Entries
津の常夜灯
近鉄線 「江戸橋駅」 を降り、三重大学に向かって東へ歩くと、橋の手前に御影石造りの常夜灯がある。橋の名前は津藩主・藤堂氏が参勤交代の折に、ここで見送られたことから 「江戸橋」 という。
この 「江戸橋常夜灯」 は、伊勢神宮参詣の帰路、京へ向かう 「伊勢別街道」 と名古屋、江戸方面へ向かう 「伊勢街道」 の分れ道 (追分) に造られている。石には、安永6年 (1777) と刻まれており、津市内最古の常夜灯として、市指定の史跡になっている。手前の 「高田本山道」 の道標は、ここから2kmほど北にある真宗高田派本山 「専修寺」 を案内するものである。

三重大学の正門近く、栗真町屋町にも常夜灯がある。形式は彫りの荒い 「山燈籠」 である。正面に 「両宮常夜灯」 とあり、左に 「五穀成就」、裏面に 「嘉永4年」 (1851) と刻まれている。私は、大学時代の4年間、この近くに下宿していた。

この 「江戸橋常夜灯」 は、伊勢神宮参詣の帰路、京へ向かう 「伊勢別街道」 と名古屋、江戸方面へ向かう 「伊勢街道」 の分れ道 (追分) に造られている。石には、安永6年 (1777) と刻まれており、津市内最古の常夜灯として、市指定の史跡になっている。手前の 「高田本山道」 の道標は、ここから2kmほど北にある真宗高田派本山 「専修寺」 を案内するものである。

三重大学の正門近く、栗真町屋町にも常夜灯がある。形式は彫りの荒い 「山燈籠」 である。正面に 「両宮常夜灯」 とあり、左に 「五穀成就」、裏面に 「嘉永4年」 (1851) と刻まれている。私は、大学時代の4年間、この近くに下宿していた。

近鉄線 「江戸橋駅」 を降り、三重大学に向かって東へ歩くと、橋の手前に御影石造りの常夜灯がある。橋の名前は津藩主藤堂氏が参勤交代の折に、ここで見送られたことから 「江戸橋」 という。
この 「江戸橋常夜灯」 は、伊勢神宮参詣の帰路、京へ向かう 「伊勢別街道」 と名古屋、江戸方面へ向かう 「伊勢街道」 の分れ道 (追分) に造られている。石には、安永6年 (1777) と刻まれており、津市内最古の常夜灯として、市指定の史跡になっている。手前の 「高田本山道」 の道標は、ここから2kmほど北にある真宗高田派本山 「専修寺」 を案内するものである。

三重大学の正門近く、栗真町屋町にも常夜灯がある。形式は彫りの荒い 「山燈籠」 である。正面に 「両宮常夜灯」 とあり、左に 「五穀成就」、裏面に 「嘉永4年」 (1851) と刻まれている。私は、大学時代の4年間、この近くに下宿していた。

この 「江戸橋常夜灯」 は、伊勢神宮参詣の帰路、京へ向かう 「伊勢別街道」 と名古屋、江戸方面へ向かう 「伊勢街道」 の分れ道 (追分) に造られている。石には、安永6年 (1777) と刻まれており、津市内最古の常夜灯として、市指定の史跡になっている。手前の 「高田本山道」 の道標は、ここから2kmほど北にある真宗高田派本山 「専修寺」 を案内するものである。

三重大学の正門近く、栗真町屋町にも常夜灯がある。形式は彫りの荒い 「山燈籠」 である。正面に 「両宮常夜灯」 とあり、左に 「五穀成就」、裏面に 「嘉永4年」 (1851) と刻まれている。私は、大学時代の4年間、この近くに下宿していた。

- 関連記事
-
- 知多市岡田の古い街並 (2014/08/27)
- 津の常夜灯 (2014/08/22)
- 大井宿枡形 (2014/07/18)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/136-b51487f9
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)