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岐阜の加納城跡
岐阜のお城というと、私たちは織田信長の居城した金華山の岐阜城を思い浮かべますが、岐阜にはもうひとつのお城があったのです。JR岐阜駅の北側一帯は、 「加納城」 の城下町であり、合わせて中山道「加納宿」の宿場町でもありました。
加納城は、慶長5年 (1600) の関が原合戦直後に、家康の命により築城されました。それは、豊臣秀頼の残る大坂方への備えに他なりません。新荒田川とお堀に囲まれた5つの曲輪からなる城郭は、まるで 「水に浮かぶお城」 といった景観だったといわれています。

初代城主は、家康の長女亀姫の婿・奥平信昌で10万石を与えられました。その後、歴代の城主は譜代大名を務めましたが、明治維新の後、建物は全て取り壊され、堀も埋められてしまいました。今は、本丸や二の丸・三の丸の石垣がわずかに残るのみです。この本丸跡は、昭和58年に国の史跡に指定されています。

加納城は、慶長5年 (1600) の関が原合戦直後に、家康の命により築城されました。それは、豊臣秀頼の残る大坂方への備えに他なりません。新荒田川とお堀に囲まれた5つの曲輪からなる城郭は、まるで 「水に浮かぶお城」 といった景観だったといわれています。

初代城主は、家康の長女亀姫の婿・奥平信昌で10万石を与えられました。その後、歴代の城主は譜代大名を務めましたが、明治維新の後、建物は全て取り壊され、堀も埋められてしまいました。今は、本丸や二の丸・三の丸の石垣がわずかに残るのみです。この本丸跡は、昭和58年に国の史跡に指定されています。

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