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半田赤レンガ建物 その2
この建物については、すでに平成25年(2013・9・23)にご報告した。ただし、その時はまだ改修工事の前で、平成26・27年に耐震補強などが施された。平成16年に登録文化財、21年に近代産業遺産、26年には半田市指定第1号の景観重要建造物に指定されている。
赤レンガ建物は、明治31年(1898)に「丸三麦酒」(のちのカブトビール)の製造工場として誕生した。戦時中は中島飛行機の衣料倉庫として使用された。戦後は日本初の「コーンスターチ」を作る工場となった。すなわち、この地は「コーンスターチ発祥の地」でもある。

平成になり工場が稼働停止して取り壊されることとなった。しかし、建物は300万個(東京駅に次いで2位)ものレンガが使われている貴重な遺産であり、保存の機運が高まった。平成27年に改修が終わってからは、クラブハウスや企画展示室、カフェ・ビアホール・ショップなどとして使われている。
駐車場からは、名古屋停車場(現名古屋駅)前に建っていた広告塔が目に入る。建物の裏側に回ると戦中に機関銃掃射により傷ついたレンガ壁を見ることができる。前面の平屋棟は、ヨーロッパでよく見る木骨造り(ハーフティンバー)になっている。
(下の写真は、2021・3・12の「木骨造りの家」より)

赤レンガ建物は、明治31年(1898)に「丸三麦酒」(のちのカブトビール)の製造工場として誕生した。戦時中は中島飛行機の衣料倉庫として使用された。戦後は日本初の「コーンスターチ」を作る工場となった。すなわち、この地は「コーンスターチ発祥の地」でもある。

平成になり工場が稼働停止して取り壊されることとなった。しかし、建物は300万個(東京駅に次いで2位)ものレンガが使われている貴重な遺産であり、保存の機運が高まった。平成27年に改修が終わってからは、クラブハウスや企画展示室、カフェ・ビアホール・ショップなどとして使われている。
駐車場からは、名古屋停車場(現名古屋駅)前に建っていた広告塔が目に入る。建物の裏側に回ると戦中に機関銃掃射により傷ついたレンガ壁を見ることができる。前面の平屋棟は、ヨーロッパでよく見る木骨造り(ハーフティンバー)になっている。
(下の写真は、2021・3・12の「木骨造りの家」より)
