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員弁・美鹿の神明杉

 名古屋の冬は寒い。夏も暑くて、あまり恵まれた気候とは言えない。京都も同じようなことが言われるが、こちらは「盆地」がその理由である。名古屋が冬寒いのは「伊吹おろし」の風が冷たいからである。若狭湾・琵琶湖・関ヶ原の窪みが、日本海気候を濃尾平野にもたらすからである。
 三重県の桑名・四日市・津へは「鈴鹿おろし」が吹き下ろす。同じように寒い冬を迎える。伊勢湾は内海なので、太平洋の「黒潮」の暖気を受けることができない。何と言っても、静岡県が最も冬過ごしやすい土地柄であろう。日本アルプスの山々が、北陸からの寒風を遮断してくれる。

美鹿G

 員弁(いなべ)の冬は知らないが、養老山脈と鈴鹿山脈に挟まれた谷あいであるので、冬の木枯らしは厳しいことだろうと思う。名古屋に近いこともあって、山裾の台地にゴルフ場が並んでいる。最近、高速道路の整備も進んでいる。
 美鹿(びろく)という町に杉の巨木があった。「神明杉」という。「大杉社」という神社の、社殿に向かって左側に聳えている。高さは優に30mを超える。二本立ちで、幹回りは4.5mと3mである。樹齢は900年とも言われている。社殿の裏山は照葉樹林で、クス・シイ・サカキなどが鬱蒼と茂っている。

季節通信207河津桜


智積養水と蟹池

 三重県四日市市智積町あたりは、昔から農業用の水不足が深刻な土地柄でした。「智積養水(ちしゃくようすい)」が造られた時期は明らかではありませんが、正徳元年(1711)の書物にその存在が記されています。川の下を潜る三十三間の暗渠の筒を、官費で伏せ替えたという記事です。
 昭和30年代までは水車がいくつかあり、精米などにも使われていました。洗い物などの生活用水や、防火用水としても使用されました。人々の生活に密着した水でしたので、「用水」と言わずに「養水」と呼ばれるようになりました。

蟹池マップ

 一時期汚染の進んだこともありましたが、地元の有志が立ち上がり、清掃や鯉の放流をすることにより水質保全に努めるようになりました。西勝寺前の水路や桜駅前の記念公園は、「鯉の住む町」として観光名所にもなっています。昭和60年には「名水百選」に選ばれています。
 養水の水源は、隣町の「蟹池」です。鈴鹿山脈に降った雨や雪が地下に浸み込んで、この池の所で噴出しているのです。10坪(35㎡)ほどの小さな池ですが、毎分15トンほどの水が湧き出ています。ブツブツと泡を吹くところや、川蟹がたくさん棲んでいたことから「蟹池」と名付けられました。

季節通信206



津の「江戸橋」と四日市の「笹川パークブリッジ」

 三重大学の学生が名古屋から通学しようとすると、普通は近鉄を利用することとなる。津駅のひとつ手前の「江戸橋駅」は、特急は止まらないが急行は停車する。名古屋から1時間ほどなので、津に下宿せずに名古屋から通う学生も多い。
 江戸橋駅からは、志登茂川を跨ぐ「江戸橋」を渡って国道23号・通称伊勢街道に出る。大学のキャンパスは道路の反対側なので、交通量の多い国道を横断しなければならない。「江戸橋横断歩道橋」ができたのは昭和47年(1972)のことである。

江戸橋マップ

 50年ほど経った平成30年ごろ、河川改修に伴って市道の付け替えが必要となり、この歩道橋は撤去されることとなった。通常歩道橋は、道路幅員が様々な所に架かっているので、再利用される例は少ない。ところが、四日市の笹川団地の公園に適しているということで移転が決まったのである。
 笹川団地は四日市郊外に、50年ほど前に造成された大団地である。交通量の多い環状道路を挟んだ両側に笹川西公園がある。新設小学校の通学路にもなっていることから、安全に渡れる横断歩道橋が求められたのである。両側が公園であるので、長さや、面積を取るスロープ設置も問題にならなかった。今は、子供たちから「ぐるぐる階段」の愛称をもらって親しまれている。

笹川マップ

桑名宿と矢田立場

 東海道五十三次は,宮の宿(熱田)から桑名の宿までは唯一の海路である。「七里の渡し」という。どちらの湊にも鳥居が立っていた。宮には現在はないが、歌川広重の浮世絵を見ると描かれている。桑名は伊勢神宮参りの一の鳥居であり、宮は熱田神宮への一の鳥居であった。
 桑名の宿は、桑名城(現在は九華公園)に接して置かれていた。渡し舟は天候に左右されるので、出航待ちのために、やむなく宿泊する人も多かった。江戸時代の調査では、本陣2・脇本陣4・旅籠屋120という数で、五十三次の中では宮宿に次ぐ2番目の大きさだったという。

