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大井宿枡形
旧中山道の大井宿は、現在の恵那駅の東、阿木川を渡った辺りである。大井宿は江戸から46番目の宿場町。天宝14年 (1834) には6町半 (約700m) の間に、41軒もの旅籠があったという。町並みを描いた古絵図には、6か所の「枡形」が見て取れる。枡形とは、敵の侵入を防ぐ目的で直角に曲げた角のことで、大井宿では、ほぼこのままの形が残されている。

宿場へ入る少し手前に 「高札」 (下左の写真) が立っていて、幕府が農民や商人を取り締まる基本的なきまりが公示してあった。最初の枡形には延寿院横薬師という寺院がある。2つ目の角には大井宿本陣があったが現在は門と松しか残されていない (下右の写真) 。3番目近くには脇本陣、4番目には市神神社。5番目には、尾張藩の役人が常駐する 「白木番所」 があった。最後の6番目は阿木川を渡る大井橋である。


宿場へ入る少し手前に 「高札」 (下左の写真) が立っていて、幕府が農民や商人を取り締まる基本的なきまりが公示してあった。最初の枡形には延寿院横薬師という寺院がある。2つ目の角には大井宿本陣があったが現在は門と松しか残されていない (下右の写真) 。3番目近くには脇本陣、4番目には市神神社。5番目には、尾張藩の役人が常駐する 「白木番所」 があった。最後の6番目は阿木川を渡る大井橋である。

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