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知立の東海道松並木
≪再掲:2014・2.23≫
関が原の戦いから間もない慶長9年 (1604)、徳川幕府は東海道を整備した。東海道には53の宿場があるが、知立 (昔は池鯉鮒と書いた) は、江戸日本橋から数えて39番目、岡崎宿と鳴海宿の間にある宿場町である。ここでは 「馬の市」 が有名で、歌川広重の浮世絵でも 「首夏 (陰暦4月) 馬市」 と題した風景が描かれている。

東海道には、旅人を日差しや風雨から守るために、道の両側に松の木が植えられた。そのほとんどは、新しい自動車道や建物の整備により失われてしまったが、知立市牛田地区には今も約170本が残されている。戦前までは、昼なお暗いほどの大木が繁っていたが、昭和34年の伊勢湾台風により多くが倒れてしまった。昭和45年に150本ほどの補植が行われたが、その後の手入れもよく、立派な並木に育っている。

関が原の戦いから間もない慶長9年 (1604)、徳川幕府は東海道を整備した。東海道には53の宿場があるが、知立 (昔は池鯉鮒と書いた) は、江戸日本橋から数えて39番目、岡崎宿と鳴海宿の間にある宿場町である。ここでは 「馬の市」 が有名で、歌川広重の浮世絵でも 「首夏 (陰暦4月) 馬市」 と題した風景が描かれている。

東海道には、旅人を日差しや風雨から守るために、道の両側に松の木が植えられた。そのほとんどは、新しい自動車道や建物の整備により失われてしまったが、知立市牛田地区には今も約170本が残されている。戦前までは、昼なお暗いほどの大木が繁っていたが、昭和34年の伊勢湾台風により多くが倒れてしまった。昭和45年に150本ほどの補植が行われたが、その後の手入れもよく、立派な並木に育っている。

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