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宮の宿
熱田神宮の門前町で 「熱田宿」 ともいう。天保14年 (1843) の記録には、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒あったという。桑名への海上7里の渡し場があり、大垣までの佐屋路・岐阜までの美濃路の分岐点であり、さらに62万石の城下町名古屋の表口として、街道一の賑わいを見せていた。
江戸時代に描かれた数々の絵図が残されていて、当時の宿場町の様子を知ることができる。文化3年 (1806) に成立し、文化13年に転写された 「熱田宮全図」 (西尾市岩瀬文庫蔵、下の図はその部分) を見ると、停泊する舟の様子や常夜灯・浜鳥居・浜御殿・建ち並ぶ旅籠の様子がよくわかる。鳥居から真っ直ぐ通る道は、熱田神宮への参道である。

現在、古い建物はほとんど残っていないが、宮の渡し公園のすぐ北に古風な建物がある。名古屋市指定建造物 「丹羽家住宅」 である。丹羽家は幕末のころ、伊勢久と称し、脇本陣格の旅籠だった。正面の破風の付いた玄関は、当時の格式の高さを偲ばせている。

江戸時代に描かれた数々の絵図が残されていて、当時の宿場町の様子を知ることができる。文化3年 (1806) に成立し、文化13年に転写された 「熱田宮全図」 (西尾市岩瀬文庫蔵、下の図はその部分) を見ると、停泊する舟の様子や常夜灯・浜鳥居・浜御殿・建ち並ぶ旅籠の様子がよくわかる。鳥居から真っ直ぐ通る道は、熱田神宮への参道である。

現在、古い建物はほとんど残っていないが、宮の渡し公園のすぐ北に古風な建物がある。名古屋市指定建造物 「丹羽家住宅」 である。丹羽家は幕末のころ、伊勢久と称し、脇本陣格の旅籠だった。正面の破風の付いた玄関は、当時の格式の高さを偲ばせている。

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