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東海道 関宿
三重県亀山の近くに、東海道47番目の宿場町 「関宿」 がある。今から1300年以上も昔、壬申の乱 (672) の頃からの 「古代三関」 のひとつ 「伊勢鈴鹿関」 が置かれていた所である。三関とは美濃の 「不破の関」、越前の 「愛発関」(9世紀頃からは近江の逢坂関) のことで、都周辺の人の出入りを見張っていた。
またここは、東海道の重要な結節点で、東の追分からは伊勢別街道が、西の追分では大和街道が分岐している。この間の約1.8kmが宿場町であるが、江戸後期から明治時代に建てられた町屋が今も200棟以上残っており、国の 「重要伝統的建造物保存地区」 に指定 (昭和59年) されている。また昭和61年には、「日本の道路100選」 にも選ばれている。

宿場の東のはずれ東追分に立派な鳥居が立っている。ここが伊勢神宮への分かれ道で、関西方面からの伊勢神宮参拝者が、これを目印にお伊勢さんへと曲がる角である。この鳥居も桑名と同じように、宇治橋の鳥居の再利用である。こちらは宇治橋の内側、内宮古殿の棟持柱だったヒノキ丸太が使われている。

またここは、東海道の重要な結節点で、東の追分からは伊勢別街道が、西の追分では大和街道が分岐している。この間の約1.8kmが宿場町であるが、江戸後期から明治時代に建てられた町屋が今も200棟以上残っており、国の 「重要伝統的建造物保存地区」 に指定 (昭和59年) されている。また昭和61年には、「日本の道路100選」 にも選ばれている。

宿場の東のはずれ東追分に立派な鳥居が立っている。ここが伊勢神宮への分かれ道で、関西方面からの伊勢神宮参拝者が、これを目印にお伊勢さんへと曲がる角である。この鳥居も桑名と同じように、宇治橋の鳥居の再利用である。こちらは宇治橋の内側、内宮古殿の棟持柱だったヒノキ丸太が使われている。

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