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水道道(すいどうみち)
名古屋の都心を彩る名古屋まつりは、今年は10月17日~19日に開催され、恒例の3英傑の時代絵巻が展開される。3人の中では信長や秀吉に人気が集まるかも知れないが、名古屋にとって最も貢献したのは家康だと思う。信長は岐阜、安土に城を築き、秀吉は大阪城で権力を振るった。
名古屋に城と町をつくったのは家康である。関が原の戦いから10年後の1610年、西方への守りに備えて、清州から町ごと移転したのである。家康は戦乱の世が終われば、文化や商業が大切であると考えていた。そのため城の南に、東西に区画された99の商人町を整備した。「碁盤割」 と呼ぶ。

第2次世界大戦が終了した後、戦災で焼け果てた町を復興する区画整理が大規模に行われた。そのとき、道路は碁盤割を延長して、東西南北に整然と延伸された。名古屋の町は方眼紙のような、まさにグリッド・シティーなのである。
ところが、今池から東北東に向かって斜めに引かれた道路がある。「水道道」 という。名古屋の水道水は、木曽川から取水して鍋屋上野の浄水場へ流れてくる。ここで浄化された水は、覚王山の山頂にある配水塔 (26年1月18日のブログに掲載) に汲み上げられ、そこから町へと配られる。その水道管を引くためにつくられたのがこの道路である。地下には太い水道管、地表は桜の並木道になっていて、人々の憩いの緑道になっている。

名古屋に城と町をつくったのは家康である。関が原の戦いから10年後の1610年、西方への守りに備えて、清州から町ごと移転したのである。家康は戦乱の世が終われば、文化や商業が大切であると考えていた。そのため城の南に、東西に区画された99の商人町を整備した。「碁盤割」 と呼ぶ。

第2次世界大戦が終了した後、戦災で焼け果てた町を復興する区画整理が大規模に行われた。そのとき、道路は碁盤割を延長して、東西南北に整然と延伸された。名古屋の町は方眼紙のような、まさにグリッド・シティーなのである。
ところが、今池から東北東に向かって斜めに引かれた道路がある。「水道道」 という。名古屋の水道水は、木曽川から取水して鍋屋上野の浄水場へ流れてくる。ここで浄化された水は、覚王山の山頂にある配水塔 (26年1月18日のブログに掲載) に汲み上げられ、そこから町へと配られる。その水道管を引くためにつくられたのがこの道路である。地下には太い水道管、地表は桜の並木道になっていて、人々の憩いの緑道になっている。

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