間あたりで谷を替えて赤石構造線を流れ、駿河灘に至る。秋葉街道は赤石構造線を北上し、そのまま中央構造線、すなわち赤石山脈と伊那山脈に挟まれた谷あいを進んで諏訪へ至る。
火防(ひよけ)・火伏(ひぶせ)の神として名高い「秋葉山本宮・秋葉神社」近くに、天竜川を堰き止めた「船明ダム」がある。天竜川電源開発の末期に計画されたダムで、河口から30km地点、山地から平野に流れ出す所に造られた。昭和47年(1972)に完成した。

高さ24.5m、長さ221mの重力式コンクリートダムである。総貯水量は約1000万㎥、下流の船明発電所に送って32000kwの発電をする。発電だけでなく、上水道の水がめとしての役割も追加された。特徴は、世界最大級のローラーゲートだという。下流から見ると壮大な水門が見える。
ダムの近くに巨大なスギの木があった。「船明の二本杉」という。根元から2本に分かれ、あるいは2本の苗木が育って2本立ちになっている。高さは約30m、幹回りはそれぞれ約5m、樹齢は不詳である。諏訪神社参道の入り口に鎮座する御神木である。

火防(ひよけ)・火伏(ひぶせ)の神として名高い「秋葉山本宮・秋葉神社」近くに、天竜川を堰き止めた「船明ダム」がある。天竜川電源開発の末期に計画されたダムで、河口から30km地点、山地から平野に流れ出す所に造られた。昭和47年(1972)に完成した。

高さ24.5m、長さ221mの重力式コンクリートダムである。総貯水量は約1000万㎥、下流の船明発電所に送って32000kwの発電をする。発電だけでなく、上水道の水がめとしての役割も追加された。特徴は、世界最大級のローラーゲートだという。下流から見ると壮大な水門が見える。
ダムの近くに巨大なスギの木があった。「船明の二本杉」という。根元から2本に分かれ、あるいは2本の苗木が育って2本立ちになっている。高さは約30m、幹回りはそれぞれ約5m、樹齢は不詳である。諏訪神社参道の入り口に鎮座する御神木である。
