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長篠城の土塁跡

 天正3年 (1575)、天下を狙う甲斐の武田勝頼は長篠城を大軍勢で取り囲んだ。武田勢は1万5千人、守るは徳川方の武将・奥平信昌率いるわずか5百人である。長篠城は、寒狭川 (現豊川) と大野川 (現宇連川) が合流する断崖絶壁、まさに自然の要塞といえる地形にある。また、鳥居強右衛門のエピソードが語るように守兵の意識も高く、織田・徳川連合軍到着まで何とか持ち堪えた。この後、かの有名な「設楽が原」での鉄砲による戦いが始まるのである。

長篠城B

 長篠城には城郭が残っていない。この戦いの後、信昌は 「新城」 に新しい城をつくり、ここを廃城としたのである。現在本丸跡は芝生地となっていて、わずかに土塁や石垣、堀が残るばかりである。上の写真は、本丸と二之丸の間の堀と土塁である。この奥に飯田線が走っていて、その向こうに宇連川が流れている。(下の縄張図は南が上になっており、右のマップとは反対ですのでご注意ください)

長篠城マップ
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 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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建設・補償コンサルタント

プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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