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笠寺一里塚
【再掲:2013・02・19】
宮の宿から約4km東へ行った笠寺観音の近くに、東海道の一里塚が残っている。直径約10mほどの円形の塚で、エノキの大木の根が土まんじゅうを鷲づかみにするような形で伸びている。現在は名古屋市の街園に位置づけられ、地域の憩いの場となっている。
一里塚は江戸時代に、徳川幕府が旅人の目印となるように築いたもので、一里 (約4km) ごとに道の両側に築かれたものである。今日、完全な形で残っているものはごく少ないという。その中で笠寺一里塚は、片側ではあるが、ほぼ原型を留める形で残っている。

この大木は、かつて大枝が折れたため、その傷跡が大きな洞 (うろ) になっていた。今から20年ほど前に樹医による診断を受け、外科的手術により修復された。今では治癒が進んで傷跡もずいぶん小さくなり、のびのびと枝を伸ばしている。この一里塚のもう一つの見所は、塚の表面を覆いつくすヒガンバナである。9月下旬から10月初旬にかけて、地中から突然に花茎を伸ばして真っ赤な花を咲かせる。春先の今は、濃い緑色の葉が茂っている。

宮の宿から約4km東へ行った笠寺観音の近くに、東海道の一里塚が残っている。直径約10mほどの円形の塚で、エノキの大木の根が土まんじゅうを鷲づかみにするような形で伸びている。現在は名古屋市の街園に位置づけられ、地域の憩いの場となっている。
一里塚は江戸時代に、徳川幕府が旅人の目印となるように築いたもので、一里 (約4km) ごとに道の両側に築かれたものである。今日、完全な形で残っているものはごく少ないという。その中で笠寺一里塚は、片側ではあるが、ほぼ原型を留める形で残っている。

この大木は、かつて大枝が折れたため、その傷跡が大きな洞 (うろ) になっていた。今から20年ほど前に樹医による診断を受け、外科的手術により修復された。今では治癒が進んで傷跡もずいぶん小さくなり、のびのびと枝を伸ばしている。この一里塚のもう一つの見所は、塚の表面を覆いつくすヒガンバナである。9月下旬から10月初旬にかけて、地中から突然に花茎を伸ばして真っ赤な花を咲かせる。春先の今は、濃い緑色の葉が茂っている。

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