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豊明の史跡
有松宿と池鯉鮒宿の間に、大脇村、落合村、阿野村という村々があった。現在の豊明市である。ここに、「桶狭間古戦場伝説地」 という史跡がある。永禄3年 (1560) 年、京都へ向かう2万5000人の今川義元の軍勢を、わずか3000人という織田信長勢が打ち破ったという有名な戦いである。この地が義元終焉の地である。ただし、名古屋市緑区にも、ここで義元が討ち取られたという伝説地が残っている。

古戦場から旧東海道を東へ下っていくと、県道57号線の少し手前に 「阿野一里塚」 がある。笠寺からは次の次、約2里 (8km) の位置にある。ここは、かなり形は変形していると思われるが、街道の両側に2基の塚が残っている。
東海道が整備される以前の東西の道は、鎌倉街道であった。豊明では、少し北側の二村台の辺りを通っていた。海抜約70mの 「二村山」 は、古くからの景勝の地で、山頂からは熱田の海や名古屋の城下町が望めたという。現在は、藤田保健衛生大学病院の建物群に遮られている。

古戦場から旧東海道を東へ下っていくと、県道57号線の少し手前に 「阿野一里塚」 がある。笠寺からは次の次、約2里 (8km) の位置にある。ここは、かなり形は変形していると思われるが、街道の両側に2基の塚が残っている。
東海道が整備される以前の東西の道は、鎌倉街道であった。豊明では、少し北側の二村台の辺りを通っていた。海抜約70mの 「二村山」 は、古くからの景勝の地で、山頂からは熱田の海や名古屋の城下町が望めたという。現在は、藤田保健衛生大学病院の建物群に遮られている。
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