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新城の「旧黄柳橋」
かつて、吉田 (豊橋) を起点とし乗本を終点とする、水上運送華やかな時代があった。山村からは材木や薪炭、逆に信州へは塩や綿といった物資が 「羽根河岸」 を中継地として行き来したのである。明治13年 (1880) ごろ、運送馬車を通行可能にする県道の大改修が行われた。その別所街道にかけられたのが 「黄柳橋 (つげばし)」 で、初代は木造であった。
大正8年 (1919) に、当時としては全国で一番長いコンクリート橋が完成する。アーチスパンは30mであるが、橋長は51.2mであるため、アーチと路面が離れることになる。そこで長い柱が必要となり、耐震性を考慮した井桁状の形態になったのだという。黎明期、大正の時代性色濃い、個性的な橋梁である。

しかし近年の自動車交通事情では、3.6mという幅員はあまりにも狭く、平成6年に3代目の橋梁が下流側に架けられた。「旧黄柳橋」 は、大正時代の生き証人として永久に保存されることになり、現在は歩道橋として使われている。平成10年に国の登録文化財に指定された。

大正8年 (1919) に、当時としては全国で一番長いコンクリート橋が完成する。アーチスパンは30mであるが、橋長は51.2mであるため、アーチと路面が離れることになる。そこで長い柱が必要となり、耐震性を考慮した井桁状の形態になったのだという。黎明期、大正の時代性色濃い、個性的な橋梁である。

しかし近年の自動車交通事情では、3.6mという幅員はあまりにも狭く、平成6年に3代目の橋梁が下流側に架けられた。「旧黄柳橋」 は、大正時代の生き証人として永久に保存されることになり、現在は歩道橋として使われている。平成10年に国の登録文化財に指定された。

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