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旧愛知県立医学専門学校・正門
鶴舞公園の北側、名古屋市公会堂から名古屋工業大学の正門に到る道路沿いに古風な門と塀がある。大正3年に 「愛知県立医学専門学校」 として造られたものだが、現在は名古屋大学医学部および付属病院の柵になっている。この専門学校は明治4年 (1871) に創立、同10年から37年間は天王崎( 中区栄) に存在した。明治36年に 「県立医学校」 に昇格、施設拡充のため大正3年に、「県立愛知病院」 とともにこの地に移転したのである。

この敷地は、明治43年に開催された一大博覧会 「第10回関西府県連合共進会」 会場の一角である。もともとは鶴舞公園の一部であったが、医学校と病院の拡充のため、約6.5haが特別に割譲されたのである。
当時の建物は、第二次大戦時の爆撃により灰燼に帰した。この門と塀は当初の姿を留める唯一の遺構である。門扉や飾りの金物は、当初の形態を参照して新たに制作されたものであるが、塀のタイルやテラコッタは、昭和5年に付加された当時そのままが残っている。


この敷地は、明治43年に開催された一大博覧会 「第10回関西府県連合共進会」 会場の一角である。もともとは鶴舞公園の一部であったが、医学校と病院の拡充のため、約6.5haが特別に割譲されたのである。
当時の建物は、第二次大戦時の爆撃により灰燼に帰した。この門と塀は当初の姿を留める唯一の遺構である。門扉や飾りの金物は、当初の形態を参照して新たに制作されたものであるが、塀のタイルやテラコッタは、昭和5年に付加された当時そのままが残っている。

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