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◆◆桶狭間古戦場◆◆

◆◆NHK大河ドラマが始まりました。今年は「どうする家康」です。このブログは「中部の・・・」ですから、家康や徳川に係わる「土木文化」も数多くご紹介してきました。これから時々思い起こしながら再掲していきたいと思います。◆◆

 「桶狭間の戦い」は、信長の天下取りの端緒ともなった戦いであるとともに、家康のデビュー戦でもある。戦国の歴史の中でも最も重要なエポックだと思う。信長が鉄砲を導入した「長篠の合戦」や、家康の天下取りに繋がった「関ヶ原の戦い」に匹敵する歴史の大転換点であった。
 桶狭間の地には、今川義元終焉の「桶狭間古戦場跡」以外にも「大高城跡」「鷲津砦」「善照寺砦」など貴重な歴史遺産が公園となって現存している。この地域全体を有機的に結びつけて、この「戦場」のストーリーをもっとアピール(歴史学習や観光)すべきと考える。

桶狭間G

 「桶狭間」のストーリーは、歴史書や小説によっていろいろ語られるが、私の認識を1枚のポンチ絵にしてみた。真偽のほどは読者の判断にお任せするが、絵(マップ)にするといかにも尤もらしく見えると思いますがいかがでしょう。
 ◆今川義元は大軍(2万5千人とも言われる)を率いて京へ向かった。尾張など蹴散らす勢いで。
 ◆今川方の前線基地として、鳴海城と大高場には今川の武将が城を守っていた。
 ◆織田側は、大高城の周りに「鷲津砦」「丸根砦」を、鳴海城の周囲に「丹下砦」「善照寺砦」を築いて攻め立てた。
 ◆孤立した大高城には、今川の先鋒「家康隊」が援軍に向かい、食料(兵糧)も運び入れた。
 ◆今川軍はちょうど昼時だったので長い隊列のまま休憩し昼食を食べていた。(酒も出たという)
 ◆織田軍は川の対岸に陣地を造って渡河を容易にした(橋頭堡という。中嶋砦がそれである。)
 ◆信長は10分の1の兵力で、今川隊列の先頭を急襲した。急に雨が降り出したともいう。
 ◆あわてた今川側は総崩れとなり、とうとう大将の義元までが討たれてしまった。
 ◆大高城に居た家康は、岡崎城へと引き上げた。これで今川の人質状態が終わった。


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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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建設・補償コンサルタント

プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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