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宮の渡し
笠寺から東海道を上ると、次の宿場町は「宮」である。宮とは熱田神宮、宮の渡しとは熱田湊のこと。ここから桑名の渡しまでは東海道唯一の海路で、「七里の渡し」とも呼ばれた。天候による足止めなどもあるため、熱田の宿と桑名の宿は、旅籠の数など全国一二の規模であったという。
有名な歌川(安藤)広重の「東海道五拾三次」の浮世絵にも、「宮」は港の風景として描かれている。帆船や岸壁の石積みなどが描かれる中、右端には常夜灯や熱田神宮の浜鳥居が描かれ、当時の様子を彷彿とさせている。下方に描かれている城郭風の建築物は「浜御殿」である。

現在この地は、堀川と新堀川が合流して名古屋港へと流れる交差点であり、歴史公園「宮の渡し公園」となっている。この公園には、昭和30年に復元されたという「常夜灯」(左の写真)が今も残っている。その隣に聳えている鐘楼は、「時の鐘」(右の写真)という。時の鐘は旅人に正確な時刻を知らせるため、尾張二代藩主徳川光友の命により、熱田神宮南に隣接する蔵福寺に設置されたものである。昭和20年の戦火により消失してしまったが、昭和58年に場所を移してこの公園に復元された。


有名な歌川(安藤)広重の「東海道五拾三次」の浮世絵にも、「宮」は港の風景として描かれている。帆船や岸壁の石積みなどが描かれる中、右端には常夜灯や熱田神宮の浜鳥居が描かれ、当時の様子を彷彿とさせている。下方に描かれている城郭風の建築物は「浜御殿」である。

現在この地は、堀川と新堀川が合流して名古屋港へと流れる交差点であり、歴史公園「宮の渡し公園」となっている。この公園には、昭和30年に復元されたという「常夜灯」(左の写真)が今も残っている。その隣に聳えている鐘楼は、「時の鐘」(右の写真)という。時の鐘は旅人に正確な時刻を知らせるため、尾張二代藩主徳川光友の命により、熱田神宮南に隣接する蔵福寺に設置されたものである。昭和20年の戦火により消失してしまったが、昭和58年に場所を移してこの公園に復元された。


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