桑名宿マップ

 現在も旧東海道は、舗装の色を変えて分かりやすくなっている。道沿いには、料理旅館などが今も残っている。桑名宿から半里(2km)ほど南へ下った所に「矢田立場」があった。「立場」というのは宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶店などが集まっている所である。
 次の四日市宿までは3里8丁の距離がある。五十三次の平均は2里3丁ほどであるので、1.5倍ほど長いことになる。そこで休憩する所が必要であった。「この立場は食物自由にして、河海の魚鱗、山野の蔬菜四時無き事なし」と記録されている。町角に、往時のような火の見櫓が立っていた。

季節通信205雪中四友

桑名城と北大手橋

 尾張、伊勢との国境にある美濃「高須藩」は、尾張二代藩主・徳川光友の次男が藩主となって以来、代々尾張家の支藩であった。尾張宗家の嗣子が絶えた時には、尾張家の当主を送り出す。幕末のころには、次男慶勝は尾張、七男容保は会津、九男の定敬(さだあき)は桑名の藩主であった。
 激動の時代に松平容保は京都守護職、定敬は京都所司代を務めて幕府を守ろうとした。畿内における最大の戦力であったが、鳥羽伏見の戦いを経て会津、函館まで幕府側として戦い抜いたが敗戦する。明治になっても、桑名藩は、会津と並んで新政府からは敵視し続けられた。

桑名城マップ

 桑名の城は、江戸時代になると本多忠勝が入城し、城郭の増改築や町割りの整備を行った。揖斐川の河口近くに造られた平城である。幾重にも水掘で囲んだ重厚な構えであった。お城に接して東海道の「桑名の宿」(宮の渡しから七里の海路)の湊がある。交通の要衝でもあった。
 現在城跡は、「九華公園」として市民に公開されている。堀の跡は水路として、船舶の停留地になっている。水路の護岸の石積みは城郭時代の石垣であり、500mほどが残存している。河口部に個性的な石造りの橋がある、「北大手橋」という。欄干に古い絵図のレリーフが添付されている。

名古屋テレビ塔

 名古屋テレビ塔は、昨年12月に国の重要文化財に指定され、昨日、文化庁の指定書が交付されました。地上180m、真ん中の90mの所に展望台(スカイデッキ)があります。完成は昭和29年(1954)、戦災復興のシンボルとして建設されたものです。
 通常、60m以上の建造物は赤白に塗装することが航空法(昭和35年)により義務付けられていますが、このテレビ塔は法制定以前のものなので銀色に塗られています。平成23年にアナログ放送が終了したのでアンテナは撤去され、現在はホテルやレストランとして使用されています。

名古屋テレビ塔G

「香嵐橋」と「飯盛山・香積寺」

 香嵐渓を訪れる人は多いけれど、飯盛山(いいもりやま)北斜面のカタクリや待月橋周辺の紅葉を観ることで満足してしまい、奥の方まで行かない人もいるようです。もう少し上流へ進めば、茅葺きの「三州足助屋敷」や赤い吊り橋「香嵐橋」などがあり、山の中腹には「香積寺」もあります。
 「香嵐橋」は長さ43m、幅1.8mの吊り橋です。如何にも山奥へ来たような気分に浸ることができます。このあたりまで来ると、紅葉やカタクリ(3月)以外の季節でも豊富な山野草が出迎えてくれます。植物図鑑でも持って歩けば、楽しめること請け合いです。

香嵐渓GH

 標高254mの飯盛山の中腹に「香積寺」があります。江戸初期に、このお寺の住職が山全体にモミジを植えることを思いついたそうです。後世にこれほどの人を集める、先見の明があったのでしょう。「桜は1週間だけれど紅葉は1か月楽しめますよ」と教えてくれた人がいます。
 その話を聞いて、私も東山植物園にモミジの苗木をたくさん植えました。50年前のことです。今では、植物園の紅葉は市内随一と言われています。
 扁額を「山盛りの飯」と読んでしまいました。本当は右から読んで「はんせいざん」です。しっとりと、心の落ち着く山寺です。
香積寺G

季節通信200山野草

香嵐渓「巴橋」と「待月橋」

 前々回の三河湖のマップで、巴川は足助の地点で鋭角に向きを変えることが分かった。北向きから南へ曲がるところが香嵐渓である。この地方最大の紅葉の名所である。川の美しさも含めて、京都の嵐山・渡月橋に匹敵するのではと思う。
 国道153号・飯田街道は、かつて足助の市街地を通っていたが、現在は二つのトンネルをもつバイパスができたために、ずいぶんスムーズに通過できるようになった。しかし、春のカタクリと秋の紅葉のときは、追分まで車が並んでしまう。

香嵐渓マップ

 旧道が巴川を渡るのが「巴橋」である。5連の鉄筋コンクリート・アーチ橋で高欄もコンクリート製である。昭和12年(1937)の開通である。その先にある伊勢神トンネル(1960)はまだ「伊世賀美隧道」(1897)の時代であり、それに比較するとずいぶん斬新な設計であったのだろう。
 嵐山の「渡月橋」は亀山上皇の感想から名付けられた。香嵐渓の「待月橋」も同じような命名であろう。紅葉を観るためにも、紅葉を写すためにもなくてはならない橋である。紅葉の時期は大渋滞、駐車場にもなかなか入れない。お勧めは雨天である。車は少ないし、幻想的な景色が見られる。

香嵐渓G

季節通信204キウイ


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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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