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鳴海宿
「鳴海宿」 は 「宮宿」 から約7km、次の 「池鯉鮒宿」 (現在は知立) までは約11kmの距離にある。重い荷物を持ち、徒歩で行く旅では、これくらいが1日の行程だったのだろうか。正徳元年 (1711)、宿場の中ほどに 「高札」 が設置された。これは、幕府や藩の重要法令を、旅人に周知するためのものである。

現在の高札 (写真) は平成21年に復元されたもので、元の位置より70mほど北の歩道に立てられている。掲げられている制札は、名古屋市博物館に残されている8枚のうち、5枚を複製したものである。その中に、荷駄の料金表があって興味深い。署名されている成瀬隼人正と竹腰龍若は尾張藩の御附家老である。

鳴海宿には、本陣1、脇本陣2、旅籠が68軒あったというが、現在はほとんど残っていない。ただ、多くの寺院が集中していることに、その面影を見ることができる。


現在の高札 (写真) は平成21年に復元されたもので、元の位置より70mほど北の歩道に立てられている。掲げられている制札は、名古屋市博物館に残されている8枚のうち、5枚を複製したものである。その中に、荷駄の料金表があって興味深い。署名されている成瀬隼人正と竹腰龍若は尾張藩の御附家老である。

鳴海宿には、本陣1、脇本陣2、旅籠が68軒あったというが、現在はほとんど残っていない。ただ、多くの寺院が集中していることに、その面影を見ることができる。

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