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白鳥貯木場
宮の渡しから堀川を1km ほど遡ると、そこはかつての白鳥貯木場である。昭和50年代までは丸太の浮かぶ水面であったが、今は埋め立てられて名古屋市の国際会議場や白鳥庭園になっている。
元和元年(1615=大坂夏の陣の年)、尾張藩は家康より木曽山を拝領する。木曽山は杉や桧など良質な木材資源に恵まれていて、尾張藩は大きな財源を得たことになる。伐採された木材は、筏に組まれて木曽川を下り、伊勢湾を経てこの白鳥に集められた。

当初は堀川東岸に、その後、次第に拡張されて西岸に広大な材木場ができた。江戸時代の終わりには約8ha。明治になって国の管理となり、大正時代には約19haもの規模となった。貯木場は伊勢湾台風を経て、名古屋港西部への移転が進められ、昭和54年には埋め立てられて白鳥庭園などが整備された。

白鳥庭園の北に四角い水面がある。「太夫堀」といい、かつての貯木場の姿を今に伝えている。その池と堀川の間に古い水門がある。石積みと木製の扉であるが、橋の下に隠れているので見逃してしまいそうである。往時は、この水門から木材が出し入れされていた。


元和元年(1615=大坂夏の陣の年)、尾張藩は家康より木曽山を拝領する。木曽山は杉や桧など良質な木材資源に恵まれていて、尾張藩は大きな財源を得たことになる。伐採された木材は、筏に組まれて木曽川を下り、伊勢湾を経てこの白鳥に集められた。

当初は堀川東岸に、その後、次第に拡張されて西岸に広大な材木場ができた。江戸時代の終わりには約8ha。明治になって国の管理となり、大正時代には約19haもの規模となった。貯木場は伊勢湾台風を経て、名古屋港西部への移転が進められ、昭和54年には埋め立てられて白鳥庭園などが整備された。

白鳥庭園の北に四角い水面がある。「太夫堀」といい、かつての貯木場の姿を今に伝えている。その池と堀川の間に古い水門がある。石積みと木製の扉であるが、橋の下に隠れているので見逃してしまいそうである。往時は、この水門から木材が出し入れされていた。


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