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一宮・起渡船場跡
一宮市の木曽川沿い 「起(おこし)」 地区は、かつて美濃路の宿場町であった。美濃路は、中山道垂井宿と東海道宮宿を結ぶ脇往還である。東海道の宮から桑名までは、「七里の渡し」 と呼ばれる海上の道であり、この難所を避けるために利用された街道である。
木曽川を渡るため起には、上流から 「定渡船場」 「宮河戸」 「船橋河戸」 の3渡船場があった。その中で、常時旅人に利用されていたのは 「定渡船場」 であり、4艘の渡し舟と20人の船頭が用意されていたという。

この渡し舟は、愛知と岐阜を結ぶ重要な交通手段だったので、昭和31年に濃尾大橋が完成するまで利用されていた。船着場へ通ずる道は、現在、堤防を抜けて川原に出るための閘門として残っている。昭和29年に造られた 「起第一陸閘」 である。「陸閘」 とは、普段は開放されているが洪水時には扉が閉まって、暫定的に堤防の役割を果たす施設のことである。

木曽川を渡るため起には、上流から 「定渡船場」 「宮河戸」 「船橋河戸」 の3渡船場があった。その中で、常時旅人に利用されていたのは 「定渡船場」 であり、4艘の渡し舟と20人の船頭が用意されていたという。

この渡し舟は、愛知と岐阜を結ぶ重要な交通手段だったので、昭和31年に濃尾大橋が完成するまで利用されていた。船着場へ通ずる道は、現在、堤防を抜けて川原に出るための閘門として残っている。昭和29年に造られた 「起第一陸閘」 である。「陸閘」 とは、普段は開放されているが洪水時には扉が閉まって、暫定的に堤防の役割を果たす施設のことである。

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