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≪防災の日≫ 東京の清澄庭園
三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎は、明治11年 (1878) に、荒廃していた大名屋敷など約3万坪を買い上げ、大規模な庭園づくりを始めた。庭園整備の事業は弟の2代目・弥之助が引き継ぎ、完成をみたのは、弥太郎の長男、3代目・久弥の時代、明治24年 (1891) のことである。
大正12年 (1923) 9月1日の 「関東大震災」 の折、この 「清澄庭園」 に避難した多くの人々は生き延びることができた。それに比べて、墨田区の 「被服廠跡地」 (6.6ha) に逃げ込んだ約4万人の人々は、ほとんど焼け死んでしまった。その違いは、一方が樹林に囲まれ、池などがあるのに対し、もう一方は樹木もない更地であったからといわれている。近年の研究では 「火災旋風」 (炎の竜巻 )に襲われたのではないかとも考えられている。

現在は、東京都の所有する都市公園になっており、震災被害の少なかった東半分は、当時のような 「清澄庭園」 (有料) に、被害の大きかった西半分は、芝生広場を中心とした 「清澄公園」 として開放されている。
今日9月1日は、関東大震災から91年目、「防災の日」 である

大正12年 (1923) 9月1日の 「関東大震災」 の折、この 「清澄庭園」 に避難した多くの人々は生き延びることができた。それに比べて、墨田区の 「被服廠跡地」 (6.6ha) に逃げ込んだ約4万人の人々は、ほとんど焼け死んでしまった。その違いは、一方が樹林に囲まれ、池などがあるのに対し、もう一方は樹木もない更地であったからといわれている。近年の研究では 「火災旋風」 (炎の竜巻 )に襲われたのではないかとも考えられている。

現在は、東京都の所有する都市公園になっており、震災被害の少なかった東半分は、当時のような 「清澄庭園」 (有料) に、被害の大きかった西半分は、芝生広場を中心とした 「清澄公園」 として開放されている。
今日9月1日は、関東大震災から91年目、「防災の日」 である

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